幕末の人たちが指輪 約150年前の写真を拡大し調査

幕末の人たちが指輪 約150年前の写真を拡大し調査
明治初期に来日したオーストリア人が撮影・収集したネガをデジタルカメラで撮影して拡大した画像を調べたところ、多くの人が指輪をはめていることなど、これまで詳しく知られていなかった人々の暮らしぶりが明らかになりました。
東京大学史料編纂所は、今から150年前の西暦1869年に来日したオーストリア人の写真家が撮影・収集した幕末から明治初期にかけての274点のネガを高精細のデジタルカメラで撮影し、画像をパソコンなどで拡大して詳しく調査しました。
その結果、写真館などで撮影された肖像写真では、性別や年齢に関係なく指輪をはめている人がいたことや、各地の寺に「相合い傘」の落書きがあることなどが確認されました。

また、これまで詳しい場所が分からなかった写真を拡大したところ、町名を記した木の柱があることが判明し、現在の東京 港区にある増上寺の近くで撮影されたことが分かったということです。

東京大学史料編纂所の保谷徹所長は「従来プリントされたものでは読み取れなかった非常に細かいところがデジタル技術で見えるようになった。江戸・東京のいわば失われてしまった風景が、これだけ細かいところまで見えるというのはほかにはない」と話しています。

これらの写真の一部は、東京の港区立郷土歴史館で12月15日まで展示されています。

画像研究に新たな可能性

調査の対象となった写真には、江戸・東京の町並みや当時の人々のいでたちなど、幕末から明治へと時代が大きく移り変わる頃の様子が詳細に記録されていました。
肖像写真を拡大すると、指輪をはめている人がいたことが分かります。

左手の中指や薬指、右手の薬指など、はめている指には違いも見られます。
細かい装飾が施されているものや、石がはめ込まれているものなど、さまざまなデザインの指輪が確認でき、当時の人たちのおしゃれへの関心の高さがうかがえます。

東京大学史料編纂所によりますと、結婚指輪の風習が日本で広まったのは大正時代からで、それより前にどういう意味合いで指輪をはめていたのかは今後の研究課題だということです。
一方、相合い傘の落書きは、現在の東京 墨田区にある回向院の建物の壁などに書かれているのが確認できました。

具体的な文字は判読できませんが、今と同じように人の名前が左右に並べて書いてある様子が見て取れます。
同じような落書きは京都の寺でも確認され、幕末から明治初期には全国的に広がっていたということがうかがえるということです。

このほか、増上寺にあった徳川将軍の霊をまつる建物を写した写真は、画像を拡大すると、花や鳥、竜などの装飾が詳細に確認でき、空襲で焼失する前の姿がよみがえってきます。

調査を行った東京大学史料編纂所の谷昭佳さんは、「こういった画像資料からは文献には書かれていない情報が得られ、文献と画像の両方から新たな研究ができる状況になったと思います」と話しています。