忘れられた災害の記憶 先人の無念を地図記号に

忘れられた災害の記憶 先人の無念を地図記号に
“天災は忘れた頃にやってくる”

誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?長い年月がたち、災害直後の緊張感や心構えを忘れてしまうことを戒めることばです。

一方で、このことばも災害がある度に耳にします。

“こんな災害は初めてだ”

本当にそうなのでしょうか。
忘れた頃にやってきているだけなのでは?

こうした2つのことばで代表される課題を克服するための新たな「地図記号」が誕生。背景を取材しました。
(社会部記者 内山裕幾)

新地図記号 西日本豪雨がきっかけに

“自然災害伝承碑”

ことし新しく誕生した新地図記号の名称です。

過去の災害の記録を伝える石碑などを示す記号で、石碑がモチーフとなっています。国土地理院が新しい地図記号を制定したのは、実に13年ぶりで異例のことです。

なぜ今になって、この記号が誕生したのでしょうか。
新地図記号、誕生のきっかけとなった石碑が、広島県にあります。1年前の西日本を中心とした豪雨で大きな被害を受けた坂町の小屋浦地区です。土石流などによって直後に16人が犠牲になりました。
「水害碑」という文字とともにぎっしりと刻み込まれた漢字。

今から112年前の明治40年、大雨で土石流が発生、44人が亡くなったこと。突然のことで逃げる暇がなく、被害が拡大したことを伝えています。

西日本豪雨の直後、捜索が行われる様子を流すテレビ画面には、この石碑も映し出されていました。

過去の災害の教訓を伝える石碑のそばで、16人の命が再び失われることになってしまったのです。被災直後に地元の人が語った後悔の念は重いものでした。
「せっかくこういう形で残してくれていたにも関わらず、それが生かせなかった。本当に断腸の思いと言いますか、本当に甘く考えていたというのが本音です」(地元の人)

“埋もれた”教訓を掘り起こす

西日本豪雨で最も多くの犠牲者が出た広島県。

広島大学の熊原康博准教授の調査では、県内で過去の水害を伝える石碑の数は、確認されているだけで約50。このうち、9つの石碑の周辺で被害が発生していました。

多くの災害の教訓が風化し、“埋もれて”しまっていたのです。

実はこうした事例は、大津波によって大きな被害を受けた東日本大震災でも明らかになっていました。

「忘れた頃にやってくることがないよう、“埋もれた教訓”を掘り起こし、現代に伝えていかなければならない」
この思いから、国土地理院は、新しい地図記号を制定。全国の自治体から災害を記した伝承碑の情報を集め、地図に載せることを決めたのです。
こうして国土地理院のWEB上の地図「地理院地図」には、全国158の“自然災害伝承碑”が記載されました。

ひっそり建つ “多摩川決壊の碑”

実際にどのような自然災害伝承碑が記載されたのか。私は関東にある2つの伝承碑を取材することにしました。

その一つが、東京・狛江市にある「多摩川決壊の碑」です。
多摩川の岸辺にひっそりと建っていた石碑。

水害に至った経緯や、その後、河川管理をめぐって行われた住民と国との裁判について記されています。

そして最後は「ここに水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記する」という言葉が。

災害担当記者となって1年足らずの私は、恥ずかしながらここで水害があったことを知りませんでした。

当時何があったのか。
水害が発生したのは昭和49年。

台風などで降り続いた雨によって多摩川の堤防が決壊、堤防沿いの民家19棟が次々と流されました。

首都圏の住宅街で起きたこの水害は、当時テレビでリアルタイムで全国に報じられるなど大きな注目を集め、ドラマ「岸辺のアルバム」の題材ともなりました。
現在の石碑の周りでは、つり人やシートを敷いて岸辺の風景を楽しむ家族連れ。和やかな風景の中、かつての水害の痕跡は読み取れませんでした。

通りかかった85歳の男性に、この水害の記憶について聞くと、「強烈な記憶として残っている」と話してくれた一方で、こうも話していました。
「近くに住んでいる人は覚えているかもしれませんが、水害の後に移り住んできた新しい住人も増えたし、若い人たちの間では、覚えてない人も多いと思います。風化していると思います」(地元の人)

