遊びながら働くはずが…

遊びながら働くはずが…
滞在中、どこに住み、どこを旅行してもOK。仕事をしてもいいし、語学学校に通ってもいい。そんな自由度の高い海外ライフが送れる若者限定の制度があるのを知っていますか?日本で始まってからことしで40年を迎え、延べ50万人以上の若者を海外に送り出してきた「ワーキング・ホリデー」。ところが人気No.1のあの国で、思わぬトラブルが相次いでいたのです。
(社会部記者 馬渕安代)

南の楽園で労働搾取!?

「ワーキング・ホリデーの日本の若者が低賃金労働させられている」

去年11月のある週末、東京 丸の内のカフェで一時帰国していたオーストラリア在住の知人から聞いた話がきっかけでした。

「海外では言葉のハンデもあるし、中にはそんな人もいるだろう…」

最初はその程度の受け止めでした。しかし話を聞いていくと、被害に遭って苦しんでいる人は1人や2人ではないとのこと。事態を重く見た外務省が対策に乗り出し、オーストラリア政府も注意を呼びかけている。こんな話を聞いてしまうと放っておけないのが、記者。早速、オーストラリアでのワーキング・ホリデーの実態を調べてみることにしました。

ワーク+ホリデー

そもそもワーキング・ホリデーとはどのようなものなのか。外務省のホームページにはこう書かれています。
「二国・地域間の取決め等に基づき、各々が、相手国・地域の青少年に対し、休暇目的の入国及び滞在期間中における旅行・滞在資金を補うための付随的な就労を認める制度です」
留学(学生ビザ)だと労働が制限され、本格的に海外で働くには就労ビザが必要。でも、ワーキング・ホリデービザなら1年間フルにアルバイトしてバカンスにかかるお金や滞在費を稼げるし、海外の文化や生活を体験しながら語学も学べる。わかりやすく言うとそんな制度です。

日本人の場合、制度を利用できるのはおおむね18歳から30歳まで。留学よりも手軽に外国に滞在できるとして人気です。

日本でのスタートは1980年。まずオーストラリアから始まり、その後、ニュージーランドやカナダなど徐々に対象を増やし、2020年1月末現在で23の国や地域との間で交流が行われています。
当初900件ほどだった日本人へのワーキング・ホリデービザの発給数は、対象となる国や地域の増加とともに増え、2003年以降は2万件前後で推移しています。

一番人気はオーストラリア

渡航先を見ると、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、イギリスと、上位を占めているのはいずれも英語圏。

中でもオーストラリアはビザ発給数に上限を設けていないこともあり、ダントツの1位です。

そのオーストラリアの労働事情はというと少し複雑で、最低賃金は年齢や雇用形態などによって細かく定められています。
「なんだ、日本よりずいぶん高いじゃないか…」と思ったのですが、給与水準が高い分、物価も高いとのこと。

休日出勤すると賃金が大幅に割り増しされるなど、労働者に手厚いオーストラリアですが、専門家によると、英語力が十分でない外国人などの場合、最低賃金や残業代の支給といった法律で定められた最低限の権利やルールが守られていないケースが少なくないそうです。

日本でも外国人の低賃金労働が問題になっているけど、似たような構図か…。ワーキング・ホリデーの若者はこれから語学力を高めようという人が多く、仕事をあまり選べないため、被害に遭いやすいようです。

低賃金労働のデータを探して

あちこちで話を聞いていくと、ワーキング・ホリデーの若者が低賃金労働に従事する例は、一部の関係者の間では以前から知られていたことがわかってきました。しかし調査が行われておらず、現状がわかるデータがありません。

こうした中、ワーキング・ホリデー制度の普及や渡航者の支援をしている「日本ワーキング・ホリデー協会」が行った初めての実態調査。去年までの9年間にワーキング・ホリデーでオーストラリアに渡航した日本人を対象にインターネットを通じてアンケートを行い、当時18歳から31歳までの男女199人から回答が寄せられました。
7割近くが低賃金労働!? 労働条件を記した書面や給与明細さえ受け取っていない人もかなりの割合います。

