“車中生活者をどう支援するのか NPOの模索”

“車中生活者をどう支援するのか NPOの模索”
レジャーで楽しむ車中泊ではなく、やむをえない事情を抱え、長期間にわたり車で生活する「車中生活者」。その背景には、いったい何があるのか。誰にも気付かれず、ひっそりと駐車場の片隅で生活する人々の実態を知るため、私たちは、支援に取り組むNPOとともに、半年間にわたり取材を続けました。(「車中生活」取材班 社会番組部チーフ・ディレクター 熊谷光史)

NPOに寄せられる目撃情報 道の駅に向かうが…

静岡県富士市のビルの一室。ここに、10年以上前からホームレスなどの居住支援を行っているNPO法人「POPOLO」の事務所があります。事務局長を務める鈴木和樹さんのもとには、最近、車中生活者に関する情報が寄せられています。
取材を始めてまもなくかかってきた一本の電話。それは「小さな子どもを連れた若い女性が道の駅にいた。後部座席に布団が積んであり、車中生活しているようだ」という道の駅利用者からの情報でした。

鈴木さんはすぐに、母子がいたという道の駅に向かいます。
夜9時。道の駅の売店などは営業時間を終え、駐車場はすっかり暗くなっていましたが、10台ほどの車が並んでいました。中には目張りをするなど車中泊とみられる車も。

鈴木さんはその一台一台を確認し、一時間近く周辺を探し回りましたが、母子が乗っていたという白い軽自動車を見つけることはできませんでした…。
「小さな子どもを連れての車中生活にはさまざまなリスクがある。支援を必要としているのではないか、確かめたかったんですが、車中生活者は路上生活者と違って移動を伴うので、会うことも簡単ではない…」
人目を避けるように、移動を繰り返す人も多い車中生活者。それでも鈴木さんがこうした アプローチを続けているのには理由がありました。

届いたSOSメール 父親の暴力から逃げるため車中生活

1月中旬、NPOのもとに車中生活をしているという男性から「SOSメール」が届きました。

「家がなく車中泊をしています 支援を受けられますか?」

鈴木さんは「食べ物も提供できます。お困りならいつでも支援できるので連絡ください」と返信し、連絡を待ちました。

10日間、毎日メールでのやり取りを続けた鈴木さん。徐々に信頼関係を築き、ようやく男性と会う約束ができました。待ち合わせしたのは、静岡市内にある無料駐車場。
そこに車でやってきたのは、若い男性。ほおがこけ、体は痩せ細り、食事も十分にとれていない様子でした。

鈴木さんは、事務所から持ってきた食料を提供し、なぜ車で生活しているのか、相談できる人はいないのか、じっくり話を聞き始めました。
(鈴木さん)「なぜ車中生活をしているんですか?」
(男性)「一番の理由は父親です。幼い頃から暴力を受けていて、逃げる場所がなかった」
(鈴木さん)「家族とか親戚とは、頼れる人はいないの?」
(男性)「いません。父親の暴力が原因で、家族はみんな、家を出て行った。親戚も見て見ぬふり。父親の言うことを聞いてさえいれば、住む場所はあったので、ずっと我慢してきた」
父親の暴力から逃げるため家を飛び出し、貯金を取り崩しながら車で生活してきたという男性。

長年にわたる虐待が原因で、人と関わることが怖くて働くこともできなかったと言います。生活保護に頼ることも考えましたが、住まいを借りるときに必要な連帯保証人になってくれる家族や親戚もおらず、受給することができませんでした。

そして、一年半にわたる車中生活の末、ついに貯金が底をついたと言います。
(男性)
「チョコと水だけで何日も過ごした。だんだんと起きているのか、寝ているのかもわからなくなり、このまま餓死するんだろうなと思っていた…」
SNSでたまたま見つけたのが鈴木さんたちのNPOでした。初めて「助けて」という思いを伝えた男性。NPOの支援を受けたことで、新たな住まいを見つけ生活保護を受けることができました。
鈴木さんは、こうしたケースは決して珍しくないと言います。
(鈴木さん)
「すごく痩せ細っていて、精神的にかなりまいっている様子でした、お金もないし、下手したら命を落としてもおかしくなかった。今回は男性が勇気を持ってメールしてくれたおかげで、支援につながることができたが、助けてと言えず、支援につながらない人や、そもそも支援を望んでいない人もいる。どうすればいいのか、難しいですね」

