18歳、表現の自由を考える

18歳、表現の自由を考える
テレビ、新聞、SNS。
最近、いろんなところで、このことばを見聞きすると思いませんか?
「表現の自由」
話題になったきっかけは、すっかり有名になった「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」。
慰安婦問題を象徴する少女像などの展示をめぐって、激しい議論が繰り広げられました。
「表現の自由って、何?」
「なんで、そんなに大切なの?」

最近、そんな難しい問いに向き合った青年がいました。
これまで、表現の自由の大切さなんて考えたこともなかった、18歳の大学1年生。
自分なりの答えを、見つけたみたいです。(岡山放送局記者 周英煥)

18歳が抱いたギモン

(あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」について)

<河村たかし 名古屋市長>
日本人の心を踏みにじるものだ 即刻中止していただきたい”
<「あいちトリエンナーレ」芸術監督 津田大介さん>
“行政としてこの表現が認められないというのは検閲に当たる
(川崎市での映画祭で慰安婦テーマの映画の上演が中止になったことについて)
<映画監督 是枝裕和さん>
“映画祭の死を意味する”
“主催する立場の人としてはあってはならない、あるまじき判断だ
ここ最近、表現の自由をめぐって交わされたことばの数々です。

激しいことばが相次ぎましたが、そもそも、表現の自由って、どうしてそんなに大切なんでしょうか?
それを考えたのがこの人、藤本貫太郎さん、18歳。
岡山大学の1年生です。趣味はサッカー。
大学ではグリークラブに所属しています。

彼が表現の自由を考えることになったきっかけは、大学での講義でした。
藤本さんが所属している「グローバル・ディスカバリー・プログラム」では、毎回、30人ほどの学生がさまざまなテーマで討論を行う講義があります。

10月、担当の准教授が、あるチラシを藤本さんたちに見せました。
手にしているのは、東京・小平市にある在日コリアンの歌劇団、「金剛山歌劇団」の公演のチラシです。

60年以上の歴史を持ち日本各地を回って、歌や踊りを披露しているこの歌劇団。
討論のテーマになったのは、13年前、歌劇団の公演をめぐって起きた、ある争いでした。

2006年10月、岡山県倉敷市で開かれることになっていた歌劇団の公演。
会場に予定されていたのは、倉敷市が管理する市民会館でした。

しかし、公演の10日前になって、倉敷市が、使用許可を取り消したと発表したのです。
右翼団体による抗議活動のほか、北朝鮮の核実験を受けて、過激な妨害活動が起こることも考えられ、施設の管理に支障が出るというのが、その理由でした。

公演の実行委員会は、許可取り消しの撤回を裁判所に申し立て、認められました。
このとき、焦点になったのが、表現の自由でした。
その時の決定文です。

倉敷市の決定は「表現の自由を制約」し、「重大な損害」をもたらすなどと指摘したのです。

講義での、討論のテーマは、この裁判所の判断に賛成か、反対か、というものでした。

皆さんは、どう思うでしょうか。
学生たちの意見はどうだったかというと…。
「誰からも愛される芸術をつくるのというのは難しい。表現の自由がなかったら、きっと芸術は発展しなくなってしまう」(2年生の女子
「今の常識が将来の常識とは限らない。世の中が変化を続けるためにも、いまは無視されるような表現も、1つの“刺激”として取り入れられるべきだ」(2年生の女子
「抗議やヘイトスピーチをする人たちは芸術の内容を見ていないと思う。まずは会場に行ってから、意見を言うべきだ」(1年生の女子
しっかりした意見ばかりで、取材している私も、驚くとともに頭が下がりました。

このように、多かったのは、裁判所の判断を肯定する意見。
でも、藤本さんの意見はちょっと違いました。
「公の施設を使う以上、たくさんの抗議が寄せられている公演は取りやめるべきなのではないかとも思います」
藤本さんが考えたのは、こういうことです。
右翼団体による抗議活動や、いわゆるヘイトスピーチ。
こうした言動も、一定の数に達していれば、公の意見と考えるべきなのではないか?
だとしたら、公である市が管理する施設である以上、多くの反対意見がある芸術の上演を認めないという選択肢も、排除されるべきではないのでは?
同じ考えを持った人もいるかもしれません。

