居場所を失う子どもたち

居場所を失う子どもたち
「高校に通えない子どもたちがたくさんいる」
ブラジル人労働者とその家族が多く住む島根県出雲市で取材をしていて、たびたび聞くようになりました。言葉の壁がある日本で十分な支援を受けられないまま社会に放り出され「居場所」を失っている子たちがいました。
(松江放送局記者 土屋悠志)

進学は諦めました

「高校進学を諦めて働いている日系ブラジル人がいる」と聞いて出雲市の保育園を訪ねました。
去年8月にパートとして採用された水津(みずつ)アレクシアさん(16)です。週に5日、子どもの世話のほか、洗濯や掃除など保育士を補助する仕事を任されています。園で働き始めて2か月ほどでしたが水津さんの周りにはつねに子どもたちが集まっていました。

子どもが好きで今の職場をとても気に入っていると話してくれた水津さんは将来、保育士になりたいという夢を抱くようになりました。
資格の取得のために実務経験を積みながら土日は日本語教室にも通っています。

仕事に勉強にと充実した日々を送れるようになった水津さん。来日してからこれまでの体験を少しずつ話してくれました。

人口減少が深刻な島根県で人手不足を補っているのが水津さんの両親のような外国人労働者の存在です。
水津さんも5年前、出雲市内の工場で働くことになった両親とともに来日し、地元の中学校に入学しました。ブラジルにいたら当然のように高校に進学していただろうということですが、日本での学校生活を経て中学3年の時に進路選択で出した答えは進学を諦め、働くことでした。
水津アレクシアさん
「日本語がわからなくて、日本人の生徒と仲よくなれず、大変なことがいっぱいあったんです。だから、高校に行きたいとは思わなくなりました」
中学校で何があったのか、質問に対して詳しいことは話しませんでした。ただ、たどたどしい日本語からはふだん思っていることを周りに伝えるのも簡単ではなかっただろう、ということは想像できました。

もっと助けてほしかった

中学校卒業で社会に出ることを決断した水津さんを待ち受けていたのはさらに厳しい現実でした。

まだ若い水津さんが自分に合う仕事を見つけるのは想像以上に大変でした。仕事が見つからず何もせずに家にいたり、アルバイトが見つかってもうまくいかず、すぐに辞めたりした時期が1年余り続きました。

ブラジル人の支援をしているNPOや市役所の仲介でようやく今の職場という「居場所」にたどりつくことができましたが、言葉の分からない外国人が自力で仕事を探す難しさや心細さを痛感したと言います。

もの静かな水津さんが強い口調で語ったことが印象に残りました。
水津アレクシアさん
「困ったときに、誰かにもっと助けてほしかったです。言葉が分からず、文化も違う外国人はみんな常に支えを必要としているんです」

「ひきこもり」になる子も

さらに深刻なケースがあることがわかってきました。それは来日した時点ですでに中学生以上の年齢だった場合です。小中学校までの年齢で受け皿がある子たちと違って日本に来たとたんに「居場所」を失う状況になる可能性があるからです。

「ひきこもり」になった日系ブラジル人の子がいると聞き、同じ出雲市にあるマンションの一室を訪ねました。
出迎えてくれたロペス・ヘナンさんは21歳。もう成人していました。

ロペスさんも市内の工場に勤めることになった両親とともに6年前に来日しました。当時15歳。高校1年生にあたる年齢でしたが、日本語がわからないため、日本での高校入学を諦めました。年齢的に中学校に入り直すこともできず、突如、自宅以外に「居場所」がない状態になったのです。

ブラジルでは高校に通いながら好きなゲームをいつか自分で作ることを夢見て、プログラミングの専門学校にも通っていましたが、その勉強もやめてしまいました。
ロペス・ヘナンさん
「日本語が分からなかったのでどこでプログラミングの勉強をすればよいか分からず、勉強を続けられませんでした。やっぱり日本に来るべきじゃなかったと思いました。悔しかったです」
それから3年余りの間、学ぶ意欲も働く意欲も失い、自宅にこもってアニメを見たり漫画を読んだりして過ごす日々が続きました。大好きなアニメや漫画を通じて日本語を覚えましたが、実際に使う機会があまりなくうまくしゃべることができないままでした。

気にしてくれる誰かの存在

そんなロペスさんの背中を押し、一歩踏み出すきっかけを作った人がいます。ふだんは専門学校で日本語を教えている河原由実さんです。

河原さんは3年前から出雲市内で、学校に通うことのできない外国人の若者などに、ボランティアで日本語を教える「MANABIYA(まなびや)」という活動に取り組んでいます。

ここで言葉を教える以上に大事にしているのが、近況や悩みを相手に気軽に話してもらうことだといいます。
自分の悩みや不安を話す中で、河原さんからアルバイトをしてみないかと勧められたロペスさんは近所のコンビニで働き始めました。

接客を通して地域の人たちと顔なじみになり、日本語の会話も上達しています。

まだこの先の生き方について確かな目標が定まっているわけではありませんが、「もう一度プログラマーを目指してみたらどうだろうか」「自分のようなゲーム好きが集まれるカフェを開けたら楽しいかもしれない」と少しずつ将来の夢についても考えられるようになってきたと話してくれました。
ロペス・ヘナンさん
「近くに頼れる人がいるだけですごく力になるし、そのおかげでちゃんと今、仕事を続けられています」

可能性をつぶしたくない

河原さんは「これから自立しようという大切な時期に子どもたちが孤立し、誰とも関わらないような状況はその後の人生にも大きく影響する。これからの社会を担う1人の人間の将来の可能性をつぶしてしまうことになりかねない」と心配しています。
河原由実さん
「出雲市では日本に来たことで学校に行けず、仕事もできず、家にいるだけという子が増えています。中には夜遊びに走ってしまう子もいます。本来、外国に行くということは自分の世界を広げるチャンスでもあると思います。日本にきたからこそ、こういう人に出会い、こういう経験ができたと言えるようになってほしい。そのために最も必要なのは近くの誰かが気にかけてあげることだと思っています」

置き去りにしない社会を

義務教育の年齢を過ぎた外国人の子どもたちがどこで何をしているのか?

取材していて驚いたのは中学校を卒業した瞬間、彼らの状況を把握する仕組みがなくなることでした。

小学校や中学校に通えていない「不就学」の問題が指摘され、ようやく社会の目が向けられるようになった外国人の子たちの存在と同じように、支えるための仕組み作りが求められていると思います。

国が外国人材の受け入れ拡大に向けてかじを切る中、慣れない国で言葉の壁に直面したまま置き去りにされる外国人の子どもたちはまだまだ多くいます。

「もっと助けてほしかった」「やっぱり日本に来るべきじゃなかった」という思いをなくすために、私たちにできることは何なのか。取材を続けたいと思います。
松江放送局記者
土屋悠志