中村哲さん 知られざる“無垢な” 素顔

中村哲さん 知られざる“無垢な” 素顔
アフガニスタンで人道支援と復興に携わってきた医師の中村哲さんが銃撃されて死亡しました。中村さんと長年の親交があった歌手の加藤登紀子さんは、ある時、中村さんが嗚咽して泣いたことが忘れられないと話しました。加藤さんの話からは、つらい思いや迷いを乗り越えながら支援活動に当たってきた中村さんの素顔が見えてきました。
(週刊まるわかりニュース 井上二郎 近藤伸郎)
(井上キャスター)
中村哲さん死去の一報を聞いた時、どう思われましたか。

(加藤登紀子さん)
本当に心臓が止まりそうでした。ショックで。

中村哲さんとの出会い

(加藤登紀子さん)
2001年に9・11のテロがあったでしょ。ニュースで哲さんが、アフガニスタンからのメッセージということで「砂漠の上に爆弾を落とすのはやめてもらいたい、そこには人々が生きているんだ」と言っていました。9・11のテロで、みんなすごくショックを受けているときに、たまたま日本に帰国していた哲さんがニュース番組にお出になって「テロリストを爆撃で殺せばいいんだっていう、この答えの出し方は最悪です」とおっしゃいました。このメッセージは、たくさんの人に伝わったと思います。ただ、肝心の爆撃する人たちの耳には届かなかったので悔しいですね。私、毎年末にコンサートで募金活動をしているんですけど、その年の年末に、アフガニスタンで緑を増やし、水をなんとかしようとしている中村哲さんにお会いしようと、声をかけたのがはじまりです。その翌年に日本に帰られていた哲さんとお会いして、それから毎年、年末ごとに応援してきました。日本に来られて講演会をなさるときには駆けつけて、歌ったりしてきました。

“無垢な感じ” ひきつけられる中村さんの人柄

(井上キャスター)
「哲さん」「トキさん」と呼び合う間柄だったんですか。

(加藤登紀子さん)
そうですね。ちょっと私の方が年上なので。子どものようなところがあるんですよね。もちろん、地球上に業績をのこした偉大な人物として、未来に語り継がれるべき人だと思うんですけれど、実際には、うれしかったり、寂しかったり、辛かったり、迷ったりっていう人なんですよね。その無垢な感じが伝わってくる人で。優しい目を見ていると、抱きしめたくなるような可愛い人だと感じていましたね。

(井上キャスター)
具体的にそう思った瞬間など、エピソードはありますか。

(加藤登紀子さん)
一度、写真を撮ろうとしたときに、哲さんとは「やっぱり地面の上にべたっと座らないとだめね」と話したんです。両方ともきれいな格好をしていたときだったんですけど、地面に座って。そのときに、すごくうれしそうな顔になって。やっぱり背広なんか似合わないんです。私は残念ながらアフガニスタンまで応援に行けなかったんですけど、アフガニスタンの土の上に座って、砂漠でふたりで語り合いたかったなと思っています。

「メリークリスマス」で見せた心の内側

(加藤登紀子さん)
とても印象に残っているのは、2009年のクリスマスイブに「じゃあ哲さんに電話してみようか」ということになったんですよ。ペシャワール会の人たちと皆で「哲さんに電話しちゃおう」って。電話して「もしもし、メリークリスマス」って私が言ったんですね。そうしたら、しばらく応答がないんです。遠いから、どうしたのかと思っていたら、しばらくたって「トキさん、僕ね、クリスチャンだよ、実は」とおっしゃったんですね。泣いていたなと、受話器の向こうでね。とっさに軽い気持ちで「メリークリスマス」と言ったんですけど、哲さんは泣いているなと思いました。その時に、クリスチャンだったけれどイスラム圏の人たちの中で大きな信頼を得て、彼らのために命を賭けている、その哲さんの心の中のいろんなことが伝わってきた気がしたんです。その時の一瞬の嗚咽している瞬間が忘れられないですね。

