ぼくの習いごとは“きょうげん”です

ぼくの習いごとは“きょうげん”です
みなさん、小さいころ、どんな習いごとをしていましたか?
私は親に勧められ、空手と水泳を習っていました。でも、今は技の一つも覚えていないし、そもそも泳げません。
そんな私が出会ったのは、古典芸能の「狂言」を習う5歳の男の子。
友達が、水泳や英語など、人気の習いごとにいそしむ中、大人たちに混じって古典芸能の世界に没頭する5歳。いったいなぜ?
(高知放送局記者 田中 開)

ぼくが「狂言」を習うワケ

浴衣姿のこの男の子が、水野太郎くん。高知市の保育園に通う5歳の年長さんです。月に1回、父親に連れられ、高知市内で開かれる狂言教室に通っています。

師匠、教えるコツは…

太郎くんの師匠は、国内外で活躍する狂言師の茂山逸平さん(40)です。拠点とする京都から高知に教えに来ています。
逸平師匠のもと、太郎くんが今取り組んでいるのは、独特の“古い日本語”のせりふを、とにかく、いっぱい覚えて、声に出すことです。
ただ、狂言に台本はありません。太郎くんは、師匠が話したせりふを聞いて、それをまねすることの繰り返し。せりふを覚えたら、体の動きを合わせていきます。
本当は、一挙手一投足、かなり細かく動きが決まっているのですが、まだ5歳の太郎くんには、そこまで求めていません。
逸平師匠、その心は?
「『焦らずに一歩ずつ』です。教えるコツは、子どもに『もうこれで十分だ』と、飽きさせないこと。本人にとって若干、もの足りない感じが残るようにしています。すると、自分から『お稽古に行きたい』と言うんです。一度に全部詰め込むと、かわいそうでしょ?」
師匠の指導方針は効果てきめんのようです。
太郎くん、家では狂言の映像を見るなどして、進んで学習するほど熱心なんです。

“好き”に気付く

狂言を始めたのは3歳のころ。
家に、たまたまあった能面の本を面白がって、1人眺めているのを両親は見逃しませんでした。
知人から市内で狂言教室が開かれていることを聞いた父親の良太さん。自分は狂言に全く興味がありませんでしたが、太郎くんを狂言教室に連れて行ってみたのです。
太郎くん、はじめは大きな声に驚いた様子でしたが、何度か教室に通っていくうちに狂言に夢中になっていったということです。
良太さんが、息子の“浮世離れ”した習いごとを応援する理由を教えてくれました。
「自分が子どもの頃は、水泳や硬筆を半ば無理やり習わされて、ずっと受け身。最後は嫌々通って、結局あまり続かなかったんですよ。でも、自分の意思で始めたサッカーは長く続いたんです。自分の子どもにも、本人に興味があるなら、少し変わった趣味でも、応援してあげたいと思ったんです」
良太さんにとっての“サッカー”が、太郎くんにとっては“狂言”だっただけのこと。
子どもの「好き」を、先入観なく優しく受け止めたのです。
狂言を習うきっかけの一つとなった能面の本。私が取材で家を訪ねたとき、太郎くんの口からは、いろんな種類のお面の名前が次々と出てきました。

「とび、ぶあく、えびす…」

聞けば、本に載っているお面の名前を全部覚えてしまったそうです。
ちなみに、いちばん好きなお面は「般若(はんにゃ)」だと言います。

太郎くん、初の大舞台へ

6月、太郎くんが初めて大舞台に挑むことになりました。
師匠が選んだ演目は「しびり」。
主人にお使いを頼まれたお調子者の奉公人「太郎冠者(かじゃ)」が、足がしびれたと言って断ろうとする、というあらすじです。
その太郎冠者を、太郎くんが演じることになったのです。
上演時間は10分余りと短いですが、そのほとんどがせりふの応酬。
何十秒も続く、長いせりふもあります。
練習は、保育園に送ってもらう車の中。父親の良太さんが相手役を務めますが…
「たまに『せりふ間違えてるで』と突っ込まれます。子どもは覚えが早いから、そのうちついていけなくなりそうです」(父親 良太さん)

自分から師匠に提案まで

逸平師匠に向上心をくすぐられ、お父さんに自分の「好き」を認めてもらい、みずから進んで練習に励むようになった太郎くん。

驚かされたのは本番前最後の稽古の時でした。
突然、師匠に「やり方を変えてみたい」と演出の変更を提案したのです。
それは、太郎冠者が主人に直立したまま返事をするシーン。
太郎くんは、少しおじぎをすることで、より返事をしているように見せたいと申し出ました。
そもそも狂言は、何百年も前から決まった型とせりふがある古典芸能。私も学生時代に少しだけ狂言をかじりましたが、その専門家である師匠に、自分から「こうしたい」とは、なかなか言い出せるものではありません。

太郎くんの心意気を感じた逸平師匠。
驚きながらも、すんなりと提案を受け入れることにしました。
「まだ動きを細かく教える段階じゃないと思って、そこまで教えなかったけれど、自分から提案してくれるのは、うれしいですね。やる気があることはよいことです。太郎には、もう少し先まで教えてあげたくなりますね」(逸平師匠)

舞台の成功が“自信”に

本番の日。逸平師匠が太郎くんに狂言の装束を着付けると、それまでの笑顔は一変。
私は、ここで太郎君が「太郎冠者」に変身したと感じました。
本物の能舞台に太郎くんが立つのは、もちろんこの日が初めて。
客席には400人近い人が入りました。
それでも太郎くんは堂々としたものでした。

お使いに行きたくない太郎冠者。
「足がしびれて行けません」と言ったものの、夜の宴会には付いていきたいと、大慌てで足のしびれを治そうとする場面です。
父親を相手に練習を繰り返してきた長いせりふも、よどみなく言うことができました。会場の笑いも何度も誘い、見事、初舞台を成功させました。
舞台のあと、母親のさゆりさんに話を聞きました。さゆりさんは、狂言にのめりこむ夫と息子に半ばあきれていたそうですが、舞台のあと太郎くんの「変化」に驚いてしまったと言います。
「家にいる時は言うことを全然聞かなかったり弟たちと兄弟げんかしたりですが、きょうはいつもの太郎と全然違ってすごかった、感動しました。私の知らないところで、こんなにたくましくなってたんですね」

“好きこそものの上手なれ”

初舞台の3日後。私が取材した特集のテレビ放送を保育園の友達と一緒に見てくれたという太郎くん。なんと、その場で「僕ね、あと50個くらい狂言やる!」と、宣言したそうです。
太郎くんの生き生きと狂言に取り組む姿、そしてたくましく成長していく姿を追った今回の取材。「子どもの『好き』に気付き、応援してあげること」の大切さを感じました。
高知放送局 記者
田中 開