菅原経済産業相 首相に辞表提出

菅原経済産業相 首相に辞表提出
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菅原経済産業大臣は25日朝の閣議のあと総理大臣官邸で記者団に対し、選挙区内の有権者にメロンなどを贈っていたほか、秘書が香典を手渡していたなどと「週刊文春」で報じられたことをめぐり、安倍総理大臣に辞表を提出したことを明らかにしました。
菅原経済産業大臣は、先に一部の週刊誌で平成19年ごろに、みずからの選挙区の有権者らにメロンやカニなどの贈答品を配ったなどと報じられ、衆議院予算委員会で元秘書が作成したとされる送り先のリストの有無など事実関係を調査する考えを示していました。

そして、24日発売された「週刊文春」で、今月、菅原大臣の地元の支援者の通夜で、秘書が香典を手渡したなどと新たに報じられました。

こうした中、菅原大臣は辞任する意向を固め、25日朝の閣議のあと、総理大臣官邸を出る際、安倍総理大臣に辞表を提出したことを明らかにしました。

この中で菅原大臣は「ただいま、安倍総理に辞表を提出しました。私の地元の政治活動に関してさまざまな報道なされている。きょうから各委員会も本格化する中で私の問題で国会停滞、法案審議できないのは本意でない」と述べました。そのうえで「経産省行政でも懸案が山積する中で、みずからの問題で行政あるいは政府全体の審議が止まってしまうことは本意ではございません。重く受け止めまして辞表を提出した。任期途中で辞することは慚愧に堪えないが、おわび申し上げたい」と述べました。

公職選挙法では、政治家本人が、参列して手渡す場合などを除き、選挙区内で香典などを出すことは禁止されています。

菅原大臣は衆議院東京9区選出の当選6回で57歳。東京都議会議員などを経て平成15年の衆議院選挙で初当選し、経済産業副大臣や財務副大臣などを務め、先月の内閣改造で経済産業大臣に起用され初めて入閣しました。

菅原大臣 香典について釈明

菅原大臣は「今月17日、通夜に出席すべく車にネクタイなど準備していた。しかし台風19号の閣僚会合が入ったため、そちらを優先しなくてはならず、翌日の葬儀にみずから出席して弔意を申し上げた。結果として、秘書が香典を出した。翌日、確認せずに、私も香典を持って行った。ある意味、遺族からすると2つ香典が届いた。事実関係をあとで知った」と釈明しました。

そのうえで、菅原大臣は辞任をいつ決めたのかと聞かれたのに対し、「けさだ。衆議院の経済産業委員会があるため準備していたが、一晩考えて私のことで審議が止まることはざんきに堪えないので、辞表を提出した」と述べました。

菅原大臣のこれまでと問題のいきさつ

菅原一秀大臣は衆議院東京9区選出の当選6回で57歳。東京都議会議員などを経て、平成15年の衆議院選挙で初当選し、これまでに財務副大臣などを経て衆議院議院運営委員会で与党側の筆頭理事として国会対応などをめぐる野党側との交渉に当たりました。

そして、9月11日、第4次安倍第2次改造内閣で初めて入閣し、経済産業大臣に就任しました。

就任直後、台風15号の影響で大規模な停電が続いた千葉県の被災地を視察したほか、当初、甘い復旧見通しを示した東京電力の対応を問題視し、検証を指示するなどの対応に当たりました。

9月に発覚した、関西電力の幹部が多額の金品を受け取っていた問題では、「極めて言語道断の状況だ」などと、厳しく批判したうえで経営責任を明らかにするよう求めていました。

しかし、就任からおよそ1か月後の今月10日、「週刊文春」で菅原大臣が過去に送り先のリストをつくって、みずからの選挙区の有権者にメロンやカニなどの贈答品を配ったなどと報じられると釈明に追われます。

10日の衆議院予算委員会で菅原大臣は「公職選挙法や政治資金規正法に関わることはない」としたうえで、有権者に金品を渡したことはないと答弁していました。

翌11日の委員会では「にわかに私も確認できないのでしっかり調べたい」とか、15日の参議院予算委員会では「金品といえば現金かと思い、それはないと答えた」などとあいまいな答弁を繰り返しました。

その後、贈答品の送り先のリストは菅原大臣の指示で作成したという元秘書の証言が報じられると、菅原大臣は18日の閣議後の会見で「リストを事務所で探したが、全く見当たらない。データなどもない」と述べ、みずから調査を続ける考えを示していました。

そして、24日再び週刊誌が大臣就任後にみずからの選挙区内の支援者だった人の通夜で秘書が香典を手渡し、お供え物の花を自宅に送っていたなどと報じました。

野党側は事実であれば公職選挙法に抵触するおそれがあり、看過できないとして、納得できる説明が得られないかぎりその後の国会審議に応じない構えを見せていました。

菅原大臣は就任からおよそ1か月半で辞任に追い込まれました。