パラ陸上世界選手権女子走り幅跳び 高田4位 東京パラ代表内定

パラ陸上世界選手権女子走り幅跳び 高田4位 東京パラ代表内定
中東のドバイで開かれているパラ陸上の世界選手権は、大会3日目の9日、女子走り幅跳び、視覚障害のクラスで全盲の高田千明選手が4位に入り、来年の東京パラリンピックの代表に内定しました。
アラブ首長国連邦のドバイで開かれているパラ陸上の世界選手権では4位以内に入った日本選手は東京パラリンピックの代表に内定します。

大会3日目の9日には女子走り幅跳びの視覚障害のクラスにリオデジャネイロパラリンピックの代表で、おととしの世界選手権で銀メダルを獲得した35歳の高田千明選手が出場しました。

高田選手は全く目が見えないため、アトランタオリンピック陸上の日本代表、大森盛一さんが踏み切り位置に立って、声を出しながら手をたたいて、助走の方向や踏み切りのタイミングを伝える「コーラー」を務めます。

高田選手は1回目の跳躍でみずからの日本記録を5センチ更新する4メートル65センチをマークすると、最後の6回目には4メートル69センチを跳んで4位に入り、東京パラリンピックの代表に内定しました。

高田選手は3年前から女子走り幅跳びの日本記録保持者で、北京オリンピック代表の井村久美子さんにも指導を受けていて、その成果を大舞台で発揮しました。

高田選手「東京ではメダルを」

東京パラリンピックの代表に内定した高田千明選手は「なかなか助走と踏み切りがかみ合わなかったが指導を受けている井村久美子さんから『もっと助走を速く』とアドバイスされて最後に自己ベストを更新することができた」と話しました。

小学5年生の長男の諭樹君が応援に駆けつけてくれたことについて、「一生懸命、応援してくれて声も届いたので力になった。メダルがほしいと言われていたので、なんとかとりたかったが届かなかったのが残念だ。あと数センチでメダル圏内に入れる位置にいるので、もっと練習して東京パラリンピックでメダルを獲得して首にかけてあげたい」と話していました。

高田千明選手とは

高田千明選手は東京 大田区出身の35歳。

生まれたときから視覚に障害があり、18歳の時に視力を完全に失いました。

21歳から本格的に陸上を始め、短距離種目が専門でしたが6年前から走り幅跳びに取り組みました。

リオデジャネイロパラリンピックでは8位、おととしの世界選手権では銀メダルを獲得しています。

ことし7月のジャパンパラ大会ではみずからの日本記録を11センチ更新する4メートル60センチを跳んで世界選手権の代表に内定しました。

アトランタオリンピック陸上の日本代表、大森盛一さんが先導役として手をたたいたり、声を出したりして助走の方向や踏切のタイミングを伝える「コーラー」を務めています。

跳躍は元五輪選手の井村久美子さん

高田千明選手の助走と跳躍はそれぞれ、元オリンピック選手に支えられています。

「コーラー」を務める元オリンピック選手の大森盛一さんの指導のもとで暗闇の中でもまっすぐに走る安定感とスピードを磨き上げた高田選手。

そのスピードを跳躍に生かそうと指導を仰いだのが、女子走り幅跳びの元オリンピック代表で日本記録保持者の井村久美子さんです。

3年前から年3回ほどの合宿でスピードを殺さない力強い踏み切りや滞空時間を長くするため、体全体を大きく使う空中での姿勢について細かく指導を受けてきました。

先月下旬の合宿で井村さんに「疲れていてもきれいなフォームで跳ぶこと」とテーマを設定された高田選手は多いときには1日40本以上の跳躍を繰り返して、理想のフォームを体にしみこませました。

日々の練習では井村さんが送られてきた高田選手の跳躍の動画でフォームを確認して、気がついた点をコメントしたりイラストで送ったりしてアドバイスしています。

井村さんは「走りは大森さんが基礎から鍛えているのでスピードはあるが、跳躍にうまくスピードを伝えられていなかった。そのため、スピードを生かした踏み切りのタイミングや距離を伸ばすための空中での足や腕の使い方を指導していった。合宿のたびにレベルアップしているし、この3年間で着実に力をつけている。お母さんで35歳だけど進化しているので楽しみだ」と話していました。

「コーラ-」は元五輪選手の大森盛一さん

高田千明選手の跳躍に欠かせないのが、「コーラー」と呼ばれる先導役の存在です。

高田選手は全く目が見えないため、暗闇の中をまっすぐに助走して跳ばなければならず、助走の方向や踏み切りがわずかでもずれると失格になります。

このため、コーラーが声を出したり手をたたいたりして助走の方向や踏み切りのタイミングを知らせるのです。

高田選手のコーラーを務めているのは1996年のアトランタオリンピック陸上の日本代表、大森盛一さん。

6年前からコーラーを務める大森さんが踏み切りの位置に立って、手拍子を始めると高田選手は歩数のカウントに合わせてためらうことなくまっすぐ助走します。

そして、ちょうど15歩目に踏み切り板の直前のベストのタイミングで踏み切る息の合った連携をみせます。

大森さんは「私の仕事はささいなことで、本人のやる気と怖がらない勇気が大切です。本人の力が90%以上ですよ」と謙遜します。

さらに高田選手は短距離を専門とする大森さんから指導を受けてきたことでランニングフォームが安定し、助走のスピードがあがっています。

大森さんは夏前から踏み切りの直前3歩の手拍子のリズムを速めたところ、7月に4メートル60センチを跳び、みずからの日本記録を2年ぶりに更新しました。

大森さんは「走り幅跳びには助走のスピードが不可欠で、記録を出すためには特に最後の3歩でスピードのロスをどれだけなくして跳べるかがカギになる。走りができてきているから取り入れられている」と話しています。

高田選手の原動力は小学5年の長男

高田千明選手の原動力となっているのが、小学5年生の長男、諭樹くん(10)です。

諭樹くんから「世界で戦うママは目が見えなくても僕にとって最高のママだよ」と言われたことが今まででいちばんうれしかったという高田選手。

育児をしながら前回のリオデジャネイロパラリンピックにも出場、おととしの世界選手権では銀メダルを獲得するなどママさん、パラアスリートの先駆けです。

高田選手はいそがしい練習の合間に諭樹くんと一緒に夕食の買い物をしたり鬼ごっこをして遊んだりする時間を大切にしています。

大会が行われるドバイにも諭樹くんを連れてきた高田選手は直前の練習で「日本代表として世界で戦う、いちばんのママを、強いママを見せたいと思う」と話していました。

決勝の跳躍を諭樹くんはスタンドで父親とともに声援をおくりながら見守りました。最後の跳躍でみずからの日本記録を9センチ超える記録を出し、東京パラリンピックの代表内定を決めると父親と抱き合って喜んでいました。

試合後、諭樹くんは「最後の最後にすごいジャンプを見せてくれてよかった。もっと跳べる、もっと跳べると思って見ていました。いつもの数倍、格好いいママです。東京では今度こそ金色のメダルを見せてほしいです」と話していました。