ソーリは何しに中東へ?

ソーリは何しに中東へ?
その日、安倍総理大臣の姿は中東にあった。
アメリカによるイラン司令官殺害、イランのミサイル攻撃、ウクライナ機撃墜と、混迷の度を深める中、周囲の慎重意見を押し切る形での中東訪問。なぜ、あのタイミングで行くことを決断したのか。
そして、得られた成果は何だったのか?
(政治部記者 花岡伸行)

ビーチと黒服

陽光に包まれた1月。
オマーンの首都・マスカットは暖かく、ビーチには半袖の観光客の姿も見える。
取材の合間にホテルの外に出ると、鮮やかな緑の芝生の先に、長く続くビーチと青々としたオマーン湾が広がっていた。

ぼんやりその風景を見ていると、ホテルから、ビーチに似つかわしくない黒ずくめの集団がやってきた。
SPに囲まれた安倍総理大臣一行だ。気付いた人たちがスマホで撮影する。

安倍総理大臣は革靴のまま、ビーチに出て長い間歩いた。
オマーン湾を直接その目で見ておかねば、と思ったのか、それとも、ただの気分転換だったのか。確かなのは、もうすぐ、あの海に自衛隊の護衛艦がやってくるということだ。

暗殺 ミサイル 高まる緊張

今回の同行取材の準備を進めていた年明けすぐ、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
「アメリカがイラン革命防衛隊司令官を殺害」
すぐさま、イランが報復を宣言したというニュースを聞いて、大きな不安に襲われた。

1月8日の朝、イランがイラクの米軍駐留基地をミサイル攻撃したというニュースが世界を駆け巡った。
「また、中止になるかもしれない」そんな思いがよぎった。「また」というのは12月のインド訪問が、現地の治安悪化を理由に直前に延期されていたからだ。

訪問は延期!?

しばらくして、他社が「中東訪問延期」の1報を打ったと連絡が入る。
この物騒なタイミングだけに少なからずホッとした自分を戒めつつ、取材にあたった。
しかし、取材先の反応は「延期を決定したなどとは聞いていない」というものだった。
後日分かったのは、事務方の一部から、安全の確保に不安があると慎重な声があがっていたが、安倍総理の考えは変わっていないということだった。

一方、トランプ大統領はイランによるミサイル攻撃の前、ツイッターで武力行使をちらつかせ、一触即発の事態も起こりうる状況と言えた。

攻撃から数時間後、イランでウクライナの旅客機が墜落したというニュースが入ってきた。イランは技術的なトラブルと主張していたが、あまりに奇妙なタイミングだ。

「アメリカは軍事力を行使したくない」
翌9日のトランプ大統領の演説は意外に抑制的なものだった。
さらに翌日の10日、総理の中東歴訪が正式に発表された。

なぜ中東歴訪に強いこだわりを見せたのか?
この日の取材メモを見返すと、ある政府高官は2つの理由を挙げていた。

「安全上のリスクがあることは確か。ただ、原油の9割を中東に依存している日本には、この地域の海上交通は生命線。危機の直後だからこそ、現地で対話を呼びかける意義もインパクトも大きい」
「自衛隊派遣は、イランにはロウハニ大統領の来日時に丁寧に説明している。対立するサウジとUAEにも派遣前に説明をして、バランスを取る必要がある」

去年6月、総理がイランを日本の総理大臣として41年ぶりに訪問していたさなかに、日本の海運会社が運航するタンカーが攻撃を受けたのは記憶に新しい。
しかし、自衛隊の中東地域での活動が哨戒機は1月下旬から、護衛艦は2月下旬からに迫っていた。やはり石油の安定供給確保と自衛隊派遣が、中東訪問の決断を後押ししたのだろうか。

