武漢退避! その舞台裏

武漢退避! その舞台裏
中国で急増する新型のコロナウイルスによる肺炎。
日本政府は、史上初めて感染症を理由にチャーター機を派遣し、武漢にいる日本人およそ700人の退避計画を実行に移した。
「希望者全員を帰国させる」
現在進行形のオペレーションは、どのように行われたのか。
外交官たちへの取材で、その舞台裏に迫った。
(渡辺信、山本雄太郎、高島浩)

「『救援機』を飛ばす」

「政府が『救援機』を飛ばす準備を水面下で始めている」
取材先から電話がかかってきたのは、1月26日(日)の正午過ぎ。
中国・湖北省武漢の事実上の封鎖が進んでいることを受けて、日本政府が現地に滞在する日本人を退避させるという。

すぐさま、確認の取材を開始。そして夕刻、私たちは「外務省が現地の日本人退避に向けて中国政府と協議、チャーター機運航も」と報じた。
そのおよそ1時間後、安倍総理大臣は記者団に「チャーター機など、あらゆる手段を追求し希望者全員を帰国させる」と表明。
退避計画の実行に向けて、政府全体が一気に動き出した。

「無理かも…」それでも派遣を

政府はいつ頃からチャーター機による退避を本格的に検討していたのか。

複数の政府関係者によると、1月23日(木)、武漢の公共交通機関などが停止し、武漢が事実上、封鎖された段階で、外務省は、現地への定期路線を持つ全日空に対し、水面下で「チャーター機をお願いする可能性がある」と依頼した。
全日空側は「その場合は、やります」と回答していたという。

ただ、翌24日(金)午後2時すぎの段階で、外務省幹部は、記者団に「武漢を脱出したいのにできないという人はいない」と断言するなど、現地の日本人の状況を切迫した緊急事態だとは捉えていなかったとみられる。
ところが、その日の夕方以降、退避の検討が一気に具体化し始める。
現地に拠点を持つJETRO=日本貿易振興機構からの連絡で、現地に進出する日本企業の関係者に、帰国を希望する人が多くなってきたことを把握。

北京の日本大使館にも直接、現地に滞在する日本人から、「病院に行っても日本人は診療されずに追い返された」という情報や「政府に帰国を支援してほしい」といった要望が断続的にもたらされた。
ネット上では、現地の病院内で肺炎患者が列をなす動画が拡散されていた。大規模な病院の建設が突貫工事で始まったというニュースも、事態がいっそう深刻なことを予期させ、政府内の危機感を強めた。
では、どのように現地の日本人の帰国を支援するのか。
24日の夜、ある外務省幹部は「現地の空港は閉鎖されていて、管制官も誰もいない。航空機は無理かも。陸路も高速道路など全部封鎖されているから使えると思えない」と八方ふさがりに近い状況を明かした。
しかし感染は拡大し、「アメリカがチャーター機による退避を計画している」という情報も入る中、与党である自民党内からも迅速な対応を求める声が出てくる。

700人規模の日本人を一斉退避させ、帰国時の集団での検疫も可能なのは、航空機しかない。政府は中国政府側との折衝を加速した。

25日(土)から26日(日)にかけて、内閣官房のもとに関係各省庁が集まり、断続的に受け入れ態勢を協議し、国内での感染拡大を防ぐための対応を検討した。

26日午後2時過ぎ、別の外務省幹部は「中国政府はまだ『うん』とは言わないが、日本は必ず退避を成し遂げる」と話した。

「マスクを運ぶから、チャーター機を」

26日夕方。安倍総理大臣の表明直後、茂木外務大臣は、中国の王毅外相とただちに電話で会談できるよう、事務方に指示した。
そして、自らも外務省に向かった。

中国政府は、日本側の求めに応じ、電話会談は午後9時から始まった。今回の取材で、電話で交わされた内容の一端が明らかになった。

茂木「最初にお見舞いを言わないといけない。大変な状況だが、できることがあったら何でも言ってほしい。日本は何でもやる。困ったときの友が、一番の友だ」

王毅「ありがとう。あなたは、今回の事態を受けて電話会談した外国の最初の大臣だ。実は、現地ではマスクがとても不足している」
茂木「マスクだな。すぐに送ろう。不足しているものがあったら何でも言ってくれ。実は今、日本の外交官を北京から武漢に向かわせているが、封鎖されていると聞いている。ぜひ、武漢に入れるようにしてほしい。関係方面すべてに、うまく伝えてもらえないか」

