せめてハザードマップを聞かせてほしい

せめてハザードマップを聞かせてほしい
西日本豪雨で、携帯電話に避難を促すメッセージが届いても家にとどまるしかなかった女性がいます。

「途中で転んだらどうしよう」「木が道路をふさいでいたら」

その後、各地を豪雨が襲う中、災害に向き合わなければと女性は声をあげました。「ハザードマップを聞かせてほしい」女性は視覚障害者でした。

(広島局 記者 秦康恵)

家にとどまるしかなかったあの日

去年7月の西日本豪雨で、災害関連死を含め28人が犠牲になった広島県呉市。
この街で1人で暮らしている鎌倉典子さん(71)は、携帯電話の音声に押しつぶされそうになりながらあの日を過ごしていました。

「呉市からの避難情報です」

市内各地に相次いで避難勧告が出されたことを知らせる音声。でも視覚障害者の鎌倉さんにとって、外に出ることは危険です。

「頭に入っているふだんの道路の様子がいつもと違ったら」
「もしかしたら冠水しているかもしれない」
「木が道路をふさいでいたらどうしよう」
「滑って転んだら…」

そう考えると、家にとどまる以外の選択肢はありませんでした。
鎌倉典子さん
「携帯が何回も鳴るけれど、画面は見られないし、精神的に圧迫感を感じました。怖くて心細くて、でもこの雨の中じゃ避難できないよねと。心細くて怖かったです」

ふだんと違うことは、怖い

鎌倉さんは、網膜色素変性症がここ10年ほどで急激に悪化しました。視野が極端に狭くなり、視力もかすかに残るだけです。

紫外線が目に悪いため、出かけるときはサングラスをかけ白い杖を左右に振って、障害物や段差を確認しながら慎重に歩を進めます。
「ここにはカーブがある」
「ガードレールがある」
「ここは側溝のふたに沿っていけばいい」

道路の様子や建物の位置をだいたい頭に入れていますが、大雨で道路の状況が変わっていたり車が止まったりしていれば、頭の中の風景は未知の世界に一変するのです。

避難できたとしても…

鎌倉さんが避難することをためらったのは、もう1つ理由がありました。
鎌倉典子さん
「避難所にみなさん横になっていますよね。ああいう中をトイレに行きたいとか何か用事があったときに、みなさんの間を縫って白い杖を左右に振りながら歩くことはとても困難なことなんです。みんな困っているんだから、そのうえ私のことを『お願いします』なんて言えないよねと思って。心細く思いながら家にいるほうがいいかと思いました」

避難した人は“ゼロ”

西日本豪雨から3か月あまり経った去年10月下旬。
鎌倉さんは視覚障害者協会の集まりで、17人の会員たちに豪雨の時、避難したかどうか聞いてみました。
すると、避難した人は「ゼロ」でした。
そして自分と同じように避難することへの不安を口々に訴えました。

「避難しなさいと言われても、外出するのが難しいのに避難所に1人ではとても行けません」

「避難してもトイレに行くのも困るし、豪雨災害のときにはボランティアの方も自分のところが大ごとですから、手をとって誘導してくださらないはず」

“せめてハザードマップを聞かせてほしい”

その後も日本各地で相次いだ台風や豪雨。鎌倉さんはテレビやラジオから流れるある「ことば」が耳にとまりました。

「ハザードマップにあるように」
「ハザードマップを見れば危険なところが分かります」

ふだん、生活に必要な地図は記憶として覚えている鎌倉さん。
見たことない地図がどうしても気になりました。

「せめてハザードマップを聞かせてほしい」

避難についての思いや悩みが募る中、ハザードマップを知ることが現状から一歩踏み出すきっかけになると思ったのです。

地図を読み伝える試み

頼ったのは、朗読ボランティアのグループ。ふだんは、視覚障害者のために本や市政だよりを朗読してCDに録音しています。

代表の山本なおみさんは、鎌倉さんから「ハザードマップを読んでほしい」と頼まれたとき、戸惑いました。
山本なおみさん
「図になっているものを読むことはできないと思いました。ただ、鎌倉さんと話すうちに、『切実なんだなあ』と感じ、命に関わることでもあるし、やるしかないと思いました」
山本さんは、ハザードマップのなかのどの情報を伝えればよいか考え、住んでいる地域の様子、自宅が危険かどうか、近くの避難所の3つを読むことにしました。

