日本初のノーベル賞 湯川秀樹博士の写真2000枚を家族が寄贈

日本初のノーベル賞 湯川秀樹博士の写真2000枚を家族が寄贈
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ことしは、日本人として初めて湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞してから70年になります。この湯川秀樹博士のプライベートの写真2000枚余りが家族から京都大学に寄贈されたことが分かりました。写真の中には研究成果を説明するために初めて海外に渡航して高い評価を得て帰国した前後の家族写真があり、分析した専門家は「湯川博士の研究が世界に認められた時期が表情からも読み取れる貴重な史料だ」と話しています。
湯川秀樹博士は、最先端の素粒子物理学を欧米に留学することなく日本でほぼ独学で研究を重ね、原子核の中で働く力の1つが、中間子と名付けた新しい粒子で生じることを予言した「中間子論」を発表しました。

この理論は実験で正しいことが証明され、湯川博士は昭和24年にノーベル物理学賞に選ばれ、日本人としては初めてノーベル賞を受賞しました。

ことしは湯川博士の受賞から70年の節目となりますが、湯川博士のプライベートの写真2000枚余りが、家族から活動拠点だった京都大学に寄贈されたことが分かりました。

湯川博士の個人的な写真が大量に寄贈されるのは初めてで、36冊のアルバムに保管された写真は幼少期から晩年の様子まで網羅されています。

この中には、節目ごとに撮影された家族写真が含まれていて、このうち、ノーベル賞を受賞する10年前の昭和14年に撮影した2枚の家族写真は、湯川博士が初めて海外に渡航する直前と、帰国直後に撮影されています。

この海外渡航は、湯川博士が国際的な物理学の会議に招待されて、初めて「中間子論」を欧米の科学者に直接説明するためのもので、渡航前の写真では湯川博士の表情は遠くを見つめて引き締まり、緊張しているように見えます。

この海外渡航で湯川博士の理論は高く評価され、帰国直後の写真では、自信を得て穏やかな笑みを浮かべている湯川博士が写し出されています。

湯川博士の業績を研究している慶応大学名誉教授の小沼通二さんは「日本で独自に行った湯川博士の研究が世界に認められた時期が表情からも読み取れる貴重な史料だ」と指摘しています。

「世界で自信をつけた博士の心境がよく分かる」

今回、京都大学に寄贈された写真の中には、湯川秀樹博士が節目ごとに撮影した家族写真が何枚も残されています。

このうち、ソルベー会議に出席するために渡航する直前と帰国直後に撮られた2枚の家族写真は、目を引くようにアルバムの1ページに並べられています。

渡航直前の写真は昭和14年6月に撮影されていて、写真の横には「昭和十四年ソルベー会議出席の為渡欧の前」と、手書きで説明が書き添えられています。

写真には湯川博士の妻と2人の息子、それに、妻の母親の合わせて5人が写っていて、湯川博士の遠くを見つめるような表情は引き締まり、緊張しているように見えます。

帰国直後の写真は、その年の11月から12月ごろに撮影されたものとみられ、湯川博士は一転して穏やかな笑みを浮かべて自信を得たかのような表情をしています。

写真の横には「アメリカより戻りて」と記されていて、湯川博士と家族にとって大事な写真であることがうかがえます。

湯川博士の業績と人物像を研究している慶応大学名誉教授の小沼通二さんは「湯川博士はもともと表情が硬いことが多く、若い頃に柔らかい表情で写っている写真は珍しい。この写真の表情を見ると、世界で認められ自信をつけた湯川博士の当時の心境がよく理解できる」と話しています。

独学でノーベル賞 戦後まもなくの日本人励ます

湯川博士が大学を卒業した頃は、世界では当時の最先端だった「素粒子物理学」が活発になり、原子核の構造などが急速に分かり始めた時代でした。

湯川博士は昭和9年、27歳のときに初めて論文をまとめました。それが、原子核の中にある陽子と中性子を結び付けている力が「中間子」と名付けた新しい粒子によって生じるという「中間子論」でした。

当時の研究の中心はヨーロッパでしたが、湯川博士はこの研究を日本にいたままで、海外の論文を手がかりにほぼ独学で行いました。

論文は海外でも出版されましたが当時、無名の湯川博士が書いた論文に注目する人はいませんでした。

しかし、実験や観測によって中間子論が徐々に注目を集めるようになります。

そして1939年10月、世界的な物理学者だけが集まって議論する「ソルベー会議」という会合で中間子論について議論することになり、湯川博士がベルギーに招待されました。

湯川博士は会議に出席するため6月に船で日本を出発しましたが、第2次世界大戦が始まったため会議は直前に中止され、湯川博士はアメリカに行ってアインシュタインなど多くの著名な物理学者と議論を深めました。

海外の一流の物理学者と対等に議論を交わして中間子論に自信を深めるとともに、高い評価を得て著名な物理学者の仲間入りを果たして、10月に帰国の途につきました。ノーベル賞を受賞する10年前のことでした。

その後、理論の正しさが実験で確かめられ、日本人として初めてのノーベル賞の受賞として大きなニュースになりました。

欧米から離れて日本で独自に行われた研究が評価されたことは、戦後まもない時期で自信を失いかけた日本人を励ますことになったとされています。