多くの批判や反対意見のある表現。
その自由を無制限に認めることが、本当に正しいことなのか。

それが、藤本さんが抱いたギモンでした。

“表現”の現場で見たものは…

それなら、実際に公演を見てから、考えよう。

講義の4日後。
藤本さんたち岡山大学の学生は、13年前と同じ会場で行われた歌劇団の公演に足を運びました。

もちろん、私も同行させてもらいました。
当日の市民会館周辺は、こんな感じ。

右翼団体の街宣車が行き来し、およそ2時間にわたって大音量で抗議を続けました。
そして、車から降りてきた団体の関係者が、警察に大声で詰め寄る一幕も。

「緊張感が漂ってますね…」
藤本さんが思わず、こぼしました。
厳重な警備の中、始まった公演。
色とりどりの民族衣装を身にまとった歌劇団のメンバーたちは、祖国や同胞たちを思う気持ちを込めた歌や踊りを披露しました。
歌詞はほとんどが朝鮮語。
でも、スクリーンには日本語の翻訳が表示され、学生たちもメッセージをスムーズに理解することができました。

終了後、学生たちは、実行委員会のメンバーから話を聴く機会がありました。
藤本さん、思い切って聞いてみました。
「この会場に来るまでに、抗議をしている人や警備をしている警察をたくさん見ました。それだけ妨害が寄せられている中で公演を続けてきたのは、皆さんの中ではどんな意味がありますか?」
その答えが、これです。
「朝鮮半島の文化や歴史を知ってもらうことで、お互いの距離を縮められ、私たちはもっと親しくなれると思っています。自分たちは正しいことをやっているという自信がある。抗議が寄せられたからといって、やめるわけにはいかないんです」
芸術という表現は、異なる意見や考えを持つ人の間を取り持つことができる。
その機会を、簡単に失うわけにはいかない。
表現の自由は、その信念を貫き通すためのよりどころになっていたといいます。

18歳 たどりついた答えとは?

守られ続けてきた、表現の場。
それに触れた大学生たちは、公演を見る前とは違う、新たな視点や考え方を持つようになっていました。
「在日コリアンによる芸術公演を見るのは初めてで、朝鮮半島と日本の懸け橋になるという歌劇団の目的に共感したし、公演は続けられるべきだと思った」(ミャンマー出身 1年生の男子
「東京オリンピックが開かれることもあり、日本には外国人がこれからもっと増える中で、こうした異なる文化を知る機会を守ることは大切だと思う」(台湾出身 2年生の男子
「歌劇団がどういうものなのか、実際に見て知ったうえで、批判したり支援したり、それぞれの意見や態度を決めたほうが、在日コリアンともよりよい関係を築けると思うし、偏見のようなものも減っていくんじゃないか」(1年生の男子
ところで、肝心の藤本さん。
彼は、最初の講義で抱いた疑問を解決できたんでしょうか。
「僕も高校時代はオーケストラに所属し、大学では合唱をやっているんですけど、音楽も、劇の内容も、とてもすばらしいと思いました。自分の目で見て、内容を知らなければ、抗議や批判はできないはずなので、その機会は守られなければならないんじゃないかな」
そして最後に、藤本さんに尋ねてみました。
なぜ、憲法は表現の自由を保障しているのだと思いましたか?
「いま、こうして友達と話しているように、表現の場が守られているからこそ、生まれる議論があることが分かりました。他の人の意見を聴いて、仮に答えは出なくても、議論を続けることが大切だと思います。議論によって、一人一人の考えが発展するからです。それが、社会の発展につながる。表現の自由が保障されている意味は、そこにあるのではないかと思います」

終わりに

表現の自由は、なぜ守られなければならないのか。

その問いに明確に答えられる人が、どれだけいるでしょうか?

考えてみれば、この国にはかつて表現の自由が保障されていない時代がありました。
検閲や言論弾圧は当たり前。
メディアは権力を監視することができませんでした。
そして突入した、あの戦争。
日本人だけで310万人もの命が失われました。

そんな時代を知っている人たち、あるいは、その時代に生きていなくても、そのことを強く意識している人たちは、表現の自由にとても敏感です。
自由がないことの息苦しさが、恐ろしさが、よくわかっているからです。

そして、いま。
まるで連鎖するように、表現の自由を萎縮させるような動きが、広がりつつあるように見えます。
藤本さんは、こう言いました。
表現の自由があるからこそ、議論が生まれ、考え続けることができる。それが大事だと思いました」
18歳が、ふとつぶやいた、このことば。
その重みを、感じずにはいられません。