兄は恥だった

兄は恥だった
「兄の存在は、恥でした」
ひきこもっている兄がいる50代の男性の言葉です。
自分にも人生がある。自分の家庭だってあるから、もう正直関わりたくない。でも、だからといって関わりを絶っていいのだろうか…。ひきこもり当事者のきょうだいは、親たちとはまた異なる悩みや苦しみを抱えながら生きています。その心の声をたどりました。
(ネットワーク報道部記者 高橋大地)

「両親亡きあとは自分が面倒を…」相次ぐ不安の声

「二人の妹が両方ともひきこもりです。両親はもう諦めたのか何も言いません。両親が死んだあと、自分が妹たちの面倒をみるのかと思うと不安でしかたありません」

「30代の弟がひきこもっています。弟とは関わりたくないと思ってしまう自分と、姉として何かできないか、と思う自分との間でずっと揺らぎ続け、非常にしんどいです」

NHKの特設サイト「ひきこもりクライシス」に寄せられた声です。サイトには、ひきこもりの当事者やその親だけでなく、兄弟姉妹からの投稿が続々と寄せられています。

中高年のひきこもる子どもと、その親が社会的に孤立してしまう問題は、親と子どもの年齢から「8050問題」と呼ばれ、ここ数年、広く知られるようになりました。

その一方で、ひきこもりの高齢化や長期化を背景に、親だけでなく兄弟姉妹にも不安が広がっています。

「余裕ないのに…」ひきこもる姉に困惑する妹

メッセージを送ってくれた人の1人、田中香織さん(仮名・46歳)に直接会って話をうかがうことができました。
田中さんには、実家に20年以上にわたってひきこもり続けている50代の姉がいます。

「姉に、両親の今後のことを話そうと思っても、怒っちゃって『うわーっ』となってしまう。意思の疎通が全くとれないんです…。だんだん怖くなってきて、実家に近づくこともできなくなりました」

姉は20代で離婚して実家に戻ってきたあと自分の部屋に閉じこもるようになりました。仕事に就かず、インターネットを見続ける、昼夜逆転の生活。すでに実家を出ている田中さんは、そうした姉の様子について両親から聞かされ、心配していました。

ある時、姉の手助けになるのではと、行政の窓口に相談したところ、役所の職員が実家を訪ねてきたこともありました。しかし、職員に対して姉は、「大丈夫です、仕事を探せばできるから」と対応し、結局、支援につながらなかったといいます。
次第に姉との関係は悪化。今後のことを相談しようにも「もう来るな」と言われて、田中さんは実家に立ち入ることもほとんどできなくなりました。

現在、姉と両親は、親の年金や蓄えなどで暮らすことができていますが、今後のことを考えると不安でたまらないといいます。

「親のどちらかが介護状態になった時、姉と意思疎通ができないままだったらと思うと不安です。私が家を訪ねるのもイヤだという状態なのに、どうやって手助けできるのだろうと思います。さらに先のことを言えば、いつか両親だって亡くなります。そうなった時はいったいどうしたらいいのか。私も、限界ぎりぎりの低月給でやっていて余裕はないですし、正直、『何で姉を支えなくちゃいけないの?』という気持ちもあります」(田中さん)

ひきこもり当事者がきょうだいに思う「一方的な罪悪感」

一方、ひきこもっている当事者たちは、きょうだいに対してどのような思いを持っているのでしょうか。

10年以上にわたってひきこもった経験がある吉田謙一さん(仮名・30代)が当時の心境について語ってくれました。

「ひきこもっていた当時は、兄と妹には、会ってもお互い腫れ物に触るような感じでした。7年ほど前に祖母が亡くなって会う機会があったのですが、他人行儀というか、びくびくして、どこから自分に対して距離を詰めたら良いのかわからないような感じだったのを覚えています。兄と妹には、自分が家の恥でごめんなさいと感じていました」
ひきこもりたくてひきこもったわけではないけれど、申し訳ないという思い…。

吉田さんは、ひきこもりを脱した今でもその思いを払拭(ふっしょく)し切れていないといいます。

「両親については、正直言えば残りの人生が長いわけではないのでいいと思えるのですが、兄と妹はまだこれからの人生なので、自分が邪魔な存在であることが申し訳ないと思うんです。いまはひきこもっていないけれど、まだそう感じています。遠慮するというか一方的な罪悪感ですね…」(吉田さん)

