炎で染まる首里の空を見て…

炎で染まる首里の空を見て…
鮮やかな朱色がまぶしい首里城の修復に関わってきた漆塗り職人の男性は、焼け落ちた城を見たあとひとり、車の中でSNSにつぶやきました。
「13年かけて塗り直した首里城が3時間で燃えつきました。燃えちゃいました。燃えちゃいました。燃えちゃいました」
(ネットワーク報道部記者 大窪奈緒子・郡義之)

「大変なことになってる」

男性のもとに親方から電話が入ったのは、午前4時ごろ。
「首里城が燃えてるよ、大変なことになってる」

自宅は、首里城から車で30分ほど。親方のことばがにわかに信じられない男性は、すぐに首里城に向かいました。見えてきたのは、赤く染まった首里の空。
到着すると、見慣れた城は真っ赤に炎上していました。漆塗り職人として13年間、修復に関わってきた男性の目の前で、首里城が崩れ落ちたのです。
男性は、親方と職人仲間とともに燃え続ける首里城を見つめるしかありませんでした。

燃えちゃいました

自宅に戻ったのは午前7時ごろ。家に入る前、気持ちを整理しようと駐車場にとめた車の中でひとりでフェイスブックに文章を書きました。
建物なんて塗ったこともない漆職人が、あーだこーだいいながら塗り直してきた首里城が燃えちゃいました。

ほんとに泣けてきました。

漆のこともまだよくわかりもしなかった自分を育ててくれた首里城。

ナイチャーの自分が今こうして、沖縄で漆の仕事ができるのも首里城のおかげです。

感謝しかありません。

その首里城が燃えちゃいました。

13年かけてみんなで直してきた首里城が燃えちゃいました。

毎日、毎日塗ってきたんだけどなあ。

13年かけて塗り直した首里城が3時間で燃えつきました。

燃えちゃいました。

燃えちゃいました。

燃えちゃいました。

首里城を記憶に

男性は、自分が丹精込めて漆を塗った首里城の写真も投稿しました。作業の合間に出来栄えを確認するためなどに折に触れ撮ってきた写真です。
沖縄の青空に映える朱色。塗り重ねた壁や柱は、足場が映って見えるほど光り輝いています。「燃えている首里城の写真ばかり見ていたくない」というのが投稿した理由です。
取材している最中終始、苦しみに耐えるように低い声で話していた男性。最後に「今はこれ以上ことばにできないです」とつぶやいたのが心に残っています。

おじいちゃんとの思い出

首里城で積み重ねた亡き家族との思い出をSNS上で語る人もいます。福島県に住む大学生の男性(18)は、沖縄県に住んでいた祖父と首里城に行ったことが忘れられないといいます。

初めて訪れたのは小学2年生の時。とてもきれいな外観に魅せられて以来、沖縄を訪れるたびに祖父に「連れて行って」とせがみ、少なくとも10回は訪れました。
城に行くたびに、おじいちゃんにアイスクリームを買ってもらったのがいい思い出です。

中学2年生の時に買ってもらったドラゴンがあしらわれたキャップは今でも大切に持っています。
祖父とはおととしの冬に首里城を訪れたのが最後で、去年の夏に74歳で亡くなりました。
自分が大学生になったら弟とおじいちゃんと3人で首里城に行こうと約束していましたが、その約束は果たせないままになりました。

家族との思い出が詰まっている場所だから首里城がこのような形になり、すごい残念です。少しでも早く再建され、またきれいな姿を見せてほしい。

楽しかった家族旅行

大地震を生き延びた家族とのつながりを首里城で見つめ直した人もいます。神戸市に住む植月千恵子さん(51)は、夜も明けきらぬうちに首里城の火災のニュースを見て、居ても立ってもいられなくなりしまってあった写真を探し出しました。
沖縄の伝統衣装・琉装に身を包んで守礼門の前ですこし恥ずかしそうに並ぶ親子3人の写真と、今回、全焼した正殿の前で母親と撮影したあわせて5枚です。

誰かに伝えるわけでもなく「1999年のお正月 楽しかった家族旅行」ということばとともに、ツイッターにこの写真を投稿しました。
父はふだん、こういう衣装を着ることを嫌がるタイプなのですが、この日はなぜか着てくれたんです。

震災を乗り越えて

実はこの写真を撮る4年前に阪神・淡路大震災が起き、千恵子さんたちが当時住んでいた自宅は全壊。千恵子さんはがれきの下敷きになりました。

両親ははだしのまま散乱するがれきをかき分け、千恵子さんを助け出してくれました。ただ、住みかを失った家族は、それぞれの知り合いに身を寄せたため、バラバラに暮らさざるを得ませんでした。

その後、3人がようやく一緒に暮らせるようになったことなどを記念して旅行をすることになり、旅先として選んだのが沖縄の首里城でした。

千恵子さんは、両親と旅行するのは少し照れくさい気もしましたが、沖縄の開放的な空気の中、家族3人でいられることのありがたさをあらためてかみしめたと言います。
首里城は、家族でもう1度、力を合わせてやっていこうと再確認した思い出の地です。

それがあのように燃え尽きてしまい、喪失感で涙があふれて止まりませんでした。

ふだんはプライベートの写真を投稿することはありませんが、何かせずにはいられませんでした。
千恵子さんは、ふるさとの風景を震災で失った被災者として、これから喪失感にとらわれるかもしれない沖縄の人たちに向けたメッセージを語ってくれました。
首里城を訪れた私たちの心の中には、その姿がいつまでも残っています。

沖縄の皆さんにも、首里城があったことを声に出し続けてほしいと思う。

それが、復興や復元にとってとても大事なことだと実感しています。