埋もれていた“関東大震災の碑”

次に訪ねたのは、神奈川県寒川町でした。

自然災害伝承碑の掲載をきっかけに、地元でも改めて伝えていこうという動きがあると知ったからです。
寒川町では、大正12年の「関東大震災」で激しい揺れによって多くの家屋が倒壊し、31人が死亡しました。

今回掲載されたのは、この「関東大震災」の教訓を残す石碑や「関東大震災」と「安政の江戸地震」で繰り返し倒壊した神社の鳥居など5つです。
このうち倉見神社に残る石碑について寒川町拠点づくり部の米山紀一課長に案内してもらいました。

石碑は米山さんが「埋もれた記録」と言うように、人目に付きにくい神社の奥深く、草に覆われた場所に建っていました。
「道路裂ケ 橋梁落チ 家屋倒レ 火災起リ 通信途絶エ 運輸ナク 惨状其極ニ達ス」。石碑には当時の惨状が克明に刻まれていました。

神社の周辺の132の家屋のすべてが全半壊し、12人の死者が出たことや、その後も余震が続いていたことが読み取れます。最後は無念の思いとともに、今を生きる人たちへの警告が刻みこまれていました。

「嗚呼 怖ルベキハ 天災地震」
「私自身、今回の地図記号の制定をきっかけに知った、まさに“埋もれた”記録でした。当時の状況がかなり克明に記されていて、当時の人たちが後世に残したいという思いが伝わってきます」(寒川町 米山紀一さん)
米山さんによると、掲載された5つの伝承碑は、いずれも地盤が弱い“揺れやすい”場所に建っているということです。町では今後、地域の防災マップに掲載するなど、過去の教訓を知ってもらうための取り組みを進めることにしています。
「当時、町が大きな被害を受けたことも知らない人もいると思います。かつてこの地域で大きな地震災害があったという事実を多くの人に受け止めてもらい、来たるべき地震に備えてもらいたい」(寒川町 米山紀一さん)

“自然災害伝承碑”まだまだ募集中

現代の防災に生かせる“自然災害伝承碑”。
今回掲載された数は158にとどまっています。

しかし国土地理院は、こうした伝承碑は全国に「数千カ所」はあり、まだ“埋もれた記録”があるとみています。

国土地理院は自治体に対し、積極的に地域の伝承碑を推薦してほしいと呼びかけています。
「日本中、過去に災害を受けていないところの方が珍しいくらいで、中には埋もれている記録もある。災害は、地形的に同じ場所で同じ災害が繰り返されることが多く、自分が住む地域で過去に起きたことについて知ることが、命を守ることにつながると思う」(国土地理院・環境地理情報企画官・諏訪部順さん)

地域の伝承碑 「地理院地図」でチェックを

みなさんも地元や各地に残る伝承碑を調べてみて下さい。

国土地理院のウェブ上の地図「地理院地図」の画面の左上にある、「情報」のタグをクリック。そこから「自然災害伝承碑」を選ぶと、地図記号が出てきます。地図記号をクリックすると、伝承碑の建てられた年や災害の種別、概要を写真とともに見ることができます。

《地理院地図URL(NHKサイトを離れます)》
http://maps.gsi.go.jp/

“忘れた頃”“初めて”の災害にならないために

人間の一生において、災害は何度も遭遇するものではなく、どうしても“忘れた頃”か“初めて”となってしまうことが多いと思います。

しかし、先人たちは「子孫たちに二度とこんな苦しみや悲しみを経験させてはならない」と、石碑に無念や警告の思いを刻み込んできました。

豪雨に地震、津波、火山の災害。日本では、毎年必ずどこかで災害が発生しています。是非、自分の住む地域に伝承碑がないか、調べてみたり、訪れてみたりしてください。

そこにある先人たちの思いを今につなげることが、未来にわたって災害列島を生き抜く1つの力になると思います。
社会部記者 災害担当
内山裕幾