結審した“命をめぐる法廷” 最後に語られたのは

結審した“命をめぐる法廷” 最後に語られたのは
「私、普通のお母さんだから、たいしたこと言えないのだけど…」そう話していた母親は法廷に立ち、奪われた最愛の19歳の娘への思いと、深い悲しみを泣きながら語りました。ある弁護士は事件について「役に立たない自分を『挽回』したかった1人の若者の『歪んだ自己実現』」だと指摘しました。そう指摘された被告は死刑を求刑されてもなお自らの主張を繰り返し、「ご清聴ありがとうございました」と発言を終えました。43日にわたった裁判が結審しました。

彼はなぜ命に線を引いたのか

2月17日月曜日、朝の横浜港。新型コロナウイルスの集団感染が確認されたクルーズ船が停泊を続けるかたわら、赤レンガ倉庫にほど近い公園では600人を超える人たちが裁判の傍聴に集まっていました。
横浜市の59歳の女性です。
「極刑はやむを得ないと思いますが、それ以上に被告がなぜ障害のある人とない人の間に線を引く考えを持つようになったのかを知りたいです」
相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害されるなどした事件で、元職員の植松聖被告(30)が殺人などの罪に問われている裁判。

15回目の審理となったこの日、検察による求刑が行われました。7回目となる今回の傍聴記では、結審を前にそれぞれが最後に語ったことばを伝えます。

“普通のお母さん”が娘のために

17日の法廷では検察官による求刑に先立って、19歳で犠牲となった「美帆さん」の母親が心情を語りました。

犠牲者が匿名で審理される中、母親は「娘は甲でも乙でもない」と初公判に合わせて下の名前を公表しました。

被告の変わらぬ差別的な主張に心が壊れそうになりながらも傍聴に通い、長い時間をかけてことばをつづってきた母親は法廷で語る日を前にこう話していました。
「私、普通のお母さんだから、たいしたこと言えないのだけど…。でも美帆のことだけは誰よりもわかっているから、法廷でしっかり伝えなきゃって思うんです。諭すように話した方もいてそれも大事だと思ったけれど、私はあえて悲しみも厳しいことばもぶつけようと思っています。被告には何一つ届かなかったとしても」
そして当日。

「私は美帆の母親です」

遮蔽板の向こうにいる被告に対し、法廷に立った母親はゆっくりとはっきりした声で、美帆さんのことを話し始めました。
「美帆は12月の冬晴れの日に誕生しました。1つ上に兄がいて待ちに待った女の子でした。娘に障害のこと自閉症のこと、いろいろ教えてもらいました。私の娘であり先生でもあります。待つことの大切さや、人に対しての思いやりが持てるようになりました。笑顔がとても素敵でまわりを癒やしてくれました。ひまわりのような笑顔でした。美帆は毎日を一生懸命生きていました」
これまでの法廷での被告の発言について語るうちに次第におえつしながら叫ぶような声で伝えました。
「『お母さんのことを思うといたたまれません』と言われてむかつきました。考えも変えず、1ミリも謝罪された気がしません。痛みのない方法で殺せばよかったということなんでしょうか。冗談じゃないです。ふざけないでください。美帆にはもうどんな方法でも会えないんです」
大切な家族を奪われた遺族がどれほどの苦しみを抱えるのかも伝えました。
「事件後、家はめちゃくちゃになりました。社交的だった祖母が家に引きこもって一歩も外に出なくなりました。兄は具合が悪くなり入院して仕事を辞めました。私は9キロやせました。外に出ると心臓の動悸がすごく全身が震えてしまうことがよくありました。私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命より大切な人を失ったのだから。私たちは皆、あなたに殺されたのです。未来をすべて奪われたのです。美帆を返してください」
そしてはっきりとした大きな声で伝えました。
「他人が勝手に奪っていい命など1つもないということを伝えます。あなたはそんなこともわからないで生きてきたのですか。ご両親からも周りの誰からも教えてもらえなかったのですか。何てかわいそうな人なんでしょう。何て不幸な環境にいたのでしょう。私は娘がいてとても幸せでした。決して不幸ではなかったです。私の娘はたまたま障害を持って生まれてきただけです。何も悪くありません」
最後にこう訴えました。
「あなたの言葉をかりれば、あなたが不幸を作る人で、生産性のない生きている価値のない人間です。どんな刑があなたに与えられても私はあなたを絶対に許さない。美帆は一方的に未来を奪われて19年の短い生涯を終えました。だからあなたに未来はいらないです。私はあなたに極刑を望みます。一生、外に出ることなく人生を終えてください」
植松被告はこれまでと同じように感情を表に出すことはなく、時折、小さくため息をついていました。一方、法廷では母親のむせび泣く声がしばらくの間、響いていました。

