9年たっても復興しない~被災者2000人の「復興カレンダー」

9年たっても復興しない~被災者2000人の「復興カレンダー」
”あの日”から、まもなく9年。NHKは、被災者の「今」を読み解こうと、大規模アンケートを行いました。およそ2000人の被災者の声から浮かび上がってきたのは、多くの被災者が復興を実感できず、いまだに自分は被災者だと感じ続けているという現実でした。(社会部記者 永野 麻衣・齋藤 恵二郎)

被災者の復興実感をグラフ化

東日本大震災から9年となるのを前に被災者の声を聞く、今回の被災者アンケート。去年12月からことし1月にかけて、岩手・宮城・福島の被災者や原発事故の避難者など4000人余りを対象に行い、48%にあたる1965人から回答を得ました。
今回私たちが力を入れたのは、「復興カレンダー」と呼ばれる手法での調査です。震災後の自分の気持ちや暮らしについて、復旧・復興を実感できたのはいつの時点か。「住まい」「仕事」「家計」など12の項目についてそれぞれ聞き取っていくことで、被災者の復興実感がどの分野でどの程度高まっていて、何が課題として残されているのか、探っていきます。
例えば、長引く仮設住宅での暮らしや災害公営住宅の整備の遅れなど、長く課題となってきた住まいの問題。「最終的に解決した」と回答した割合は、震災の1年後は6%でしたが、災害公営住宅の整備や土地の区画整理が急速に進んだ震災の4年後から5年後にかけてグッと上昇し、6年後には50%に到達。現在までに75%、4人に3人が復興を実感するまでになりました。単に「Yes」か「No」かを尋ねるのではなく、そう思うようになった時期も合わせて尋ねることで、被災者一人ひとりが今の状態・心境に至るまでの過程を折れ線グラフの形で可視化しようという試みです。

復興したもの しなかったもの

全12項目の調査結果がこちら。「見づらい」「何だかわからない」と思った方。くじけずに、今しばらくおつきあいを。「復興カレンダー」では、50%に達すると、その分野が一定程度復興した目安になるとされています。そこで、まずは現在までに50%以上になったものと、そうでないものを分けて見ていきます。
震災9年までに50%に達したのは、この7項目。1、3は震災3年までに50%を超え、その後、4、5、7、12も相次いで50%を突破。さらに、11も去年からことしにかけて大きく伸びて50%を超えました。
一方、2、6、8、9は、いずれも40%前後。10は18%にとどまっています。ハード面では多くの被災者が復興を実感できるようになった一方で、地域経済や家計にはいまだに震災が大きな影を落としていることが浮き彫りになりました。

阪神・淡路と比べ 遅い復興

こうした傾向は、過去の震災でも見られました。こちらは、阪神・淡路大震災から10年に際して専門家が行った「復興カレンダー」調査の結果との比較です。阪神・淡路では、ほとんどの項目が震災2年までに50%を超えましたが、「地域経済が震災の影響を脱した」は震災10年を迎えるまで50%に届きませんでした。こうして比較して見ると、経済的な復興の難しさとともに、東日本大震災の復興の歩みの遅さ、そして復興実感の低さがよくわかります。

3県の復興実感の差 明確に

こちらは今回の調査結果の県別比較。50%に達した項目は、宮城が12項目中10項目、岩手が7項目だったのに対し、福島は4項目。福島の復興実感の低さが目立ちます。
アンケートの分析を担当した社会心理学が専門の兵庫県立大学の木村玲欧教授は、こう指摘します。
木村教授
「岩手・宮城は、津波の被害のあとどうやって新しい地域を作っていくかが課題となっているので、復興は遅れながらも着実に進んでいると考えられる。一方、原発事故の影響が残る福島は、何をしたらその地域が安全・安心になるのか、何をしたらその地域で住み続けることができるのかがわからず、復旧や復興の進捗(しんちょく)が見えづらい状態が今も続いてることが福島の被災者の回答に影響を与えているのではないか」

浮き彫りになった 新たな課題

12の調査項目の中で、今回私たち取材班が注目したのは、「自分が被災者だと意識しなくなった」が38%、つまり、いまだに自分が被災者だと感じている人が62%もいるというデータです。阪神・淡路大震災10年の専門家調査では25%で2.5倍の開きがあります。

