“命を奪う溝”をなくして!遺族の声が国を動かす

“命を奪う溝”をなくして!遺族の声が国を動かす
「夫の死はむだにはならなかった」。用水路の事故で家族3人を亡くした遺族は私たちの取材に涙ながらにこう語りました。全国の住宅地などにある用水路や側溝で去年1年間に少なくとも2000人以上が死傷しています。こうした実態を受け、国は都道府県が行う用水路事故の対策費用を全額補助する事業を来年度から始めることになりました。「落ちたほうが悪い」と言われることさえもあった用水路事故。対策に向けた大きな一歩となりました。(用水路事故取材班/富山局記者 佐伯麻里・中谷圭佑)

“用水路で人が亡くなるのは日常茶飯事”

私たちが用水路事故の取材を始めたのは3年前。当時は、“用水路事故”ということばもあまり知られていないと感じました。1か月に何人もの方が用水路で亡くなっていましたが、警察や行政の関係者からは「用水路で人が亡くなるのなんて日常茶飯事だろう。なぜ取材しているのか」と言われることも多くありました。

しかし、これだけ多くの人が亡くなっている事故の原因を突き止めたいと富山県内で起きたすべての死亡事故の現場に足を運びました。専門家に協力を依頼し、事故を分析すると、幅が狭い用水路でも死亡事故が起きていること、死者の多くを高齢者が占めている一方、幼い子どもも命を落としていることが分かってきました。

一見危険には見えない幅が狭い用水路では、転落すると体が水をせき止め、溺れて亡くなってしまったり、転倒した際に水を飲み込んでパニックになり抜け出すことができなくなったりします。また、高齢者や幼い子どもはふんばる力が弱く、流れが速い用水路では長い距離を流されて亡くなってしまうことも分かりました。

対策なぜ進まない?

なぜ、多くの人が亡くなっているのに、柵やふたの設置といった対策が進まないのか。取材を続けると、用水路を所有・管理する主体に課題があるという現状が浮かび上がってきました。

用水路は国や市町村が管理しているものもあれば、地域によっては土地改良区が多くの用水路を管理しています。土地改良区は農地を維持することを目的に、周辺の農家が資金を出し合って運営している団体です。
富山県内では去年8月、69歳の男性が柵やふたが設置されていない用水路に転落して死亡しました。現場は、車の交通量が多い県道沿いの用水路で、男性が自転車で帰宅しようとしていたときの事故でした。
「大変痛ましい事故が起きましたが、正直なところ土地改良区としては危険性を認識していませんでした」
この土地改良区が管理する用水路はあわせて440キロメートル。職員3人ですべての危険箇所を把握することはできません。さらに用水路の安全対策に回す予算も全く足りません。

財政的に厳しい土地改良区を支援しようと、国は平成29年度から土地改良区が安全対策を行う際、費用の一部を補助する事業を始めました。しかし、この事業でも土地改良区は事業費の40%を負担しなければなりません。

結局、農家に追加でお金を出してもらうよう求めざるをえず、理解を得ることが難しいという根本的な問題は残されたままでした。

国が初めての対策へ

こうした中、国の来年度の当初予算案に都道府県が主導する対策の全額を補助する事業が初めて盛り込まれました。国が動いたきっかけとなったのは「二度と同じような事故は起きてほしくない」という遺族の声や特に事故が多い富山県や新潟県からの要望です。

予算案では市町村や土地改良区が管理する用水路でも、台風や豪雨で道路との境が分かりにくくなるなど転落する危険性が高い場所については対策費用の全額が補助されます。今のところ来年度1年間の事業ですが、都道府県主導で用水路の安全対策が進むことが期待されます。
「国が用水路事故は用水路を所有する土地改良区や地域だけの問題ではなく、“社会全体の問題”として認識したという意味をもつ。これまで用水路事故で多くの子どもや高齢者が命を落としてきた。こういった歴史を繰り返さないように、この予算を活用して対策を進めてほしい」

地球10周分の用水路

ただ、農林水産省によりますと、全国の総延長は地球10周分にあたる40万キロにも及ぶとされています。国の新たな事業を活用する都道府県が危険性・緊急性が高いと判断した用水路から対策が進められることになります。規模が小さな用水路などすべての危険箇所ですぐに対策が始まるわけではありません。

悲惨な用水路事故 減らすために

夫と父親、姉の家族3人を用水路の事故で亡くした富山県入善町の米原淳子さん。「なぜ、夫を用水路で失うことになったのか今も現実を受け止められていない」と私たちの取材に話してくれました。
子育てをしながら共働きで忙しくしていた日々。子育てを終え、これから楽しみにしていた夫との生活を一瞬にして失いました。米原さんがつらい胸の内を語ってくれるのは「もうこんな思いをする人をなくしてほしい」という切実な思いからです。

用水路事故の取材を通じて私たちは米原さんをはじめ多くの遺族の悲しみに触れてきました。今回、国が大きな一歩を踏み出しましたが、柵やふたの設置といったハード対策と同時に、用水路事故の遺族の声を伝え、危険性を知ってもらうことが大切だと感じています。
全国でも事故が多い富山県は、来年から春と秋の2回、啓発月間を定めて危険性を周知する活動を強化することにしています。身近な用水路で命を落とす悲惨な事故が繰り返されることがないよう、今後も取材を続け伝えていきたいと思います。
富山局 記者
佐伯 麻里
富山局 記者
中谷 圭佑