私がいるのは、あの日が曇りだったから

私がいるのは、あの日が曇りだったから
アメリカに留学したら、受け入れ先の高校の壁には巨大なキノコ雲のロゴ。バスケットボールコートの床にも、学校のTシャツにも、キノコ雲は誇らしげに描かれていました。10か月後、帰国を控えた18歳の高校生は、異を唱えました。「私にとって、キノコ雲は…」 声をあげた高校生と、それを支えた人たちの話です。(国際部記者 濱本こずえ)

留学先は「原子力の町」

アメリカ西部ワシントン州のリッチランド。この町には長崎に投下された原子爆弾のプルトニウムを生産した歴史があります。戦後も核関連の産業が盛んで、「原子力の町」とも呼ばれてきました。多くの住民はその歴史に誇りを持っていて、「Atomic(原子爆弾は英語でAtomic bomb)」という言葉は日常にあふれています。

この町の高校に交換留学で通うことになったのが、福岡県出身の高校3年生、古賀野々華さんです。去年8月に初めてこの町を訪れました。
「インターネットで検索して、何人の生徒がいるとか、どんなクラブがあるかは知っていましたが、学校に行くようになって、初めてロゴのことを知りました」(古賀さん)
高校のロゴマークはリッチランドの“R”の文字の後ろにキノコ雲が立ち上がっているデザイン。
ロゴは学校の壁や廊下の床など至る所に描かれ、愛されています。キャッチフレーズは“Proud of the cloud”。「キノコ雲は我らの誇りだ」という意味です。

モヤモヤが問題意識に

周りの生徒たちは皆、キノコ雲ロゴのTシャツやパーカーを着ています。古賀さんも、はじめはあまり深く考えず、同じようにロゴ入りのスクールグッズを身につけていたと言います。

しかし歴史の授業を受ける中で、古賀さんは周りのほとんどが「アメリカが原爆を落としたから戦争が終わり、多くの命が救われた」と考えていることを知り、モヤモヤが大きくなっていきました。
そのモヤモヤを問題意識へと変えたのは高校の先生、ショーン・マーフィーさんでした。ある日、ロゴ入りのパーカーを着ている古賀さんに「キノコ雲が何でできているか知っているかい?」と問いかけたのです。

答えにつまった古賀さんにマーフィー先生は、ロゴが長崎に落とされた原爆を表していること、その原爆のプルトニウムが町で作られたことを説明し「キノコ雲は犠牲になった市民や破壊された建物からできている」と話したと言います。
「その時、日本人なのにここに来て、ロゴについてあまり深く考えていない自分に悔しくなったり、ほとんどの生徒がキノコ雲という表面だけを知っていて、その下で実際に何が起こったかを知らない現実に悲しくなりました」(古賀さん)
「彼女はとてもショックを受け、泣き出してしまったんです。古賀さんはその日に、ロゴに対する自分の気持ちを言おうと決心したのだと思います」(マーフィー先生)
その日から古賀さんはロゴの入ったTシャツやパーカーの着用をやめました。

ホストマザーの協力

帰国の日が迫る中、古賀さんは、英文の原稿作りに取りかかりました。生徒達が校内向けに制作する動画に出演し、ロゴについての意見を言うことにしたのです。

原稿を作るに当たって、古賀さんは町に残る原子炉の見学ツアーにも足を運びました。町の歴史を学び、なぜ人々が誇りに感じているかを知るためです。
この過程で協力してくれたのがホームステイ先のホストマザー、サラ・ランドンさんでした。ロゴマークを変えてほしいと訴えるのではなく、ほかの生徒たちが知らない事実を伝えることを意識して自分で文章を練り上げ、言葉や表現の添削はランドンさんが手伝ってくれました。
こうして5月30日、古賀さんは動画を通じて学校の生徒たちに語りかけました。その全文です。

あの日が曇りだったから

アメリカ留学、リッチランド高校での学校生活は楽しかったです。一生忘れないような友人や思い出もできました。いろいろな経験から成長でき、多くのことを学ぶことができたと思います。

みなさんの歴史や文化、視点について私は学んできたので、今回は私の(視点)を知ってほしいと思います。

私は長崎に近い、福岡の出身です。長崎は2発目の原爆が投下された場所です。わたしがこの高校に来られたのは皮肉な感じもします。

私の出身地は当初、原爆の標的でした。私の祖父母が焼け死んでしまっていたら、私はここにいなかったかも知れません。しかしその日、天気が曇りだったので標的は長崎に変わりました。

リッチランド高校ではキノコ雲のロゴは誰もに愛され、そこらじゅうにあります。私にとって、キノコ雲は犠牲になった人と今の平和を心に刻むものです。キノコ雲の下にいたのは兵士ではなく市民でした。罪のない人たちの命を奪うことを誇りに感じるべきでしょうか。

私の国では毎年“平和の日”があり、若い人たちは原爆によってもたらされた荒廃や恐怖について学びます。長崎では8万人もの市民、多くの子どもや女性が不正義なことに殺害されました。

私はみなさんのロゴマークを変えたいと思っているわけではありません。みなさんに個人的な見方について知ってほしいのです。

リッチランド高校ではキノコ雲は誇りの対象です。考えてみて下さい。爆発の後にできるキノコ雲は、爆弾が破壊したもので作られています。私は町の残骸や、戦争に参加していない罪のない子どもや女性、男性(からできたキノコ雲)に誇りを感じることはできません。

私がここにいるのは、あの日が曇りだったからなのです。

“動画はこの学校に必要だった”

動画が公開されたあと、友達からの反応は想像していたものと違いました。「すごい感動して泣いた」「あの動画はこの学校に必要だった」ー 古賀さんは、動画が公開される前の日はほとんど寝られなかったと打ち明けます。
「学校の生徒たちがロゴに誇りを持っているのに対して、私1人だけがすごい違う、全く違う意見を持っているなかで、その意見をみんなの前で言う。英語もパーフェクトに話せないのに本当に伝わるのかとか、どんなリアクションが返ってくるのか考えてしまい動画を公開する前の日は恐怖や緊張を感じていました。この学校にきたということは、なにか意味があるのかなとか勝手に思って、やらなきゃと思ってやりました。あの動画がなければ日本側の意見は一生知ることがなかったと言われ、本当にやって良かったと思いました」(古賀さん)
古賀さんをサポートしたマーフィー先生と、ホストマザーのランドンさんも、行動をたたえています。
「古賀さんが勇気を持って自らの考えをこのような形で表現したことについて、とても誇りに思います。必ずしも聞きたいことばかりが報道されているわけではないように、学校の現場でも、様々な背景を持った人たちが意見を自由に言う機会を与えることが大切だと感じています」(マーフィー先生)
「キノコ雲のロゴについては、この町で日常的に議論されているわけではありませんが、ほとんどの人がこのロゴには違和感を持っていないのが現状です。古賀さんの動画を見た生徒たちが彼女の意見に真剣に耳を傾け、受け止めたことにとても励まされました」(ランドンさん)
古賀さんが声を上げたことは、地元のメディアなどが報じ、ツイッターでもキノコ雲のロゴの是非をめぐって議論が交わされました。1人の高校生が広げた静かな波紋。帰国直後の古賀さんは、屈託のない笑顔で振り返りました。
「留学に行ってよかったなと思うのは、温かい人たちに会えたこと。ホストマザーやホストファザー、マーフィー先生や友達をはじめすごく私をサポートしてくれて、一生の関係を築けたのかなと思います」(古賀さん)
国際部記者
濱本こずえ