(井上キャスター)
それは「つらさ」なんでしょうか。それとも、何か別のものがあったのでしょうか。

(加藤登紀子さん)
現地では「メリークリスマス」はないわけだから、虚を突かれたというか。いろんなことを根本から乗り越えて、そして人の命を助けなければならない。哲さんの根底にある決意のすごさが、一瞬にして伝わってきた気がしましたね。

(井上キャスター)
いろんな緊張状態とか、自分が何かしないといけないという思いとか、そういうものが一気に出てきた嗚咽と涙だったのかなと、聞いていて思いました。

(加藤登紀子さん)
そういうことについては一切語らない方でしたので、その瞬間というのは私の中では大きな、大切な思い出となっています。若い人がたくさんボランティアに行くようになって、たいへん喜んでいらしたんですけれども、アフガニスタンでともに活動していた伊藤和也さんが、2008年に銃撃されて亡くなったときに「これからは一切、日本の人は僕以外現地に入れない」「もう一切危険なところに若者を行かせるわけにいかない」と、自分ひとりで体を張っていく決意を示された。彼のなかで、もう一段階深い決意に突入したときだったでしょうね。

武器を持つよりも大切なこと

(井上キャスター)
どうして中村さんは、あれだけ危険な地域に行っていたとお考えになりますか。

(加藤登紀子さん)
現地で直面した人たちのあまりの生活の過酷さですね。何度も何度も足を運んでいるうちに、命を賭けることになったということなので。何かすごく大げさな、大上段に振りかざした何かではなくて、目の前にいる人を助けたいという思いが、ずっと繋がってきたと思いますね。
(井上キャスター)
私を含めてアフガニスタンは遠い国と思いがちですが、中村さんの遺志を継ぐために、私たちには何が必要でしょうか。

(加藤登紀子さん)
2001年9・11テロのあとに爆撃という方法をとって、生活が危機に瀕していたアフガニスタンという国で、武器を持って戦う人たちを育ててきてしまった。だからもう一度、世界中の人たちが「これは解決にならないね」「このままじゃ大変なことになる」と思わなければなりません。事態は深刻だと思います。空に鉄砲が飛ぼうと、人々は毎日ごはんを食べて生きなくちゃならない、家がなくちゃならない、村がなくちゃならないでしょ。「淡々と続けることが大事なんです」と、哲さんはおっしゃっていました。そういう意味では世界を変えないといけないし、これから武器を持って戦おうとする人たちにどう伝えていくのかが、大きな課題だと思います。村に戻ってきた人たち、農業を営んでいる人たち、一生懸命毎日生きている人たちが安心して、それを続けていけるように、応援していかないといけないのではないでしょうか。
(井上キャスター)
中村さんの生き方からどういうメッセージを受け取ればいいと思いますか。

(加藤登紀子さん)
やっぱり武器を持つよりも人々と信頼関係が生まれることの方が何より大事で、それが自分の身を守ってくれる。どんなに時代が混乱しても、絶対に光に向かっていく。命を守っていく、それが大事な道だと見つけてね。のびのびと明るい気持ちで前に向かわないといけない。それを哲さんは、周りの人に伝えてきたと思うんですよ。そのことが、こんな形で答えが出てしまったのが本当に悔しいし、残念です。

(井上キャスター)
中村さんの夢は何だったと、加藤さんは考えますか。

(加藤登紀子さん)
それは「毎日、毎日」だったと思います。皆がちゃんと耕して、ごはんが食べられて、戦争をしなくてよくて。根本的にはみんな同じようには思っているはずなんですけど、「毎日、毎日」が目の前で起こっていくわけだから。ああよかったな、きょうは無事でよかったね、きょうここでこの花が咲いたね、緑がなかったところに緑が戻ってきたね。そういう小さな答えを1つずつ、彼は夢として見ていたと思います。
週刊まるわかりニュースキャスター
井上二郎
平成10年入局。命にまつわる多くのニュースを伝え、沖縄局などで戦争や平和についての取材を重ねた。
週刊まるわかりニュースディレクター
近藤伸郎
平成25年入局。広島局で被爆関連の取材、岡山局ではハンセン病関連の番組を制作した。