王毅「わかった」

茂木「マスクなどの支援物資を運ぶとなると、飛行機が必要だ。実は日本では3時間前、安倍総理大臣が、希望している日本人を帰国させたいと表明した。今、日中関係は非常にいい。総理は、中国側が日本の方針に応えてくれるという思いを持っている。ぜひ、チャーター機を入れたい。許可してほしい」

中国にしてみたら、封鎖している都市から外国人が退避するのは、いわば逃げ出すようで、国際社会へのイメージが悪い。

しかし、王毅は協力する考えを伝えた。チャーター機派遣の方針が固まった瞬間だった。

閉鎖された武漢の空港に何とかチャーター機を飛ばすことができないか、各国が手配を模索する中でのことだった。結果的に日本は、アメリカと同じタイミングでいち早くチャーター機を送り込むことに成功した。
政府関係者は、「日中関係が冷え込んでいた時代には考えられなかったことだ」と振り返る。

チャーター機、飛ぶ

電話外相会談から2日後の28日。

外交ルートの事務レベルの調整は、チャーター機が発着する時間帯などをめぐって二転三転したが、この日、中国側の最終的な許可が出た。

政府のチャーター機の第1便となる全日空ボーイング767型機には、帰国者の感染状況を確認するため、医療チームが乗り込んだ。
そしてマスクなど、中国への緊急援助物資も集めるだけ集めて積み込んだ。
その後の便で運んだ物資も合わせて、援助は、医療従事者用の高性能のものを含むマスクおよそ13万枚、医療用の防護服2万3000枚、手袋5万組、ゴーグル3万3000個に上る。
外相同士で交わした約束を日本としても果たした形となった。

午後8時半すぎ、雨が降りしきる中、チャーター機は羽田空港を離陸。帰国を希望する人が待つ武漢に飛び立った。

外交官たちの奮闘

「チーム一丸となり、文字通り不眠不休で対応しております。限界ギリギリ」
これは中国・北京にある日本大使館の、ある外交官から記者のもとに届いた電子メールだ。現地では、外交官たちがチャーター機の受け入れに奔走していた。

大使館員ら10人が26日午後、状況の緊迫化を受けて、急きょ北京から武漢に陸路で向かった。
ミッションに参加した外交官たちは、感染の危険性もあるなか、自ら手を挙げたという。

しかし、広大な中国だけに、北京から武漢までの距離およそ1200キロ。車で夜通し17時間かけて移動し、到着したのは27日早朝だった。

一方、北京に残った大使館員は、電話での外相会談の結果も踏まえ、中国側との折衝を繰り返していた。
「できるだけ早く、チャーター機を飛ばせないか」

日本側は強く要請し、話し合いは28日未明まで続いたが、中国側は「受け入れ態勢が整っていない」などとして、決まらなかった。ようやく中国側の許可が出たのは28日の午前中だった。

武漢の現場では、厳しい交通規制の中、帰国を希望する日本人たちをどのように空港に集めて、チャーター機に乗せるか、現地のホテルに設けた臨時の拠点を中心に、外交官たちが中国側との細かい調整に取り組んでいた。とにかく急がなければならない。
武漢には日本の総領事館はなく、地元政府とのつながりは無いに等しい。
そこで武漢に事務所を置くJETRO=日本貿易振興機構が動いた。