受け取っていた報酬を時給換算で尋ねる設問を見ると。
なんと、「無報酬」という人まで。「無報酬の労働」。それはもはや労働とは呼べないのでは…。

オーストラリアの政府機関のホームページには「オーストラリアの労働関連法は外国人を含むすべての労働者を対象にしていて、滞在期間やビザの種類を問わず適用される。雇用主は労働者と最低賃金を下回る賃金で契約することはできず、労働者に給与明細を渡さなければならない。給与は食料や衣類、住居などのモノやサービスではなく金銭で支払わなければならない」と書かれているのに。

調査結果をさらに詳しく見てみると、またもや驚きの数字が。
「おかしい」と声を上げた人はごく一部。4人に3人が泣き寝入りしていたのです。

一方で、全体の13%が従事していた仕事の最低賃金を「知らなかった」と回答するなど、現地の制度や環境を十分調べないまま渡航している現状も明らかになりました。

専門家「やっぱり…」

この結果を現地の専門家はどう見るのか。ワーキング・ホリデー事情に詳しい、メルボルン大学の大石奈々准教授に聞いてみました。
メルボルン大学 大石奈々准教授
「これまで私が現地で会ってきた日本人のワーキング・ホリデーの若者のほとんどが最低賃金以下で働いていたので、今回の調査結果は率直に言って『やっぱり』という印象です。調査結果からワーキング・ホリデーで海外に渡る若者の権利意識の希薄さとともに、低い賃金でも働いてくれるワーキング・ホリデーの若者たちがいないとレストラン経営や農業などが成り立たなくなっている現状やそうした外国人を使ってコストを抑えようとしている雇用主側の思惑もかいま見えます」

なぜ「泣き寝入り」に?

なぜ多くの人は泣き寝入りしてしまうか。アンケート調査で「最低賃金以下で働いたことがある」と回答した人に話を聞くことができました。
この女性は去年8月までの1年間、ワーキング・ホリデーでオーストラリア第3の都市ブリスベンに滞在し、2つの仕事を経験しました。

渡航後はまず語学学校に4か月通い、この間に仕事探しを始めましたが、英語力が十分ではなかったため、仕事探しに苦労したといいます。

ようやく就くことができたのは、ショッピングセンターにある飲食店での仕事でした。時給は最低賃金よりも1割から2割ほど低いおよそ20豪ドル(およそ1500円)。しかも残業代が支払われず、人手不足のため連日勤務するよう求められ、肉体的にも精神的にも負担が大きかったことから2か月余りで退職しました。
友人に相談したところ、「違法なので、訴えれば確実に勝てる」と言われましたが、結局行動を起こすことができませんでした。
女性
「滞在期間が限られる中、訴えるのにかかる時間や労力を考えちゅうちょしてしまいました。雇い主は『行動を起こすより次の仕事を探したほうがいい』というこちらの事情をわかって足元を見ているような対応でした」
その後、再び仕事を探し始めましたが、ビザの期限が迫っている外国人を雇ってくれるところはなかなか見つかりません。

日本から持参したお金が底をつきかけた頃、ようやく採用面接にこぎ着けたのは、日本人が経営する日本食レストランでの接客の仕事でした。そこで示された時給は最低賃金の6割程度だったといいます。

レストランの経営者に「この条件でOKなら即採用」と言われ、受け入れざるをえませんでした。
女性
「時給の低さに驚きましたが、求人サイトを見ても最低賃金を守っているほうが少なかったし、仕事が見つからなければ帰国しなければならない状況だったので、しかたありませんでした。違法なことをやっていて、なんてひどいんだと悲しい気持ちになりましたが、当時はどこに相談すればいいのかわかりませんでした」
メルボルン大学の大石准教授が、現地の事情を解説してくれました。
メルボルン大学 大石奈々准教授
「世界各国からワーキング・ホリデーの若者が集まり、地元の若者もいるため、レストランなどのアルバイトは非常に競争率が高く、最低賃金以下でも仕事を得られればラッキーだと思ってしまう人が多いと思います。休暇目的のワーキング・ホリデーといえども、労働が許可されている以上、労働者としての権利があるのに深く考えずに渡航する人が多く、『自己責任だ』とか『自分が悪い』などと考えてしまう人が多いようです」
さらにオーストラリアの雇用主についても。
メルボルン大学 大石奈々准教授
「最低賃金を下回っていることが発覚すると雇っている側がペナルティーを受けるので、確信犯的に契約書を作らなかったり、給与明細を渡さなかったりするケースが多いと言われています。日本からの渡航者は『英語が苦手な外国人』という弱い立場にあり、救済機関があることも知らず、思いどおりに働いてくれると思われがちなのでしょう」
「泣き寝入り」の背景が、少しだけわかったような気がしました。

