『お母さん、幸せだったよ』~法廷に響いた“反論”

『お母さん、幸せだったよ』~法廷に響いた“反論”
大事な人と最後に会った時の表情、声、ぬくもりを覚えていますか。それが最後になるとわかっていたならー。その思いは当然ながら、障害のあるなしで変わるものではありません。法廷に響いたのは、私たちがこの3年半、最も伝えたかったことばでした。(障害者殺傷事件取材班)

“奇妙な姿”で現れた被告

1月10日、2回目の審理。初公判で指をかむような動作をして突然、暴れた植松聖被告は姿を見せるのか。まずそこに注目が集まりました。法廷に入ってきた被告は、ネクタイはつけていないものの黒いスーツ姿。初公判と同じ服装かと思ったやさき、両手を見て驚きました。自傷行為を防ぐための厚手の白い手袋をはめていたのです。それはまるで「鍋つかみ」のようで何とも奇妙な姿でした。

その被告に裁判長は、初公判の時のように法廷で秩序に反する行動をしないよう告げ、「はい、申し訳ありません」と小声で述べた被告が少し頭を下げて、裁判が始まりました。
私たちは後日、被告に拘置支所で接見し、暴れた理由を尋ねました。返ってきた答えは。

「ことばだけの謝罪だけでは納得できず、いちばんいい方法だと思った。考えてとった行動であり、錯乱していたわけではない。2年ほど前から考えていた」

理由はどうあれ、以降法廷では、6人の係官がずっと被告を取り囲んでいます。

受けた傷の説明だけで1時間

2回目の審理でまず始まったのは検察官による捜査報告書などの証拠の説明です。検察官は透明のケースに入れられた凶器の刃物5本を実際に提示。続いて犠牲となった19人の傷の状況や死因の説明に移りました。

犠牲者の呼び方は、漢字とアルファベットを組み合わせたもの。「甲Aさん」の傷は、「甲Bさん」の傷は、「甲Cさん」の傷は…。人によっては深さ20センチの傷を負い、抵抗した際に手などにできる「防御創」と呼ばれる傷もあったことがわかりました。

説明にかかった時間はけが人も合わせて1時間。「死者19人 負傷者26人」という事実の重さを改めて突きつけられ、メモをとるのが苦しくなる時間でした。

一貫しない『しゃべれるか』

続いて、結束バンドで拘束された施設職員の調書が順に読み上げられました。被告は襲いかかる前に入所者が話せるかどうか職員に確認していたといいます。ある職員の調書です。
「被告が『しゃべれるのか』と聞いたので、『しゃべれません』と答えました。被告は布団をはがし、中腰で包丁で数回刺しました」
一方で、その行動は一貫していませんでした。別の職員の調書です。
「実際に会話もできる人だったので『しゃべれる』と答えたのに、被告は『しゃべれないじゃん』と言って包丁を振り下ろしました」
被告は「意思疎通のできない人間は生きる価値はない」などと、差別的な考えから事件を起こしたと主張していました。それ自体が論外なのは言うまでもありませんが、裁判では被告が次第に、話ができるかどうかにかかわらず襲っていたことも見えてきました。

“意思疎通”しながら通報に

さらに、初めて明らかになった事実もありました。裁判で実名で審理されている尾野一矢さん(46)。事件で首などを刺され一時意識不明となる大けがをした1人です。その尾野さんの行動について語った職員の調書です。
「被告が逃走したあと、部屋から尾野さんが出てきました。尾野さんは『痛い』と言っていて、私は『痛いけど頑張ってね』と励ましました。『リビングにある携帯電話を取ってきて、四角いの』とお願いすると、尾野さんが持ってきてくれたので、私は結束された親指以外の指で110番通報をしました」
危機的な状況で職員と“意思疎通”しながら交わされたやり取りが、警察への通報につながっていたのです。尾野さんの父親の剛志さんは審理が終わったあと。
(剛志さん)
「きょうまで一矢は刺されたあと、そのまま気絶したかと思っていました。よくがんばったなと思ったし、本当に褒めてやりたい。女房とぼろぼろ泣きながら聞きました」

私たちも初めて知った19人全員の遺族の思い

3回目と4回目の審理では、検察官が犠牲になった19人全員の遺族の調書を朗読しました。2日間にわたって犠牲者の生前の姿、施設に入ったいきさつ、最後に会った日のこと、それぞれの遺族の悲痛な思いが1人ずつ明かされたのです。
はじめに読み上げられたのは、当初、匿名で審理されることになっていたものの、この日から名前で呼ばれることになった19歳の「美帆さん」の母親の調書。呼び方が変わったのは、母親の「娘の生きた証しを伝えたい」という希望によるものでした。母親の調書です。最後に会ったのは事件の2日前でした。
美帆さん(19歳)の母親の調書

「会いに行った際、美帆は『キャー、キャー』と大きな声を出して喜んでいましたが、10分ほどしか一緒にいられませんでした。美帆はいすに座ったままじっと私を見ていました。『また会えるから』と出てしまい仕事に向かいました。この時、もっと美帆と遊んでおけばよかった。もっと一緒にいればよかった。美帆のことは女手一つで大事に大事に育ててきました。表情豊かで、楽しい顔やうれしい顔や怒った顔をしました。私にはどの顔もとてもかわいかったです。美帆に希望をもらって生きて来られました。被告に言いたいことは、とにかく美帆をかえしてほしい。元気な状態でかえしてほしい」
法廷で「甲Bさん」と呼ばれる、40歳の女性の母親の調書です。施設に入ったいきさつも読み上げられました。
甲Bさん・40歳女性の母親の調書