見回り活動で出会った81歳の車中高齢者

車での出会い当初は支援を求めていなかった車中生活者が、NPOの支援によって生活再建にこぎつけるまでの過程も取材で目の当たりにしました。

鈴木さんたちの見回り活動で81歳の佐藤叙之さんに出会ったのは、半年近く前の去年10月のことでした。
道の駅の駐車場に止めた軽自動車で寝泊まりしている様子で、見るからに痩せていました。食料などの支援の申し出に対しては特に必要としていない、という反応。なぜ車中生活をしているのか、事情も話してくれません。

携帯電話は持っていたため、鈴木さんはいつでも連絡をください、とNPOの連絡先を書いたチラシを置いていきましたが、関心を持っているようには見えませんでした。

鈴木さんは、この時、私たちに「見過ごせないケース」だとして次のように語っていました。
(鈴木さん)
「気ままな生活だけで、車中生活をしているとは思えません。心を開いてくれるまで根気強く話しかけ、信頼関係を作って、『実は…』を聞けるようになるまで、ゆっくり話していこうと思います」
その後、鈴木さんは佐藤さんに働きかけ、粘り強く支援の申し出を続けました。私たちも佐藤さんの健康状態が心配でその様子を気にかけてきましたが、その中で一つわかったことがありました。
佐藤さんは道の駅の駐車場からいつも、目の前の海を見つめていたのです。その理由について佐藤さんは「海を眺めるのが好き」と語るだけでした。

佐藤さんが車中生活に至った経緯について話してくれたのは、鈴木さんがアプローチを続けて2か月がたった頃でした。
車の助手席に置いてあった袋から佐藤さんが取り出したのは、自らの若かりし頃の写真の数々。懐かしい写真を見せながら、佐藤さんは自分の過去について、淡々と語り始めました。

1960年代の高度経済成長期、都心の高級ホテルで働いていた佐藤さん。支配人になることを夢見て、寝る間も惜しんで、必死に働いてきましたが、40代後半に仕事で挫折したことがきっかけで、仕事を辞めてしまいます。

その後、職を転々としてきましたが、年齢とともに働くことも難しくなり、車中生活に陥ってしまいました。

仕事が充実していた20代。たまの休みに職場の仲間と海に行き、釣りをして楽しんだのが一番の思い出だったと佐藤さんは語ります。
(佐藤さん)
「この時期が僕の人生で一番楽しかった時期かもしれない。自分の人生設計に希望があった。仕事を辞めてからは、ただ生きていくためだけに仕事をする感じで、なんのやりがいも感じなかった…」
車の中で一人、海を見ていたとき、佐藤さんは希望にあふれていた過去を思い返していたというのです。

つながりを再構築し 車中生活から抜け出す道を探る…

NPOによるその後の聞き取りの中で、佐藤さんには長年暮らしていたアパートがあることがわかりました。しかし、訪れてみると、そこは、ゴミがあふれ、水道も止まったままの部屋でした。
「人との関係が薄れていく中で、生活が荒れていったのではないか」と鈴木さんは受け止めました。
(鈴木さん)
「佐藤さんは、家族にも、行政にも、地域の誰にも困っているとSOSできないでいた。誰か一人でも頼れる人がいれば、ずっと車の中で生活することは避けられたのかもしれない…」
NPOでは、佐藤さんとともに市の福祉窓口や社会福祉協議会などを訪れ、一緒に生活再建の道を探ることにしました。

こうした人たちの支援を受けながら、佐藤さんは手元にあるお金をやりくりし、部屋の片付けを行うことにしました。車中生活から抜け出すことを目指すことにしたのです。

これまで誰にも頼ろうとせず、一人車の中に閉じこもっていた佐藤さんでしたが、人とのつながりを取り戻したことで、ようやく自分の人生を見つめ直すことができるようになったと語りました。
(佐藤さん)
「これまで自分一人で生きてきたというプライドがあった。人に頼ることは恥ずかしい。自分の恥をさらしたくないという思いも強かったかもしれない。皆さんに助けていただいたおかげで、一人では生きられない、誰かを頼ってもいいんだと感じるようになりました」
先月末、部屋が片づき、佐藤さんは半年ぶりに、畳の上で生活することになりました。これからは、NPOや行政が定期的に佐藤さんとコンタクトをとり、生活再建に向けた支援を続けていくことにしています。

「困ったときに、頼れる人がいる」

そういう存在が一人でもいれば、再び問題を抱えても、車中生活に陥る前に支えることができるかもしれません。

社会とのつながりを絶ち、車の中で生活する人たちにどう関わっていけばいいのか。簡単には答えが見えない中、模索が続いています。
社会番組部チーフ・ディレクター 
熊谷光史
民放を経て平成19年入局。社会保障や外国人労働問題などをテーマにした番組を制作。半年にわたり車中生活者を取材。