そして、視覚障害者協会の会員およそ40人の自宅を住宅地図で調べ、ハザードマップに落とし込んで行きました。

そのうえで1人1人の自宅の危険性がわかるようCDに録音し、会員の自宅に郵送しました。

ちなみにハザードマップは音声にするとこんな感じです。
「東地区はほぼ全域が土砂災害警戒区域です。西町6-6あたりは土砂災害警戒区域です。いちばん近い避難所は南小学校です。ただし、土砂災害のときは2階以上に避難してください」(※地区名は架空です)

初めて“聞いた”ハザードマップ

ことし8月、ハザードマップを初めて聞いた鎌倉さん。
自宅は土砂災害の警戒区域に入っていませんでしたが、多くの会員が危険な地域に住んでいることがわかりました。
鎌倉典子さん
「ここは危ないぞっていうのが分かっていれば、その心構えも違いますし避難のしかたも違うと思うんですよね。知らないっていうことは怖いことだなと思いました。みなさんの避難のスイッチをちょっとつつくことができたかな」
視覚障害者協会の会員たちもこのハザードマップを聞きました。
避難をすることを少し前向きに考え始めたようでした。
視覚障害者の男性
「私の自宅と、その周りの様子を急傾斜地が近くにあるとか説明を加えてあるので非常によく分かって参考になりました」
視覚障害者の女性
「大丈夫だと思っていたんですよね。だけど読んでいただいたのを聞いて、考えて準備をいろいろしていこうと思いました」

避難の手助け 公的支援が進まない現実

鎌倉さんたちのように避難に手助けが必要な人たちへの公的な支援は進んでいるのでしょうか?

国は、東日本大震災で、多くの障害者やお年寄りが犠牲になったことを受けて災害対策基本法を改正し、平成26年から各自治体に「要支援者」の名前や住所などをまとめた名簿の作成を義務づけました。

鎌倉さんの住む呉市も「要支援者名簿」を作成し、自治会や警察・消防、それに、民生委員などに渡しています。

市内で「要支援者名簿」に登録されているのはおよそ2400人で、鎌倉さんもその1人だと言います。

しかし、去年の西日本豪雨のときも、ことしの台風のときも、鎌倉さんには誰からも、何の連絡もありませんでした。

呉市視覚障害者協会の会員のなかには、「『避難してください』とは言われたが、1人ではできないので結局、避難しなかった」と話す人もいました。
呉市の担当者に聞いてみると、「いつ誰が誰に連絡をしてどう避難を支援するかという個別の計画はほとんど作られていません」という答えが返ってきました。

要支援者ごとに具体的な避難方法を記載した個別の計画の策定は、自治体が自治会や自主防災会などと協力して進めることになっていますが、その責任の重さなどから策定が進まない現実があります。呉市だけでなく全国の多くの自治体が直面している課題です。
呉市危機管理課
「肩を貸してもらえれば避難できるという人は地域で助け合ってもらいたいが、全く動けない人の支援は地域では限界があります。障害者や高齢者の支援をすべて地域に任せるのは酷です。どうしたらいいかいま必死に考えています」

視覚障害者の切実な思いにも耳を傾けてほしい

「せめてハザードマップを聞かせてほしい」

鎌倉さんたちがようやく声にした切実な願いは、災害が多発するこの国で避難に支援が必要な人たちが置かれた現実を私たちに問いかけています。
鎌倉典子さん
「ちょっとでも視覚障害者の方へ目を向けてもらいたいなという発信の第一歩なんです。災害時の不安な状況では、人のことまで気にしていられないというのが本心だと思うんです。だから心苦しいんです。ただ、『豪雨災害のとき、視覚障害者はこんな思いだったんだよ』ということに少しでも耳を傾けていただいて、ちょっと温かく声をかけてくれたら、どんなにうれしいかと思います」
広島局 記者
秦康恵