便利になった一方で…

これほど多くの日本人が被害に遭っているのに、なぜ出発前にリスクに気付けなかったのか。
今回の調査を行った団体ではふだんから渡航希望者を対象にセミナーを行っていて、取材に行った際も職員が「オーストラリアは最低賃金は高いですが、守らない会社もあるので、情報収集し見極める必要があります。ちゃんとした給料をもらえる仕事に就くためにも、まずは英語力を高めることが大事です」と注意を呼びかけていました。

インターネットを見ると低賃金労働に警鐘を鳴らす記事がいくつもあり、オーストラリアの政府機関のサイトにも労働制度や最低賃金などについて日本語でわかりやすく解説した動画がアップされています。その気になって調べれば、“ホリデー”の裏に潜む危うさに気付くことができそうです。

でも多くの人がひっかかってしまう。現地でこの問題に熱心に取り組み注意を呼びかけているメルボルン日本総領事館の松永一義総領事が重要な指摘をしてくれました。
メルボルン日本総領事館 松永一義総領事
「オーストラリアがなぜ人気かというと、ビザ申請がオンラインで簡単にでき、しかも数時間後にはビザが発給されるという事情があります。航空券の手配からオーストラリアでの住居の賃貸契約まで、全部インターネットで1人でできてしまう。便利な一方でワーキング・ホリデーの経験者などいろいろな人から話を聞いて注意を受ける機会が失われていることが問題点の1つとしてあると思います」

泣き寝入りせず行動を!

事態を重く見た松永総領事は、去年夏から、セミナーを開いてワーキング・ホリデーで滞在している日本人に直接注意を呼びかけ始めました。

オーストラリアでは日本の労働基準監督署にあたる政府機関の「フェアワーク・オンブズマン」が給料の未払いなどの労使間トラブルの解決を支援しています。電話での問い合わせにも応じていて、無料の通訳サービスを使えば日本語で担当者と話すこともできます。

総領事館のセミナーで「労働搾取にあった場合はフェアワーク・オンブズマンに相談すれば未払い賃金が返ってくる」と説明したところ、それを聞いた人が実際に行動を起こし、雇用主から数万円から数十万円ものお金を取り返すことに成功したケースがあるということです。

声を上げて行動を起こせば状況が改善するかもしれないのに、なかなか動こうとしない。松永総領事は他の国の総領事と意見交換する中で、同じような問題に直面した韓国人やフランス人が日本人よりもはるかに頻繁に総領事館に相談を寄せていることを知り、「日本人らしさ」が大きく影響していると考えるようになったと言います。
メルボルン日本総領事館 松永一義総領事
「外国人は自己主張が強いので問題があるとすぐに文句を言うけど、日本人は協調性を重視し、周りと争いごとを起こしたがらない。そうした日本人の特徴が強く表れていると思います。『言わぬが花』とか『沈黙は金』といった旧来の日本人の慣習を引きずっていても、外国人には理解してもらうことはできません。海外では日本と違って誰も空気を読んではくれないので、問題に遭遇しても泣き寝入りせずに何らかの行動を起こすことが重要です。1人で抱え込まず、まずは大使館・総領事館や現地の救済機関に相談してください」

最高の思い出にするために…

ワーキング・ホリデーは、若いうちにしかできない貴重な海外体験です。しかしその裏で多くの若者たちが違法な低賃金労働に追い込まれてきたのも事実。

「トラブルさえなければ、もっとすてきな思い出になったのに…」

そんな後悔をしないためにも事前にきちんとリスクを見極めて準備し、問題に遭遇したらしっかり主張して行動を起こしてほしいと思います。
社会部記者
馬渕安代