ベルリンの壁崩壊から30年 メルケル首相ら出席し記念式典

ベルリンの壁崩壊から30年 メルケル首相ら出席し記念式典
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東西冷戦の象徴、ドイツのベルリンの壁が崩壊して9日で30年を迎えます。首都ベルリンではメルケル首相らが出席する記念式典などさまざまな祝賀の催しが行われます。
ベルリンの壁は第2次世界大戦後、東西冷戦が続く中、2つの国に分断されたドイツの東側の市民が西側に流出するのを防ごうと、旧西ベルリンの周囲、155キロにわたって築かれました。

1989年に入って東ドイツの市民の間で民主化を求める動きが高まり、当時の指導部が出国の自由を認めたことをきっかけに壁は市民によって崩されました。

壁の崩壊から30年の節目にあたる9日、首都ベルリンではメルケル首相やシュタインマイヤー大統領、それに東ヨーロッパ各国の大統領が出席する記念の式典が行われます。

また、市内各地で祝賀の催しも開かれ、このうち、ブランデンブルク門前では世界的な指揮者、バレンボイム氏がベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮してベートーベン交響曲第5番「運命」を演奏します。

壁の崩壊後、統一を果たしたドイツでは東西の経済格差は縮まったものの、今でも東ドイツだった地域の1人当たりの経済生産は西側の4分の3、賃金も85%にとどまっています。

こうした格差を背景に、旧東ドイツ地域では57%の人が「2級市民」という意識を抱いているとされ、こうした不満を吸い上げて排他的な右派政党が躍進を続けていて、社会の分断をどのように解消していくのかが課題となっています。

旧東独地域の57%が「2級市民」と考える

東西を分断していたベルリンの壁が崩壊してから30年がたちますが、旧東ドイツ地域の住民の多くが経済的な格差などから自分たちを「2級市民」と考える傾向があることが分かりました。

ドイツ政府がことしまとめたドイツ統一に関する年次報告書によりますと、旧東ドイツ地域の住民のうち、東西の統一が「成功した」と答えた人は38%にとどまり、57%が自分たちが「2級市民」として扱われていると考えていることが分かりました。

旧東ドイツ地域の1人当たりの経済生産は、東西統一直後の1990年には旧西ドイツ地域の43%にとどまっていたのが去年は75%にまで拡大し、ドイツ政府は経済の格差は縮まっていると評価していますが、依然として差は残っています。

また、去年の旧東ドイツ地域の失業率は6.9%と旧西ドイツ地域の4.8%に迫っていますが、平均賃金を比べると東側の水準は西側を下回ったままです。

旧東ドイツ地域では、ドイツの統一の過程で企業の買収など東側が西側に取り込まれたという意識が住民の間で根強いことや、今でも国内の大企業の本社の9割が西側に集中していて、東側の経済が構造的に小規模なままであることなどが課題となっています。

こうした状況が住民の不満の背景にあるものとみられ、ベルリンの壁の崩壊から30年がたった今もなお「心の壁」は残ったままです。

30年前の1989年 「東欧革命」で冷戦終結

1989年は、当時、ソビエトの影響下にあったヨーロッパの東側陣営の国々で次々と共産党政権が崩壊する「東欧革命」が起きた激動の年でした。

社会主義体制下にあったポーランドでは民主化運動を主導した自主管理労組「連帯」が1989年の6月に行われた初めての自由選挙で勝利し、9月、東側で初めて非共産党の内閣が誕生します。

また、ハンガリーでも改革派の首相のもとで民主化が進められ、1989年の9月にはオーストリアとの国境を公式に開放し、ヨーロッパを東西に分断していた「鉄のカーテン」が事実上消滅しました。

そして、1989年11月9日、東西分断の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊したあともこうした動きが加速します。

翌日の11月10日にはブルガリアで長期政権が崩壊。
さらに、当時のチェコスロバキアでも民主化を求める大規模なデモが連日起こり共産党政権が倒れる、いわゆる「ビロード革命」が起きました。

一方、ルーマニアでも1989年12月、独裁体制を築いたチャウシェスク政権に対する大規模な抗議デモが起こり、治安部隊との衝突などで死傷者が出る事態となり、革命政府によってチャウシェスク大統領は処刑されました。

このように、1989年は東欧諸国で民主化を求める革命がドミノ式に連鎖し、その年の12月、アメリカのブッシュ大統領とソビエト共産党のゴルバチョフ書記長が地中海のマルタ島で会談して冷戦の終結を宣言しました。

これをうけて第2次世界大戦後、世界を二分してきた東西両陣営の敵対の時代は終わりを告げたのです。