霊きゅう車は時代を映す鏡

霊きゅう車は時代を映す鏡
亡くなった人を最後に送る霊きゅう車。この世界に大きな変化が起きています。1日に3600人余りが亡くなる多死社会・日本。霊きゅう車は時代を映す鏡でした。
(ネットワーク報道部記者 大窪奈緒子 松井晋太郎 國仲真一郎)

あの霊きゅう車はどこへ?

「街中で霊きゅう車を見なくなったなあ」
取材のきっかけはこのツイート。
木材や金銀などの装飾で寺社などを模した「宮型」と呼ばれる霊きゅう車を、最近、見ることが少なくなったというのです。

このつぶやきには、多くの賛同の声が寄せられました。
「そういえば確かに見ない」
「昔は『霊きゅう車を見たら親指隠さないと親が死ぬ』とか言われてた」
「いまの霊きゅう車はあまり厳かな感じがしないんだよなあ」
「俺は死んだら宮型霊きゅう車がいいな!だって豪華じゃん」
一方でこんな声も。
「小さい頃から違和感を感じていました、なんでこんな派手にするんだろうって」

15年で稼働実績ゼロ!

宮型霊きゅう車は本当に減っているのでしょうか?

事業者に取材すると、今はステーションワゴンや高級乗用車を改造し、華美な装飾のない「洋型」と呼ばれる霊きゅう車が主流なのだそう。
「18年ほど前は、宮型と洋型の割合が20対1でした。しかし、今ではその割合が逆転し、現在、グループで所有している宮型霊きゅう車は1台のみです。ご遺族に使う車を選んでいただく際にも、宮型の霊きゅう車を見て『まだこんなタイプもあるんですね』と言われます」(葬儀社「公益社」)
「当社に霊きゅう車は60台ほどありますが宮型は1台だけ。費用は1台2000万円ほど。しかしこの15年間、稼働実績はゼロです。その一方で3か月に1回は必ず点検に出さなければならず経費だけがかかっています。何かあったときのために1台は持ち続けていますが、『宝の持ち腐れ』というのが正直なところです」(霊きゅう車を運行する「大阪すみれ」)。

敬遠される3つの理由

宮型霊きゅう車が敬遠される理由を聞くと以下の3つを挙げてくれました。
1:洋型に比べて費用がかかる
2:自治体の中には宮型の乗り入れを制限しているところがある
3:できるだけ目立たずに葬儀を執り行いたいという遺族が増えている
「自宅の前に目立つ霊きゅう車が止まるなどして、亡くなったことを知られることを嫌がるご遺族の方が増えているという印象があります。いまでは洋型の霊きゅう車も目立ってしまうということで、大きなタクシーのような、一目ではご遺体を運んでいると分からないような車を使うケースも増えています」(関東圏の葬儀社「アーバンフューネスコーポレーション」)

条例で乗り入れを禁止

自治体はなぜ宮型霊きゅう車の制限を行うのでしょうか?

埼玉県越谷市では、平成17年に公営の斎場を移転して建設する際、移転先の住民から「迷惑施設にあたる」「花輪や霊きゅう車が見えてほしくない」などの意見が寄せられました。

そのため、近隣住民と協議を行い、
▼斎場自体をなるべく目立たないようにする
▼斎場の敷地内に花輪を設置しない
▼斎場に宮型霊きゅう車を乗り入れない
などの取り決めを交わしました。


その取り決めが反映された条例の施行規則の第7条には「斎場の敷地内に宮型霊きゅう車を乗り入れないこと」と明記してあります。

大阪府枚方市でも公営斎場の再建設の際、地域の住民から「宮型霊きゅう車は目立つ」などの意見があがったことから、斎場の利用規約で宮型霊きゅう車の乗り入れを禁止しているということです。

オークションで30万円

こうした中、保有していた宮型霊きゅう車を手放した自治体もあります。

京都府与謝野町では4年前、町民のために長年使っていた宮型霊きゅう車をインターネットの官公庁オークションサイトにかけました。
町によると、複数の申し込みがあり、最終的には30万円ほどで落札されたということです。