「回り道」して中東へ

そんな中、発表された日程表を見て、「あれ?」と思った。

事前取材では、出発時間は昼ごろだったはずだが、午前9時半に早まっている。一方、到着時間に変わりはない。

ほどなく、取材先の1人が種明かしをしてくれた。
「回り道だよ。万一のことを考えてペルシャ湾付近を迂回していくから、出発が早まったんだ」

リスクがあることを政府も認識しているということか。

出発当日の1月11日。
政府専用機に乗り込んだ直後にドバイ支局にいる同期から衝撃的な連絡が入った。
「オマーン国王が亡くなった」

オマーンは最後の訪問国。
病気の国王との会談は予定されていなかったが、国王が死去したとなれば国の一大事。そんなタイミングで行っても要人と会談できるのか…。

不安をよそに、専用機は羽田空港を離陸した。
去年から運用が始まった新しい政府専用機は、機内でWi-Fiが使える。離陸後、ニュース速報が入った。

「イラン軍 ウクライナ機の撃墜認める」

やはり、そうだったか。
しかし、飛行機に乗って早々、こんな大ニュースが立て続けに飛び込んでくるとは、この外国出張が一筋縄ではいかないことを暗示しているのかもしれない。

飛行中の安全を祈りながら眠りについた。

ヤマ場は“あの有名人”との会談

政府専用機は何事もなく飛行を続け、薄い黄土色をした中東の大地が目に飛び込んできた。
日本時間午後11時半すぎ、専用機はサウジアラビアの首都リヤドのキング・ハーリド国際空港に着陸した。
まずは無事に中東の地を踏めたことに安堵する。

翌12日、総理はサルマン国王との首脳会談に臨んだ。
しかし、国王は84歳の高齢。34歳にして、内政と外交を取りしきるムハンマド皇太子との会談こそが、中東歴訪最大の山場だった。

皇太子は、脱石油依存政策を急速に進める改革者の一方、ジャーナリスト殺害事件への関与が取り沙汰されるなど、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物だ。イランの最高指導者、ハメネイ師を新たなヒトラーと呼ぶなど、イランへの強硬姿勢で知られる。
地域の大国サウジアラビアの湾岸諸国への影響力は大きく、会談で皇太子から、緊張緩和につながる言葉を引き出せるかが、最大の焦点だった。

皇太子との会談は、北西部のウラで行われた。奇岩に囲まれた砂漠地帯で、幻想的な雰囲気が漂う。
この地に招かれた外国の首脳は安倍総理大臣が初めてで、しかも、わざわざ皇太子の別荘の近くに伝統的なテントを設営するという熱の入れようだ。
リヤドから飛行機で2時間ほどかけて移動し、現地時間午後8時半からスタートした会談は、1時間にわたった。

“どてら”のサプライズ

会談が終わり、同席した岡田官房副長官が、ブリーフィングを行った。
総理がイランを念頭に自制的な対応を要望すると、皇太子は、「この地域の緊張は世界に悪影響を及ぼすもので、当事国間の対話が必要不可欠だ。サウジアラビアも取り組みを強めていく」と応じたという。
イランに強硬姿勢一辺倒だったあの皇太子から、「対話」という言葉を引き出せたという。自衛隊派遣についても「完全に支持する」との満額回答だったとか。岡田氏は「絨毯に腰を下ろして語り合う2人は、本当に打ち解けて親密な様子でした」と興奮気味に語った。

記者団からは総理が着ていた民族衣装について質問が出た。
「日本でいう、“どてら”のような感じのものでしょうね」

どてら?
確かにどてらだ。
「ファルワ」と呼ばれるこの民族衣装は、皇太子からのサプライズ・プレゼントだという。会談場所や民族衣装といい、親密さを強調する演出はメディアの目を強く意識してのことか。

笑いすぎはダメ?

翌日、総理はサウジアラビア初の世界遺産を見学した。

サウジアラビアでは、これまでビジネスなどを除き外国人の入国が厳しく制限されていたが、皇太子の脱石油依存政策の一環で、外国人向け観光ビザが去年9月から解禁された。
その観光の目玉にしようとしているのが、この「マダイン・サーレハ」だ。

見学後、総理はテレビカメラの前で見学の感想と昨夜の会談について短く話した。
歴訪中、取材に応じたのはこの1回。現地での露出を減らしたのは、イランへのせめてもの配慮だろうか。

そして、次の訪問国、UAE=アラブ首長国連邦に向かう。
首都アブダビは、派手な高層ビルが林立し、さながら近未来都市のようだ。
UAEは、サウジアラビアと同様、イランと対立関係にあり、アメリカ主導の有志連合にも参加している。
アメリカから攻撃を受ければ、イランはUAEのドバイへの攻撃を検討するという報道もあり、この時期、緊張がにわかに高まっていた。

