“生きる意味”見つめて傍聴に ある親子の43日間の記録

“生きる意味”見つめて傍聴に ある親子の43日間の記録
真冬の冷たい雨が降る中、息子が乗った車いすを押しながら初公判に訪れた男性は、こんな風につづっていました。「事件のあと『うちの子が生きていることは意味がある事なんだ』と言えない自分もいました。うーん、これは困った」。“答え”を探して傍聴に通った、ある親子の43日間の記録です。(横浜局記者 廣岡千宇)

8000人が訪れた裁判 6歳の息子と傍聴に…

相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害されるなどした事件で、元職員の植松聖被告(30)が殺人などの罪に問われている裁判。初公判から結審までの16回の審理を傍聴しようと、延べ8000人余りの人たちが訪れました。8回目となる今回の傍聴記では、事件の当事者ではない立場から裁判に通った傍聴者の結審までの43日間を見つめます。
朝から冷たい雨となった1月8日の初公判の日、傍聴券を求めて並ぶ人々の中に、その親子の姿はありました。人工呼吸器を装着し医療用のバギーに横になった6歳の男の子、荘真くんと、父親の土屋義生さん(40)です。
土屋さん
「うちの子も重度の障害があるので、事件は衝撃でした。日本という社会の中で息子と生きていくことって何だろうって、ずっと問いを突きつけられている気がして。そこから目をそらしてはいけないと思って、裁判を通してその“答え”を探したいと思っています」
しかし、この日は26席の傍聴席に2000人近くが並び、傍聴はかないませんでした。後日、自宅を訪ねさせてもらうと、土屋さんは妻と3人の子どもたちとともに温かく迎え入れてくれました。
長男の荘真くん(6)は、生まれて2週間後に髄膜炎と診断され、脳に水がたまる後遺症もあり、ずっとベッドに寝たきりのままだそうです。声やことばを発することはなく、たんの吸引など医療的なケアが欠かせないため、何かの拍子で人工呼吸器が外れないか、夜中も気を抜くことができないといいます。
土屋さん
「何かあったときに自分が気付かなかったら死んじゃうんじゃないかっていう気持ちが常にあるんですよね」
もともと共働きだった土屋さん夫婦は、互いに育休を取得して交代で荘真くんのケアにあたってきました。しかし去年の春にその期間も終わることになり、夫婦で話し合った結果、土屋さんは長年勤めた児童相談所の仕事を辞めて主夫になる決断をしました。

毎日、朝のおむつ交換に始まり、食事から入浴まで、自分がトイレにいく時などわずかな時間を除いてほとんどすべての時間を荘真くんと過ごしています。その土屋さんは、3年半前にこの事件が起きた時、自身のブログにこんな風につづっていました。
土屋さんのブログ
「犯人は『障害者なんていなくなればいい』という趣旨のことを言っているようです。『一部の人が言っていること』とは流せませんでした。『うちの子が生きていることは意味があることなんだ』と言えない自分もいました。うーん、これは困った」
“息子が生きていることに意味があると言えない自分”とはどういうことなのか。私がそこにある思いを知るのはもう少しあとになります。

植松被告と目があって“ある行動に”

初公判から9日後の1月17日。土屋さんは、再び荘真くんとともに裁判の傍聴に向かっていました。その車中、植松被告がことばで意思疎通ができない人を「心失者」と呼んで、「生きている意味がない」などと主張していることを受けてこう語っていました。
土屋さん
「息子は被告が言った『心失者』というのに、完全にあてはまっちゃう。そういう子と一緒に行くっていうことに、やっぱり意味があるのかなと思って」
この日、抽せんで初めて傍聴券を手にした土屋さん。「荘真くん、当たりましたよ。目が動揺してますね。2人で頑張ろうね」。少し緊張した面持ちで裁判所の中へ入っていきました。
法廷では、被告の元交際相手が出廷し、遮蔽板の中で証言しました。元交際相手は、ことばを話すぬいぐるみが主人公の映画を被告と一緒に見た時のことを振り返りました。
証言した元交際相手
「ぬいぐるみでも『あなたの名前は』と聞いて答えられ、コミュニケーションが取れたら人間として認められるという場面で、『俺が言いたかったのはこれだ』と興奮した様子で話していました。私の肩をたたいて目を輝かせていました」
土屋さんは、このときの被告の表情を思わず手元のノートに記していました。

“笑っている”。そして、被告と目が合ったような気がしたという土屋さんは、とっさにある行動をとっていました。荘真くんの医療機器のモニターの電源を切っていたのです。
土屋さん
「被告に荘真を見られた気がして本当に恐怖を感じました。ピーピーと音が鳴ってしまうと悪意がこっちに具体的にくるんじゃないかと」
とっさに電源を切った自分、土屋さんはそのことを妻の真澄さん(39)に打ち明けました。
土屋さん
「被告がうちの子を完全に殺すって思っているかもなって。やっぱりそういう人がいる、そういう社会なんだって間接的じゃなく直接的に伝わってきた」
真澄さん
「そう言われると確かに怖いかも。荘真にこれだけのお金をかけて生かしている意味って何ですかって真正面から問われたら…」
土屋さん
「それ証言で出てたんだよね。具体的な数字ははしょられていたけど、被告が友達に障害者にこれだけのお金がかかっているんだぜって」