町の担当者は「宮型よりも洋型が主流となり最後の数年は使うことがほぼないまま車庫に保管されていました。時代の流れなのかなと寂しい気持ちです」と話していました。

起源は故人の見送り

宮型霊きゅう車は、かつての日本で行われていた、故人を「こし」に乗せ列を組んで埋葬地まで送った「野辺の送り」から発展したと考えられています。

名古屋市にある霊きゅう車の運行を行っている会社のホームページでは、かつての「野辺の送り」や、昭和30年代まで使われた大八車のような「棺車」、さらには自動車の発達と共に装飾を施された霊きゅう車など、故人を送る手段が時代と共に変わっていく様子が掲載されています。

会社によりますと、宮型の霊きゅう車が全盛期を迎えたのは昭和の終わりから平成の最初の頃だということです。
所有している宮型霊きゅう車の中で特に目を引くのは、楽器や工芸品に使われる高級木材「黒檀」をふんだんに使った車両。現在4台保有し、古いものは「おそらく戦前か戦後につくられたもの」ちなみに価格は、「30年ほど前につくった車両で資料は残っていないがおそらく数千万円するのでは」ということです。
また、金ぱく張りの彫刻が施された車両は、宮型霊きゅう車が全盛を極めた頃の典型的なもので、おそらく8割がこのタイプだったということです。
「霊きゅう車は地域によってもさまざまで、関東や関西では白木の霊きゅう車もある。黒檀は名古屋独特のものでどっしりとした重量感が魅力です。こうした日本独特の文化が残ってほしいと思いますが、細かな彫刻の補修などできる職人もほとんどいない状況です」(名古屋特殊自動車・石原良一専務)

時代は「洋型」に

しかし、宮型霊きゅう車はその後急速に出番を失っていきます。

富山県にある霊きゅう車の製造メーカーによりますと、20年ほど前から円高も重なって、海外から大型乗用車が輸入され、これを改良した洋型の霊きゅう車が急速に普及するようになりました。

価格も宮型に比べて3分の1ほどに抑えられるほか、身内だけで簡素に故人を送りたいという時代の流れもあって、街から急速に宮型の霊きゅう車が姿を消していったのです。
「使われなくなった宮型霊きゅう車は、ロシアやインドなど海外に輸出されました。自治体の規制もあって走っている宮型の霊きゅう車は、もはやなかなか見られないと思う」(霊きゅう車メーカー「カワキタ」河村賢整代表取締役)

宮型を守り続ける

こうした中、宮型の伝統を守り続けようとしている会社がありました。

神奈川県厚木市で霊きゅう車の製造や販売を行っている「JFC」です。
会社では現在、新規のオーダーはなく東北地方などで使われている宮型の霊きゅう車の修理や乗せ替え作業を行っています。
実はこの会社、15年以上前に倒産した宮型霊きゅう車の大手製造会社の元社員10人ほどで立ち上げた会社だそうで、この道40年の職人も在籍しているそう。宮型の霊きゅう車が急速に姿を消している現状について、担当者はやや寂しげにこう話してくれました。
「以前は、“生前お世話になった方々に見守られながら人生の最期を豪華な車で送り出してあげたい”という家族の思いから宮型霊きゅう車が選ばれました。今はほとんど選ばれなくなってしまいましたが、最期は豪華な車で堂々と送っていただきたい。そんな文化がなくなってほしくない。宮型霊きゅう車は日本の文化だと思うので、需要がある限り続けていきたい」
厚生労働省によりますと、2017年の1年間に亡くなったのは134万397人。

単純計算で、1日当たり3672人がこの世を去っています。多死社会・日本で姿を大きく変えつつある霊きゅう車。私たちが死とどう向き合おうとしているのか、その変化を映し出している鏡だと思えてなりませんでした。