「簡単に死刑にせず一生罪に苦しんでほしい」

この日は遺族や被害者家族の代理人の弁護士たちも、それぞれ刑の重さについて意見を述べました。

法廷で「甲Sさん」と呼ばれた43歳の男性の母親と姉の意見も読み上げられました。

「母も姉もいまだに死を受け入れることができないでいます」

この間ずっと傍聴に通う中で抱いた思いが伝えられました。
「この1か月半にわたる裁判を通じて、被告から『自分の考え方が間違っていた』ということばは最後まで聞けませんでした。『意思疎通のできない重度障害者はいらない』という発言を繰り返し、それを聞くたびに甲Sを含め、社会の障害者全体をも殺されたような気持ちになり何度も傷ついています」
そして刑の重さについての意見も読み上げられました。
「被告を簡単に死刑にしても償いにはならないとも考えています。終身刑を科し自分の犯した罪について一生苦しんでほしい。『障害者であろうと健常者であろうと、不幸な人も幸せな人もいる』という当たり前のことに気付き、この事件が絶対に許されないものであったと理解したうえで償いをしてほしい。しかし日本には終身刑がないため死刑を求めます」

『挽回』と『ゆがんだ自己実現』

19歳の「美帆さん」の母親と兄の代理人は、かつてオウム真理教から信者の脱会を支援し、自らも信者から襲撃されたことがある滝本太郎弁護士です。
滝本弁護士もこの日、法廷に立ち、今回の事件を「テロ事件」としてとらえるべきだと指摘しました。
「被告は重複障害者に本人が希望もしていない『安楽死』政策をとってほしいと政府に求めた。そのためまず自分が多数を殺傷して社会と国に訴えたというのだから『テロリズム』である。裁判ではこれを直視しなければなりません」
そのうえで植松被告が事件を起こした要因として次の3つを挙げました。
1.知的障害者に対しもともと相応の悪意・侮蔑感を持ってきたが、やまゆり園で職に就いて増幅された。
2.生産・コストばかりを重視する社会情勢の中で「役に立たない自分」と考え、これを「挽回」したかった。
3.大人になって目立てなくなってきた中で、「ゆがんだ自己実現」を図った。

2について滝本弁護士はさらにこのように指摘しています。
「被告のように『役に立たない自分』ととらえてしまう若者が、いま少なくないと思われる。その点は当時26歳と若い被告には何ら責任がなく、政治権力や社会各所の権力者・有力者はもちろん多くの大人の責任です。問題は『挽回する方法』としてこの事件を起こしたことです。被告はあまりに粗雑な思考しかせず検討を尽くさないままだった」
そのうえで被告に死刑を求めました。
「被告の命もまた奇跡的にここにある以上、とても大切な『価値あるもの』である。だからこそ被告にはその貴重な命を刑罰として失ってもらわなければならない」

「どんな判決でも控訴しません」

今回の裁判の争点は1つだけです。

「事件当時、被告に責任能力があったかどうか」
2月17日、検察官は刑の重さについての理由を述べたあと、最後に「求刑ですが」と一呼吸置いて次のように述べました。

「被告人を死刑に処すべきと考えます」

このとき植松被告は無表情のまま、まばたきをすることもありませんでした。ただ前を向いて、どこかをじっと見ているようでした。
そして2月19日、16回目の審理では最終弁論を行った被告の弁護士が「被告には責任能力がなかった」として、これまでどおり無罪を主張