見失いかけたその時、荘真くんが…

「生産性」が重んじられるように感じる、社会からのまなざし。事件が起きてから、土屋さんはその視線が息子にも自分にも向けられていると感じてきました。

やりがいのあった仕事を辞め、息子のために24時間365日をささげる生活。「世の働く人たちが定年を迎える年齢になるまで、自分にはこの生活がただただ延々と続いていくだけなのか」。そんな言いようのない絶望感に襲われたこともあったといいます。
その裏には、息子の成長を感じ取ることができない自分もいました。その頃、荘真くんは週に1度、療育センターに通っていましたが、あいさつのことばをかけられても歌を歌っても反応していないように見えたという土屋さん。周囲が「荘真くん、いま反応しましたね」と声をかけてくれても、ことばどおりに受け止めることができなかったとその心情を語ってくれました。

私はブログにあった“息子が生きていることに意味があると言えない自分”ということばの奥にある思いを知りました。

真澄さんも母親として、事件当時を振り返りこう打ち明けてくれました。
真澄さん
「この子に生きている意味はあるんだって、そう思い込んで一生懸命ケアをしてるんじゃないのって。楽しいと思っているのは、つらいことから逃げるために思い込んでるんじゃないのって事件でそう問われてしまった気がして…」
社会のなかで居場所を見失いかけていた土屋さんたちに、去年の秋、思いがけない出来事がありました。医師からはこの先も自分で呼吸をすることはできないと言われていた荘真くんが、ほんのわずかですが自発呼吸を始めたのです。
そして荘真くんの誕生日、ケーキを近くに持っていくとろうそくの火を吹き消そうとするしぐさを見せたのです。
土屋さん
「消そうとしたなって。それが誰にも証明されなくても誰にも認められなくてもいいやって思えたんです。荘真は荘真なりに生きている。自分たちの『はかり』では決してはかることのできない世界で生きているんだと」
傍聴に臨むにあたり、土屋さんはノートの最初にこう記していました。
土屋さんの傍聴ノート

「何のために行く?」→「考えたいから。この日本で障がい児とともに生きるということはどういうことか?」

「何のために2人で行く?」→「当事者、当事者の家族として生きていくという覚悟」

法廷に響いた“声なき声”

土屋さんは、その後も傍聴に通い裁判の記事を追い続けました。法廷でも変わらず自分の主張を繰り返し続ける被告、土屋さんは次第に恐怖よりもそこに幼さやかたくなさを感じるようになっていました。2月5日。荘真くんとともに傍聴できたこの日、法廷では遺族と被害者の家族が初めて植松被告に直接問いかけました。
(犠牲となった60歳女性の弟)
「植松聖さん、あなたの大切な人は誰ですか」

(被告)
「大切な人…」

ことばに詰まる被告に遺族は重ねて尋ねます。

(犠牲となった60歳女性の弟)
「私は家族とか友達、仲間とか身近な人が大切なのですが」

(被告)
「…大切な人はいい人です」

被告が具体的な名前を挙げることはありませんでした。
(息子が重傷を負った尾野剛志さん)
「意思疎通をしようと努力したことはありましたか」

(被告)
「あります」

(息子が重傷を負った尾野剛志さん)
「どういうときですか」

(被告)
「どういうとき、どういうとき、どういうとき…」
答えに窮したり同じことばを繰り返したりと、被告はこれまでと様子が違っていました。土屋さんが、荘真くんの医療機器のモニターの電源を切ることはありませんでした。

「この社会の中で確かに生きている」。静かな法廷に「ピコーン、ピコーン…」と鼓動のように響くモニターの音は、そう訴えているかのようでした。

“生きる意味”見つめた43日間の先に

2月17日。被告に死刑が求刑されました。これに先立ち19歳で犠牲となった「美帆さん」の母親が心情を語りました。
「美帆さん」の母親
「他人が勝手に奪っていい命など1つもないということを伝えます。あなたはそんなこともわからないで生きてきたのですか。何てかわいそうな人なんでしょう。何て不幸な環境にいたのでしょう。私は娘がいてとても幸せでした。決して不幸ではなかったです。私の娘はたまたま障害を持って生まれてきただけです。何も悪くありません」
この日の夜、テレビのニュースから流れる母親のことばに耳を傾けていた土屋さんと真澄さん。「わかるね」「うん、わかる」。土屋さんは涙ぐみながら真澄さんと、そうことばを交わしていました。
土屋さん
「植松被告と日本社会と向き合いたいと思っていたんだけど、結果的にはずっと自分と向き合っていた裁判でした。人の役に立つとか、人に迷惑をかけないとか、社会に求められるような生き方に窮屈さと息苦しさを感じてきたんだけど、荘真は本当にあるがままに生きているので何だか子どもに頼っちゃって少し情けないけど、この子と一緒にいれば迷わないのかなって」
土屋さんはそう言って荘真くんの横で笑っていました。息子とともに見つめた結審までの43日間。いま療育センターに通う日は週2回に増え、土屋さんは少しずつであっても、荘真くんの成長を確かに感じていると言います。裁判に通った日々の思いを自身のブログにこうつづっています。
「障がい者だけではなく健常者も含めたすべての人に『生きる意味とは何か』を問いかけた事件だったと考えています。また、生きていい人、生きてはいけない人を勝手に線引きした事件でした。そんな社会って窮屈じゃないですか?ごくごく限られた人しか安心できない。私は嫌です(笑)。あるがままを生きられる社会になってほしいと思います。こんな事件を2度と繰り返さないために、傷つけられたり、亡くなられた方のためにも荘真とともに歩んでいこうと思います」
8回目となった裁判の傍聴記、今回は取材班の思いは語らずに終えようと思います。判決は3月16日に言い渡される予定です。
横浜局記者
廣岡 千宇