しあわせ運べるように

しあわせ運べるように
当時、私も小学5年生の神戸の子どもだった。
阪神・淡路大震災から25年。
風化は避けられないのかもしれない。
しかしこの歌には、不思議な力がある。
どのように生まれ、歌い継がれてきたのか。
大人になった今、作者に聞いてみたいと思った。
そして、伝えたいと思った。
(大阪放送局報道部記者 友澤 聡)

こころ動かす歌

大震災から25年となる17日。
SNSでは、地元の人たちが歌い継いできたこの歌に、再び心を動かされたという投稿が多くみられました。
「ラジオでずっと流れてて心にくるわ。
 震災と同い年で神戸の子やから
 昔から何度もチャリティーとかで歌ったの覚えてるわ」
「これ毎年歌ってたなぁ 思い出す度に泣きそうになる」
「日付が今日になった瞬間に母と2人で歌いました。
 忘れちゃいけないね」

避難先で生まれた歌

「しあわせ運べるように」を作詞・作曲したのは、神戸市の小学校の音楽教諭の臼井真さん。

「『ドッ、ドッ、ドッ』という地鳴りが聞こえた後、突然、電気が消えたと思った瞬間、激しい揺れに襲われた」

臼井さんは25年前の地震の瞬間を、今も忘れることはないといいます。
神戸市内にあった2階建ての自宅は1階部分が押しつぶされましたが、臼井さんは直前に1階で食事を終え、偶然、2階に移動していたため命を救われました。
自宅を失い、親戚の家に身を寄せながらも、避難所となった勤務先の学校で、その運営にあたる毎日が続きました。
「音楽の先生なんて何の役にも立たない」
先の見えない状況に、精神的にも追い込まれていたといいます。
震災から2週間後の夜。
テレビに映し出された神戸の中心部・三宮の壊滅的な被害の様子が、臼井さんの目に飛び込んできたとき、生まれ育った神戸の街への思いが突然、込み上げてきたのだといいます。

「地震にも負けない 強い心をもって」

「傷ついた神戸を元の姿にもどそう」
避難先の親戚の家にあった紙の裏に、忘れないよう歌詞とカタカナの音階を一気に走り書きし、わずか10分で書き上げました。
「しあわせ運べるように」
     作詞・作曲 臼井 真

1、地震にも負けない 

  強い心をもって
  亡くなった方々のぶんも 
  毎日を大切に生きてゆこう
  傷ついた神戸を 
  元の姿にもどそう
  支え合う心と明日への
  希望を胸に
  響きわたれ ぼくたちの歌 
  生まれ変わる 神戸のまちに
  届けたい わたしたちの歌 
  しあわせ運べるように

2、地震にも負けない 
  強い絆をつくり
  亡くなった方々のぶんも 
  毎日を大切に生きてゆこう
  傷ついた神戸を 
  元の姿にもどそう
  やさしい春の光のような
  未来を夢み
  響きわたれ ぼくたちの歌
  生まれ変わる 神戸のまちに
  届けたい わたしたちの歌 
  しあわせ運べるように
  
  届けたい わたしたちの歌 
  しあわせ運べるように

歌は避難所から全国へ

臼井さんの頭の中には、この歌を子どもたちが避難所にいる被災者に向かって歌うという明確なイメージがありました。

「響きわたれ ぼくたちの歌」

「生まれ変わる 神戸のまちに」
前向きな歌詞が並んでいるのは、子どもたちの歌声なら、希望を失った被災者を勇気づけられるかもしれないと思ったからでした。
そして震災から1か月後。
まだ避難所だった学校で、子どもたちがこの歌を披露したとき、涙を流す被災者の姿がありました。
「子どもたちの清らかな声を聞いて多くの方が涙を流していたので、この歌は届くかもしれないという実感が少しありました。子どもたちの声は希望に満ちていて、子どもの存在自体が未来を担う希望だったと思うんです。歌を披露したとき、役に立たない自分にもできることがあったと思えました」
当時、臼井さんと同じ学校に勤めていた同僚の山本直子さんは今、市内の小学校で校長を務めています。この歌を聞いて励まされる被災者の姿を間近で見てきました。
「家も仕事も失って、勇気も意欲もなくなっていた大人たちにとって、小学校にいる子どもたちは希望の光で、この子たちのために『また頑張らなあかん』という思いを持たせてくれた歌だと思います。やっぱり歌の力ってあるなと思いました」
歌は近くの学校から徐々に広がり、やがて震災の追悼式典でも歌われるようになりました。
神戸市のすべての公立の小中学校で教えられ、いつしか “復興への希望の歌” と呼ばれるようになりました。
さらに、東日本大震災など各地で災害が起こるたびに、被災地に届けられました。

震災を知らない世代へ

1月17日が近づくと、毎年、路上ライブなどで、この歌を歌う女性がいます。
神戸出身のシンガーソングライター、優利香さんです。
なぜ、彼女は歌うのか。
震災の10か月後に生まれた優利香さんは “震災を知らない世代” です。
小学校の授業で震災を学び、あちこちから火の手が上がり、いくつものビルが倒れた街の写真に衝撃を受けました。
そして、この歌に出会ったとき、すっと心に響き、震災を初めて自分のこととして考えられるようになったといいます。
「震災を知らない子どもたちみたいな言われ方もするんですけど、知らないし、経験していないからといって、何も感じてないわけではなく、泣きながら『しあわせ運べるように』を歌ったり、真剣に授業を聞いたりして、神戸の子どもたちは、みんなひとりひとりが、阪神・淡路大震災に対しての思いを、ちゃんと胸に持ってると思っています」
この冬も夜の路上で、ギターを手に「しあわせ運べるように」を歌う優利香さんの姿がありました。
透明感のある伸びやかな歌声で、一つ一つの歌詞を大切に歌う姿に多くの人が足を止めていました。
優利香さん
「多くの人が亡くなった震災のことを忘れないでほしいのと、今の神戸の街がめっちゃきれいになって元どおりになっているのは、努力してきた人がいっぱいいるからだということも、ちょっとでも伝えられたらいいなと思います」

作者の思い

作者の臼井さんは、来年で定年を迎えますが、歌に込めた思いをひとりでも多くの子どもたちに伝えたいと、今も精力的に各地の学校を回っています。
伝えたい大切な思いを、子どもたちに託しているのだと言います。
臼井さん
「地震で、生きたくても、生きることができなかった多くの方々が、いたんだよっていうことを、思い返してほしいし、この歌と一緒に、阪神・淡路大震災の記憶を次の世代に伝えていってくれたらうれしいなと考えています」

♪しあわせ運べるように♪

取材を終えて

震災からまもなかった子どものころ、この歌の歌詞に戸惑いを覚えたこともあった。
「亡くなった方々の分も毎日を大切に」。
多くの人が命を失った震災に、まだ向き合うことができていなかったのかもしれない。
あれから25年がたち、神戸を離れていた私は転勤で再び関西に戻り、この歌がずっと歌い継がれてきたことを知った。
今ならば、歌詞に込められた思いを受け止めることができる。
私も、次の世代に伝えていきたいと思う。