根強い「被災者意識」の背景は

なぜこれほど多くの人がいまだに自分が被災者だと感じているのか。今も被災者意識があると回答した被災者に話を聞くため、私たちは福島県南相馬市に向かいました。
「駅通りの商店が次々に閉鎖しさみしい。若者が戻ってこなく町全体が活性化するのはまだ遠いと感じる。昔の当たり前の普通の暮らしができるのは、あと何十年後になるのか」
自由記述欄にこうつづった、佐川喜美子さん(73)。住んでいる原町区は、原発事故の半年後に「緊急時避難準備区域」の指定が解除されましたが、避難した若い子育て世代は戻ってこなかったといいます。ずらりと専門店が並んでいた駅前商店街からは、この9年間で、自転車店、カフェ、手芸店、靴店、食堂などが次々に消え、シャッターが目立つようになりました。検査技師として勤めていた地元の病院が医師や看護師の不足を背景に移転したため、佐川さん自身も生きがいだった仕事を失いました。年金暮らしになり、家計も以前ほどの余裕はなくなりました。
佐川さん
「震災の前は商店街を歩けば、子ども連れもいて大勢の人でにぎわっていましたが、今は誰ともすれ違わないことがあるほどで切なくなります。地域の衰退が加速しているのを見ると、復興が進むどころか、年々、震災の影響が大きくなっているようにさえ感じるんです…」

もう1つのキーワード

活気を失い衰退していく地域経済と、しぼむ家計。データを分析していく中で、根強い被災者意識の背景には、こうした経済的な復興の遅れに加えて、もう1つの要因があることがわかってきました。
「自分が被災者だと感じていない人」「自分が被災者だと感じている人」のほかの設問での回答をクロス分析してみたところ、特に大きな差が見られたのがこの3項目。例えば、現在までに「地域経済が震災の影響を脱した」と回答した人の割合が、「自分が被災者だと感じていない人」では37%だったのに対し、「自分が被災者だと感じている人」ではわずか4%にとどまるなど、この3項目ではいずれも30ポイント以上の大きな差が見られました。

「自分が被災者だと感じている」という意識の背景には、経済的な復興の実感だけでなく、「地域の活動」の復興実感も関わっていることがわかってきたのです。「自分が被災者だと感じている」と回答した人の自由記述を見てみると、地域コミュニティーの再生の大切さを訴える記述が数多くありました。
ハード面での整備は、一定の展望が開ける情勢になったと判断できる。一方、震災の影響により減少した人口や縮小した地域経済そして、破壊された地域コミュニティーは、元に戻らない状況が続いており、見通しは極めて暗いと言わざるをえない。(岩手県宮古市・70代男性)
仮設団地での生活と比べて、人との交流が極端に少なくなっている。被災のダメージをいくらかでも薄れさせてきたあとに、また虚脱感が生まれている。心の復興には相当の時間が必要だと思う。(宮城県石巻市・80代男性)
毎年、NHK取材班とともに被災者アンケートの分析にあたっている木村教授は、復興に向けた取り組みは新たなステージにさしかかっていると言います。
木村教授
「復興には『地域の経済』や『地域のつながり』が重要な要素だというソフト面の課題は、ハード面の復興が進んだこの震災9年というタイミングだからこそ、はっきりと数字に表れたのだと思います。被災者が望む「復興」を実現するためには、個人への支援だけでなく、コミュニティーへの支援というアプローチに重点を置くことが必要だと思います」

復興期間 その先に

「残された、生かされた命を大切に前へ」
「きのうよりきょう、きょうより明日、一歩ずつ前へ」
「10年経過する時は被災者という肩書はなしにしたい」
「『真の復興とは何か』に頭を悩ましております」
被災者2000人から寄せられた声の中には、前向きなものがいくつもありましたが、なんとか被災者という意識をぬぐい去りたいともがき、自分にとっての「復興」とは何か自問自答する姿がつづられたものも数多くありました。去年、復興庁の設置期限延長の方針が示されました。震災10年、そしてその先へ。「ハード面の復興」を終えようとしている今、こうした被災者の生の声を今後の支援に生かし、「復興」を新たな段階に進めていくことが求められています。
社会部記者
永野 麻衣
社会部記者
齋藤 恵二郎