会談相手は、こちらもイランへの強硬姿勢で鳴らすムハンマド・アブダビ皇太子。
しかし、ここでも、サウジアラビアと同じことが起きた。

皇太子は「関係国と歩調を合わせて、外交努力を尽くしていく」と、抑制的な反応を見せた。自衛隊の派遣には「具体的な協力と支援を惜しまない」と、歓迎の意向を示した。

サウジアラビアといい、これまでとは違うイランへの融和的とも言える態度はどういうことだろうか。
ともあれ、UAEの日程が終わり、人心地ついたころ、合流したドバイ支局の同期が思いがけないことを言った。
「きのうサウジの皇太子と会った時、安倍総理は民族衣装着て、満面の笑みだったでしょ?イランの時は、少し表情硬かったよね」
「日本はサウジ側についたとイランは思うかもしれないなぁ」
言われた当初は、そこまでの話かな、と感じた。
しかし、これが「徴用」や、輸出管理で関係悪化が続く日本と韓国に置き換えたらどうかと考え直した。
「テントに民族衣装とか、いかにも皇太子らしいよ。そういう小技で自分のペースに巻き込むんだよ」

そんな話を聞いて、わざわざリヤドから2時間かけて月夜の砂漠で会談した皇太子の狙いが、今更ながら分かった気がした。

会談予定なかった新国王

歴訪最後の訪問国オマーン。

国王死去という大事件が起きていたことはすでに触れた。当初、オマーンではアスアド国王特別代理らとの会談は予定されていたが、新国王に就いたのは、会談予定になかったハイサム遺産文化相。調整が難航しているのか、新たな会談予定はなかなか発表されず、確定したのは前日だった。

14 日、UAEからオマーンに移動。首都マスカットの町並みは住宅の白壁が青い空に映え、美しい。
到着早々、総理は宮殿で、ハイサム新国王への弔問と懇談を9分間行った。
短時間ではあったが、ひとまず新国王と会えないという事態は回避された。

続いてアスアド国王特別代理との会談も行われた。
オマーンはこの地域にあって中立的な立場を守り、イランとも良好な関係を維持している。そのため、主な議題は自衛隊の補給のための港についてだったが、オマーン側から「協力したい」という言質を得て、中東歴訪の一連の日程は終了した。

得られた成果は?

今回の中東歴訪では、イランへの強硬姿勢を崩してこなかったサウジアラビアとUAEから、対話に前向きな反応を引き出した。そして自衛隊派遣の地ならしでは、サウジアラビアは「完全な支持」を、UAEは「具体的な協力と支援」を、オマーンは「評価と協力」を表明した。これらは確かに成果だ。

しかし、なぜサウジアラビアとUAEは、イランへの態度を軟化させたのか。

帰国後、歴訪に同行した関係者はこう解説した。
「サウジアラビアの皇太子はトランプ大統領と近く、大統領がイランに自制的な対応をしたのを見て、今は同じように対応した方が得だと計算したはずだ。そこに総理の訪問があったので、発信したのでは」
そして、訪問順も重要だったと言う。
「オマーンは、国王が亡くなって3日目の喪の最終日に行ったから、新国王とも会うことが出来た。訪問順が逆だったら、オマーンは国王が亡くなった直後で、誰とも会えなかったかもしれない。UAEもサウジがイランに何を言うか分からない状況では、軟化しなかったかもしれない。針に糸を通すようなタイミングだった」

ただ、依然として懸念は残る。
自衛隊が収集した情報は、米軍などとも共有される。平時なら問題はないかもしれない。しかし再びアメリカや湾岸諸国とイランとの緊張が高まり、不測の事態が起きた時、イランは今と同じように自衛隊の活動を許容するだろうか。
一方のアメリカからは、自衛隊がより大きな役割を果たすよう要求されはしないか。
そう考えると、針に糸を通すような局面は、これからやってくるのかもしれない。
政治部記者
花岡 伸行
2006年入局。秋田局を経て11年に政治部。その後、函館局を経て再び政治部に。19年から官邸クラブで安全保障などを担当。