“踏み絵”を踏まされるイギリス 自由貿易協定が難しいわけ

“踏み絵”を踏まされるイギリス 自由貿易協定が難しいわけ
今月末に迫ったイギリスのEU=ヨーロッパ連合からの離脱。イギリスは離脱後、激変緩和のため現在のEUとの関係を維持する「移行期間」に入ります。移行期間はことし12月末までの1年足らず。イギリスはこの間に、EUと自由貿易協定を結ばなければなりません。期間内に双方が合意できなければ、関税などが突然復活して混乱が起きる、いわゆる「合意なき離脱」と同じ状況になります。

イギリスのジョンソン首相は、移行期間を延長しない方針ですが、1年足らずで交渉をまとめるのは至難の業だとも言われています。なぜ難しいのでしょうか。

かつて、日本とEUの間の協定の締結に向けた交渉に、日本側の首席交渉官としてあたった、元外交官の横田淳さんに見方を聞きました。(国際部記者 山田奈々)

離脱で無効に 新協定が必要

イギリスはこれまで、EUの「関税同盟」や「単一市場」に加わり、域内での貿易に関税がかからず、人や資本それにサービスが原則として自由に行き来できる状況を享受してきました。

しかし、EUから離脱すると、これらを可能にしてきたEU側との協定が無効になります。さらには、EUが日本などと結んでいる貿易協定の枠組みからも締め出されることになります。
したがって、イギリスは、現状のような自由な貿易・投資の環境を維持しようとすれば、EUとの間はもちろんのこと、アメリカや日本とも新しい貿易協定を結ばなければならないのです。

交渉開始前にも相当な時間必要か

自由貿易協定は、特定の国や地域の間で、関税を下げたり投資などに関する規制をなくしたりすることで、貿易・投資の自由化を進めるための協定です。こうした協定を結ぶ交渉には、数年はかかるとも言われています。
横田淳さん
「私が担当したEUとの経済連携協定の場合は、交渉開始までに3年半くらいかかりました。例えば、自動車。日本の場合、すでに自動車関税はゼロだったので、EU側は『自分たちばかりが関税を下げるよう要求され、日本側に譲歩させるものがない』として、交渉を拒んでいました。EUは議論の中で、自動車関税を下げられないのであれば、非関税障壁と呼ばれる日本特有のさまざまな規制を緩和してほしい、日本側が先に、ある程度の規制緩和をやってくれないと交渉には入らないと言ってきたりもしました。交渉が始まる前にこういうやり取りがあるわけです」
過去に行われた貿易に関する交渉と、単純に比較することはできませんが、横田さんが交渉を担ったEUとの経済連携協定の場合には、交渉の正式開始から妥結まで5年近くかかりました。

交渉そのものに時間がかかる

さらに、交渉そのものにも時間がかかります。

横田さんは「どんな交渉でも、相手の言い分をすべて飲めばすぐにまとまります。しかし、相手の言い分ばかり聞いていては、協定を結ぶにあたって自国の国会に承認を求める際に、承認を得られなくなる可能性があります。合意の内容をバランスのとれたものにするため、当然ながら交渉には時間がかかります」と話しています。

EUを選ぶか、アメリカを選ぶか

自由貿易協定に向けたイギリスとEUの交渉が、今後どのように展開するのか、現時点ではっきりと見通すことはできません。ただ、横田さんは、交渉が困難になるのは避けられないと見ています。その要因の1つは、EUとは別にアメリカとも自由貿易協定の交渉を進めようとするイギリスが置かれる状況にあるといいます。
横田淳さん
「この交渉は、イギリスにとって“踏み絵”を踏まされる交渉になると見ています。仮に、イギリスがEUの要求をどんどん受け入れることになれば、アメリカとの交渉が難しくなるだろうと見ています。逆に、イギリスがアメリカと早く自由貿易協定を結ぶために、アメリカの要求ばかりを受け入れると、今度はEUとの交渉が難しくなるのではないでしょうか」
「例えば、すでにイギリスとEUの間で課題になった、塩素で洗ったチキンの扱いの問題があります。アメリカでは、雑菌の繁殖を防ぐためにチキンを塩素で洗っていますが、EUでは、これは人体にとって有害だとして、輸入制限の対象になっています。アメリカが、まずイギリスに対し受け入れるよう要求してくるのは、これではないかと見ています。イギリスが、この件でアメリカの要求を受け入れれば、EUは良い顔をしないでしょう」

取材を終えて

横田さんの話を聞けば聞くほど、ことしの12月末までに自由貿易協定をまとめるのは、針に糸を通すような業だと実感させられました。移行期間内に妥結できなければ、期間終了後、直ちに関税や通関の手続きが復活することになり、「合意なき離脱」と同じ状況に陥ってしまいます。
横田さんに、イギリスとEUが交渉をまとめるには何が必要かと尋ねると、「これまでの完全に自由な関係から一転して貿易機会が失われるなど、互いに痛みを伴う。その痛みに耐えきれなくなったら妥結するのではないか」と話していました。

離脱後の自由貿易交渉をめぐっては、日本もひと事ではありません。EU離脱後、イギリスがEUや各国とどのような交渉を展開するのか、目が離せない状況が続きます。
国際部記者
山田奈々
平成21年入局
長崎局、千葉局、経済部を経て現在、国際部でアメリカ、ヨーロッパを担当