最後に発言の機会を与えられた被告は。
「私はどんな判決でも控訴いたしません。裁判はとても疲れるので負の感情が生まれます」
そして最後にこう言いました。
「今回の裁判の本当の争点は、自分が意思疎通を取れなくなる時を考えることだと思います。長い間、皆様におつきあいいただきありがとうございました。ご清聴ありがとうございました」
被告は検察官に、続いて裁判官や裁判員、弁護士、そして傍聴席にそれぞれ一礼し、裁判は結審しました。

事件はヘイトクライムだったのかー「出番」を求めた被告

43日間にわたった審理。事件で犠牲となった19人のひとりで、法廷で「甲Eさん」と呼ばれる60歳の女性の弟は結審をうけて。
「裁判の最後にいきなり植松聖さんの演説が始まって驚きました。最後まで自己主張を通し、あまりにもひどい話だなと思いました。自分の思いを押しつけることで、自分の心の整理をしているんだと思います。聞くにたえず見るにもたえませんでした。心が少しでもあれば救われるかと思ったが、それもなかったです」
そして裁判で被告に直接質問したことなどを踏まえ。
「裁判で自分の気持ちを述べたらすっきりすると思っていましたが、思っていたほど気持ちの整理がつきませんでした。今も3年半前の7月26日のあの光景がずっと残っています」
事件で一時、意識不明の重体になった尾野一矢さん(46)の父親の剛志さんは。
「やっと結審したということで、ほっとしたような気持ちです。弁護士は被告は心神喪失で無罪だと主張しましたが、遺族や被害者の家族などは検察の求刑どおりの判決が出ると思っています」
被告が最後に「裁判はとても疲れる」と発言したことについて。

「彼の本音だと思いました。彼の本心がどこにあるのかは今も分からないままです」と話していました。
植松被告と接見したことがある「ホームレス支援全国ネットワーク」の理事長で牧師の奥田知志さんは審理を振り返りこう指摘しました。

奥田さんは被告が「野球選手や歌手になれていたら事件を起こしていなかった」と話した場面をあげて。
「自分の人生に出番がない人間が出番を自ら作ろうとした。自分の出番や役割がないことにもんもんとしている若者はたくさんいます。『生きる意味があるか』というのは、実は現代における自問でそれを被告は障害者に向けた。だけど根っこのところでは彼自身がおそらく『俺は生きる意味があるのか』と自問していた。障害者に対するヘイトも問題だが、あまりに薄っぺらく浅はかで許してはいけないと感じました」
そして被告が「重度障害者と共生する社会はやっぱり無理だとなればいい」と法廷で述べた点について。
「この社会ですべての人の命を大事にしてきたと本当に言えるか、障害のある人たちと一緒にどう生きていくのか、そう問われたのがこの裁判だと思います。大変であっても共に生きることこそが本当の豊かさを導くのだと覚悟を決めるかどうか。彼が持ち出した価値観や彼が言っている主張を私たちは本当に根絶できるのか。本当の勝負は裁判が終わってからになると思います」

結審までの43日間の取材で感じたこと

裁判で傍聴者を含めて多くの人が知りたかった点は、
▽なぜ被告が極端に差別的な考えをもったのか。
▽なぜその差別的な考えが「殺害」という行為にまでつながったのか。
▽そもそも差別的な考えが本当の動機なのか、
といった点にあったのではないかと思います。

そして遺族や被害者家族の多くが望んだのは、被告が自身の過ちと奪った命の重さに気付くことではなかったかと思います。

こうした中、法廷で「命とは何か」「人間とは何か」「意思疎通とは何か」といった“命”をめぐるやり取りが繰り広げられていたのが強く印象に残りました。
「なぜ事件を起こしたのか」という点では、被告は従来の説明を繰り返すばかりで解明につながる新たな事実は見えてこなかったと思います。

一方で、被告に迫ろうと遺族や被害者の家族、その弁護士たちが問い続ける中では、ほころびのようなものも見えてきました。差別的な主張の根拠について、一枚二枚と皮をめくるように質問を重ねられると動揺し言いよどむ様子を見せ、被告の論理の浅さをみる思いがしました。

初公判から43日間。被告に遺族の叫びのようなことばは届いたのでしょうか。

多くの人に極刑を求められたいま、自分の命についてどう思いをめぐらせているのでしょうか。

判決は3月16日に言い渡される予定です。