“命を奪う溝” 死傷者2000人の衝撃

“命を奪う溝” 死傷者2000人の衝撃
“人食い用水路” 岡山県ではそう呼ばれるなど各地で当たり前のように事故が相次いでいます。しかし、いったい何人が用水路事故で死亡しているのか、負傷しているのかわかっていませんでした。NHKが、過去に事故の多かった15道府県の消防に取材した結果、去年1年間に少なくともおよそ2000人が死傷していたことがわかりました。新たな被害を防ぐためには何が必要なのか。取材を進めました。(富山放送局記者 佐伯麻里 中谷圭佑)

警察の統計に含まれない事故?

富山県南砺市に住む宮西厚子さん(81)。去年3月自宅近くを散歩していた途中で用水路に転落して意識を失い、およそ70メートルにわたって流されました。

宮西さんは流れが緩やかになった道路下の暗きょの中で意識を取り戻し、腹ばいになって道路まであがり助かりました。額を20センチにわたって切り、骨が露出するほどの大けがを負いました。

意識が戻らなければそのまま川に流されていたといいます。
「燃えるゴミを出したあと家に戻る途中でした。どのように用水路に転落したのか全く記憶がありません。3月なので水が冷たくて寒くて寒くて、けがをして血も出ていて。用水路を見るだけでぞっとします。絶対にそばを歩かないようにしています」
しかし、取材を進めるとこの事故は警察の統計には含まれず、自治体にも把握されていませんでした。転落事故が起きたことを受けて地元住民への注意喚起なども行われていませんでした。

富山県だけの問題ではない?

なぜ、警察の統計には含まれていないのか?

そもそも警察は、用水路で溺れたケースに限って「水難事故」として統計をとっています。「用水路事故」というカテゴリーで記録していないのです。

たとえば頭を強く打った用水路の事故は警察の統計に含まれません。また、自転車や車で用水路に落ちた場合は、交通事故として処理されることもあります。用水路事故がどこでどれだけ起きているか、まったく分かっていないのです。

この問題は富山県だけの問題ではないのではないか?
全国ではもっと多くの用水路事故が起きているのではないか?

私たちは、全国の消防本部への取材を始めました。

15の道府県で死者154人

取材の対象としたのは、警察の統計で特に死亡事故が多かった15の道府県。233のすべての消防本部に救急搬送の記録をもとに去年1年間に用水路や側溝の事故で死亡・負傷したケースについて独自に取材しました。

取材の中で「なぜそのような取材が必要なのか」といった声もありましたが、「用水路や側溝での事故を減らすために死者・けが人の実態を伝える必要がある」と説明し理解を求めました。

そして、およそ5か月かけて取材・集計しました。
その結果、去年1年間に用水路事故で死亡した人は少なくとも154人、けがをした人は1815人に上ることが明らかになりました。

死者が最も多かった新潟県で21人、次いで富山県と岡山県で18人、熊本県と大分県で14人となっています。

けが人は大阪府が337人、岡山県が259人、香川県が210人、新潟県が179人などとなっています。
警察の統計では去年、死亡した人は47人、けがをした人は7人でした。死者数は3倍以上、けが人の数は260倍にも上りました。

今回の消防への取材で、警察の統計上死者がいなかった長野県で10人、北海道で3人、大阪府で2人が実際には死亡していました。

消防は用水路や側溝での事故で119番通報を受ければ救助に駆けつけますが、特にけがの場合は交通事故などと違って警察に通報するケースが少ないことがこうしたかい離を生じる要因となっています。

もはや“無視できない”事故

去年、用水路事故で10人が死亡した長野県に取材すると「自治体や土地改良区などが参加した会議で用水路事故があった時は速やかに県に報告するよう求めている。しかし、マスコミの報道で知ることも多いと感じている。用水路事故の実態把握は必要かなとは思うがそこまで話が進んでいないのが現状だ。引き続き対策を進めたい」と話していました。

水難事故に詳しい長岡技術科学大学大学院の斎藤秀俊教授は、こう指摘します。
「用水路事故はもはや“無視できない”事故だ。高齢化が急速に進む中で、住宅地近くの用水路が新たなリスクとなり死者やけが人が今後、増える可能性もあると考えている。より正確な実態を把握し、適切な対策を講じるためにも、警察や消防、行政が連携して事故の傾向やリスクを把握することが不可欠だ」

実態把握を対策に生かす

どうすれば事故を減らせるのか。ヒントとなるのが、全国でも用水路事故が多い岡山県や岡山市の取り組みです。

岡山県は関係機関が連携して事故を一元化して把握する仕組み作りを進めています。
また、岡山市は市内におよそ4000キロの用水路があります。このため市は消防の用水路事故のデータに加え、町内会からも情報を収集。危険だと指摘された場所は、職員が直接視察します。そして、道路の構造や、防止柵の有無などをもとに危険性を点数で評価。50点評価で20点を超える場所は対策が必要と見なします。
岡山市北区にあるこの用水路は、道路幅が急に狭くなるうえ夜は街灯がないため転落するおそれが高く、28点と評価され、市が新しいガードレールを設置しました。

岡山市は平成28年度におよそ2500か所を点検。40%近い953か所で20点を超えたため、優先的に対策工事を進めています。その結果、去年12月末時点で、784か所で工事が完了しています。
「用水路事故の実態が把握できなければ対策を講じることもできない。危険箇所に優先順位をつけて対策を進めることも重要だと考えている。この対策が事故防止に結び付いているという実感とまではいかないが、住民の命を守るためには継続していくことが大切だと思っている」

“用水路事故”に向き合い対策を

今回の取材で、これまでに多くの用水路事故が見過ごされてきたことが分かりました。

「交通事故」や「火事」などに比べ、まだまだ「用水路事故」はその危険性が認識されているとは言えません。このため、全国で事故が相次いでいるにもかかわらず、まだ一元化された「統計」もないのです。そして実態が分からないため、今まで本格的な対策は取られてきませんでした。

用水路は全国で総延長40万キロ、地球10周分の長さがあり、すべての用水路に柵やふたなどの対策を行うのは難しいのが現状です。毎年多くの命が失われている用水路事故を少しでも減らすために、実態を把握して傾向を分析することが、優先順位を付けた対策につながるのです。そのうえで、私たち一人一人が危険性を認識し注意を向けていくことが必要です。

行政も、交通安全キャンペーンのような啓発活動を行って、市民に用水路の危険性を訴えることが重要です。全国での死傷者が年間およそ2000人に上る用水路事故。浮き彫りになったリスクに向き合う時が来ていると思います。

この「用水路事故」について私たちは取材を続けていきたいと考えています。読んでいただいた皆様からの情報提供をお待ちしています。
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