JETROの依頼で、地元で活動する日本企業がバス5台と運転手をなんとか確保。集合場所も企業などとの調整の結果、30か所設けられた。
外交官らが武漢市政府に通行許可を取り、帰国の希望者全員の住所を把握した上で、新型コロナウイルスの発生が疑われる海鮮市場近くに住む人から優先順位をつけて退避できるよう算段をつけていった。

ある外務省幹部は「チャーター機をなんとか早く飛ばせたのは、大使館幹部らが中国側と粘り強く交渉したことも大きい。一人ひとりの外交官の総力戦だった」と話した。

帰国実現

現地での外交官たちの取り組みの結果、帰国希望者206人を乗せたチャーター機の第1便は、翌29日の午前5時前、武漢の空港を飛び立った。

ちょうどわずかな時間差で、アメリカが用意したチャーター機も退避するアメリカ人外交官やその家族らを乗せて、武漢の空港を飛び立っていった。

ちなみにアメリカが用意したチャーター機は、窓のないボーイング747型の貨物機。機内では、乗務員と接触することがないよう、乗客は完全に隔離され、運ばれた先もアメリカ空軍の基地だった。

午前9時前、日本のチャーター機は羽田空港に無事到着することができた。

夜に運航のわけ

2月5日午前の時点で、チャーター機は3便運航され、合わせて565人の日本人が帰国した。

いずれも夜に羽田空港を出発し、深夜・未明に武漢に到着。
バスで空港に集められた帰国者たちは数時間、空港で待機。
そしてチャーター機は、未明・早朝に出発、日本には午前中に戻ってくる“強行軍”パターンだ。
しかし、この運航は、航空会社の関係者にとっても、帰国する人たちにとっても負担が大きい。

もともと「昼間の運航を目指している」としていたのだが、なぜそうなったのか。

政府関係者は「中国側は、どうしても夜の発着がいいようだ」とした上で、その理由をこう話す。
「中国政府は、外国人が次々に国外に脱出する様子を、自国民に見せたくないのだと思う。自国民がパニックになるのを恐れて、闇夜に紛れる時間帯を選んでいるようだ」
国内世論の動向に神経質になっている中国政府の思惑を分析した上で、政府は今回、中国を刺激するような表現を慎重に避けているとみられる。

茂木大臣は1月31日の記者会見で、中国側への気配りを忘れなかった。
「中国自身が感染拡大の防止に向けて懸命に努力する中、邦人帰国のために全面協力してくれていることに日本として高く評価している」

今後は

チャーター機3便の派遣によって、武漢やそのそばにいる希望者の帰国は、ほぼ実現できたという。

しかし現地にはまだ、およそ140人の帰国希望者が残っている。

この中には、武漢から離れた地域に住んでいて空港への移動が困難な人や、出国が認められていない中国人を配偶者に持つ日本人がいる。

国籍の問題では今回実際に、日本人の夫と生後10か月の赤ちゃんが、中国人の妻と離ればなれとなることを余儀なくされた例もあり、日本側は中国人配偶者も退避できるよう交渉を続けている。



感染拡大が続く中、外交官たちが取り組まなければならない課題は今後、増えるばかりだ。経済への影響をどう抑えていくのか、また感染拡大の防止にどう協力していくのか。

そればかりではない、2か月後の4月に予定されている、習近平国家主席の国賓としての日本訪問をどのように実現していくのかも、重い課題だ。
今回のオペレーションが、日中関係にどのような影響を与えたのか。
日中新時代の構築に向けた両国連携の象徴となったのか、その評価を下すのは、まだ先だ。
政治部記者
渡辺 信
2004年入局。釧路局、サハリン、仙台局、福島局などで勤務。現在は政治部で外務省サブキャップ。
政治部記者
山本 雄太郎
2007年入局。山口局を経て政治部。現在は外務省担当。茂木大臣の“番記者”。
政治部記者
高島 浩
2012年入局。新潟局を経て国際部。2019年8月から政治部で外務省担当。専門は中国。