「恥だった」兄が変わるまで

ほんの少しのきっかけから、ひきこもる兄と、新しい関係を築き始めることができているという人にも話を聞くことができました。

60代の兄が実家で30年近くひきこもっているという間野成さん(52歳)。兄は、自分の人生にとってずっと“足かせ”のような存在になってきたと話します。
「長い間、兄の存在は重荷であり、負い目であり、恥でした。友達と仲良くなっても、家族について話がおよばないように、当たり障りのない会話に終始することもありました。また、おつきあいしている女性と結婚を意識するようになった時に、兄のことをようやく話すと『お兄さん、どうするの?』と聞かれてしまう。それに対して『関係ないから』とも言い切れず、自然消滅してしまう、といったことを繰り返してきました」

どうしたらいいかわからないという不自由さに対する怒り。「兄がひきこもった原因は父親にある」という思い込みで、怒りの矛先を父親に向け、ことあるごとに衝突してきました。

「おまえのせいで兄はこうなったんだ。お前がダメなんだよ」

父に激しい言葉をぶつけ続けてしまっていたといいます。

しかし、3年ほど前に転機が訪れます。父親が「今まで苦労をかけてすまない」と唐突にあやまってきたというのです。
「言われた瞬間は何を言っているのかわかんなくて、ぽかーんとしてしまいまして。でもそれをきっかけに父親への怒りがなくなって、それと同時に兄に対する気持ちも何か変わってしまったんです。重荷だとか、負い目だとか、恥だとかいう感情が、蒸発したというか氷解したというか」

間野さんはこのことをきっかけに、周囲に兄がひきこもっていることを打ち明けるようにしました。

これまでは近所の人に兄のことを聞かれるのが嫌で、実家にも帰りにくかったという間野さん。近所の人と会えば、積極的に兄の近況について話をするようにしました。すると、気持ちが楽になってきたといいます。

「近所の皆さんもありがたいことに、兄がひきこもりだとちゃんと知ってはいるけれど、気にしないという態度をとってくれています。今まで悩んでいたのは何だったのかというか、もう悩みがなんだったのかも忘れつつあります」

悩みが消えたことで、間野さん自身の意識が変わり、兄との関係も改善し始めました。生活に関することなどを書いた手紙を兄に送るようになったところ、兄のほうからさまざまな提案をしてくれるようになりました。
「実家にいる母の紙おむつや米などを、これまでは通信販売で私が買っていたのが、『俺が買ってくるよ』と言ってやってくれるようになったんですよね。手紙を送るようになったことが影響しているかはわかりません。でも、私の意識が変化していく中で、兄もまた変わってきたというのは確かです」

まずは自分の人生を大切に

家族だけで抱え込まずに、周りと情報を共有する。

ささいなことのように思えますが、そのことできょうだいの抱える悩みがやわらぐことも多いようです。

ひきこもりの当事者がいる兄弟姉妹のための相談会を開いているKHJ全国ひきこもり家族会連合会の上田理香本部事務局長は、次のように話しています。
「『自分自身の家族にどう降りかかってくるのか、自分の子どもにも影響するのではないか』という『先取り不安』が多いのが、兄弟姉妹からの相談の特徴です。兄弟姉妹の会に来て、自分の話をしたり、ほかの方の話を聞いたりすることで、『こうした悩みを抱えているのは自分だけではなかった』と知ったら気持ちが楽になったという声を参加者の皆さんからもらいます。1人で抱えざるをえなかった思いも、気兼ねなく出し合える場になっています」
ひきこもりの当事者がいる兄弟姉妹のための相談会は、毎月1~2回、開催。参加者たちが自分たちの思いを語り合ったり、具体的な解決に向けて担当者が相談に乗ったりしています。今年度に入ってからは昨年度に比べて2~3倍の人が参加していると言います。

上田さんは、きょうだいの人たちにいつも言っていることがあります。

「『きょうだいだから面倒を見て当たり前』と思い込むことで、大きな重荷になって、その人自身が追い込まれてしまっている例も多くあります。相談会で、きょうだいの皆さんに言っているのは『まずは、自分の人生を大切にしてほしい』ということ。自分の気持ちが落ち着くことではじめて、ひきこもっている本人に向き合うことができると思います」
ひきこもり当事者のきょうだいについては、11月18日(月)午前8時15分~ NHK総合テレビ「あさイチ」で詳しくお伝えします。