「娘はすべての行為に人の助けが必要で、大変だったことも難しいこともありましたが、人なつこくかわいい存在でした。できることなら自宅で生活をともにしたかったですが、私たち夫婦が引退する世代になってしまい、娘の手助けをできなくなってしまいました」
そして、裁判員の前のモニターには、事件の2週間ほど前に最後に会った時の笑顔の写真がうつしだされました。
甲Bさん・40歳女性の母親の調書(続き)

「一時帰宅の時、大好きなピザや揚げ物を用意して食事しました。近くのカフェにも行き、小さい頃から知っている人たちにも会って喜んでいる様子でした。まさかこれが最後になるとは思っていませんでした。私たちはもう二度とこの笑顔を見ることはできなくなりました。この日が本当に家族4人が過ごした最後のときでした」
法廷で「甲Gさん」と呼ばれる46歳の女性の母親の調書です。
甲Gさん・46歳女性の母親の調書

「感情や表情が豊かで本当にかわいい娘です。小学校は特別支援学級に入りました。他の子よりゆっくりでも、娘が成長していく姿を見るのが幸せでした。小さな喜びがいくつもありました。娘が26歳の時に、さみしかったですが糖尿病などもありやまゆり園にお世話になることを決めました。最後に会ったのは7月12日で、マニキュアを塗っていてうれしそうに両手の爪を見せてくれました。娘はファッション誌を見るのが好きで、『8月6日はお祭りだね、浴衣が着れるからね』と話していました。娘は毎年、浴衣を着るのを楽しみにしており、満面の笑みで応えてくれました。娘と別れてから、もう1度浴衣を着せてあげたかったとかなわぬ思いを持っています」
法廷で「甲Lさん」と呼ばれる43歳の男性の母親の調書の内容です。最後に会ったのは、事件の16日前でした。
甲Lさん・43歳男性の母親の調書

「会うときはいつも近くの食堂で食事をとっていたので、この日もバスで食堂に行きました。息子はフライ定食と焼きそばを注文しひとりですべてを平らげて楽しそうに笑っていました。苦しい家計のなかでも息子との食事のときには奮発して注文したいものを注文させてあげました。帰りにバスを待っていると季節外れにツバメが巣をつくっていて、息子は興味津々でいつまでも見ていました。今となっては息子と一緒にいるときに神様が最後に美しい光景を見せてくれたのかなと思っています。今でも食堂やツバメのことを思い出して心が壊れてしまうような気持ちになります」
そして、息子の遺体と対面した時のことについて。
甲Lさん・43歳男性の母親の調書(続き)

「息子に会えて顔をのぞき込むと、口を少し開けて笑っているような表情をしていました。『いままでありがとうね。お母さんは生まれてきてくれて幸せだったよ』と話しました」
法廷で「甲Sさん」と呼ばれる43歳の男性の母親の調書です。
甲Sさん・43歳男性の母親の調書

「夫の病気が悪化し、息子を入所させることが決まったのですが、その日が来る前に夫が亡くなりました。息子と離れるのはつらいと思いましたが、私も生活のために働きに出ないといけなくて、苦渋の決断をせざるをえませんでした。私は息子を愛しています。息子と一緒に過ごせて本当に幸せでした。生まれ変わっても、また私の子になってほしい。ずっと天国から見守っていてね。幸せをたくさんくれてありがとう」
どの調書からも、犠牲になった19人が家族から深く愛され、それぞれ豊かな人生を歩んでいたことがうかがえました。また、そうした大切な家族を施設に預けることは、悩んだ末の選択だったこともわかりました。一緒に住んでいなくても、家族が強い絆で結ばれていることを感じさせる遺族のことばが続きました。

被告の主張への“反論”と厳しい処罰感情

また、多くの遺族が被告の差別的な主張を否定することばを発し、厳しい処罰感情を示していました。
法廷で「甲Eさん」と呼ばれる60歳の女性の弟の調書の内容です。
甲Eさん・60歳女性の弟の調書

「被告は『障害者は不幸をつくる』という差別思想から事件を起こしたと言いますが、家族の苦しみ、一緒に暮らしていた家族の幸せをどれだけ分かっているのかと思います。悔い改めるよう厳重に処罰されてほしい」
法廷で「甲Nさん」と呼ばれる、66歳の男性の姉の調書の内容です。
甲Nさん・66歳男性の姉の調書

「『障害者は価値がなく死んだ方が日本のためだ』と話していると聞きましたが、自分がしたことを反省せず、日本の福祉制度や私たちのような家族のためだと言わんばかりで、被告への憎悪が募るばかりです」
こうしたことばを、被告はどう受け止めたのか。遺族の調書が読み上げられる間、時おり首をだるそうに動かすなどしていましたが、表情を変えることはほとんどありませんでした。

差別がなくなることを…

そして法廷で「甲Mさん」と呼ばれるラジオが大好きだったという66歳の男性の兄の調書の内容です。そこには痛切な願いがつづられていました。
甲Mさん・66歳男性の兄の調書

「被告1人を死刑にすることでは解決できない。障害者への差別がなくなることを願うばかりです」

法廷に響いた私たちがいちばん届けたかった“ことば”

これまで私たちは、「施設で暮らす重度の知的障害者」、「匿名の19人」というくくりではなく、それぞれに豊かな個性と奪われてはならない人生があったことを伝えたいと、この3年半、取材を重ねてきました。それが被告の差別的な主張に対じすることになると考えてきたからです。ですが一部のご遺族からは亡くなった方の生前の姿や思いについて伺えたものの、どんな人柄だったのか、家族がどんな思いでいるのかほとんど分からない方もいました。

法廷に静かに響いた、被告への“反論”とも言えることばの数々は、私たちがいちばん伝えたかったことでした。
審理で明らかにされたご遺族の調書の内容は、NHKの特設サイト「19のいのち」でも詳しくお伝えしていく予定です。