WTO改革って何? 世界のキーマンたちが語る

WTO改革って何? 世界のキーマンたちが語る
日本では初めて、G20=主要20か国の首脳会議が、今月、大阪で開かれます。議題の1つが、WTO=世界貿易機関の改革。今回のG20で、世界は、トランプ大統領と習主席の首脳会談に注目していますが、その米中の貿易摩擦にも、密接に関わるテーマです。そして、日本も、その議論の当事者です。なぜWTOに改革が必要か? そもそもWTOって何…? 本部のあるスイス・ジュネーブで、3人のキーマンに聞きました。(ウィーン支局長 小原健右/ロンドン支局記者 栗原輝之)

貿易戦争は本当の戦争につながる

「貿易戦争は、実際の戦争につながる不幸な傾向がある。事態がエスカレートして予想外の方向に展開してしまうからだ。それは歴史が証明している現実だ」
悲壮感漂う表情でこう話したのは、スイス・ベルン大学のピーター・バン・デン・ボッシュ教授。WTOの“最高裁判事”を2年前まで務めた人物です。
WTOとは、何か。第二次世界大戦では、世界で貿易のブロック化が進んで戦争の要因になりました。その反省に立ち作られた前身の組織をもとに1995年に設立されたのがWTOです。

貿易での対立を「紛争処理制度」という仕組みで解決しています。しかし、この仕組みがいま、崩壊の危機にあります。アメリカがWTOに対し“制裁”を科しているからです。

裁判所が機能しなくなる

この「紛争処理制度」ですが、“裁判所”をイメージするとわかりやすくなります。2つの国が貿易をめぐって対立し、一方が訴え出たとき、WTOは加盟国で委員会を作ります。これが裁判所の役割を果たし、双方の主張を聞いたうえで“1審判決”を下します。

“判決”に不服があった場合は、「上級委員会」で審理します。審理は2審制なため、上級委員会は“最高裁判所”に当たります。160を超える加盟国が選んだ7人の専門家で構成され、下した“最高裁判決”には法的拘束力があります。
ところがアメリカは、上級委員会の専門家の新たな選出を2年前から拒否しています。この間、4人が任期を迎えて退任し、いまは3人しかいません。そして、ことし末には、さらに2人が任期満了を迎え、1人にまで減ってしまいます。上級委員会が機能するために必要な最少人数は3人。このままでは“最高裁判所”は審理が行えなくなり、「紛争処理制度」は機能停止に陥ります。

背景にはアメリカの不満

なぜアメリカは選出を拒むのか。バン・デン・ボッシュ教授は、上級委員会が8年前に出した“最高裁判決”がきっかけの1つになっていると話します。

当時アメリカは、中国から輸入される製品は不当に価格が安いとして、高い関税をかけていました。不当に価格が安いのは、自国の企業に対して、中国政府が出資する企業が部品を格安で提供したり、政府系の銀行が補助金を出したりしているためだとして、アメリカは国内の産業を守ろうとする措置をとっていたのです。

これに対し中国は、部品の安値での提供や、銀行からの補助金は民間どうしのやり取りで、政府は関係ないなどと主張し、「紛争処理制度」に訴えました。その中国の訴えが上級委員会でおおむね認められ、アメリカの対抗措置は不当だとする “判決”が下されたのです。
「アメリカの対中政策を制限する“判決”だと受け止められた。その後も中国に有利な“判決”が下され、アメリカは強い不満を抱いていた」
上級委員会で“敗訴”すると、それに従わなければなりません。このためアメリカは上級委員会の新たな委員の選出を阻んで、「紛争解決制度」を機能停止にしたうえで、貿易問題をすべて2国間で解決しようとしているのではないか。今の米中貿易摩擦はその象徴だと、バン・デン・ボッシュ教授は指摘します。
「アメリカは、力ですべてが決まり、小国は強国のいいなりになるしかない時代に、世界を逆戻りさせたいのだろうか。同じ過ちを繰り返さないため作った仕組みを否定すれば、多国間主義と自由貿易体制の否定にもつながる。各地で自国第一主義が台頭するなか、世界は同じ過ちを繰り返してしまうのではないかという不安さえ覚える」

WTOは自由貿易の“公共財”

機能停止に追い込まれかねないWTOの紛争解決の仕組みをなんとか守ろうと、奔走している日本人がいます。ジュネーブにある国際機関の日本政府代表部で特命全権大使を務める伊原純一大使です。
「WTOは世界の貿易にとって非常に重要な組織。貿易の問題はルールに基づいて解決できるようにすることが、日本の基本的な立場だ。どの国の大使も共通の公共財としてのWTOを維持していくために働いている」

日本もアメリカと同じ立場に?

そのWTOの“判決”が、ことし4月、日本に衝撃をもたらしました。

福島県などの水産物に対する韓国政府の輸入禁止措置について、撤回を求める日本政府の訴えが、WTOの上級委員会によって退けられたのです。WTOは特定の国の商品を理由なく差別することを禁じています。

しかし、上級委員会の判断は、韓国の輸入禁止措置そのものが問題かどうかまで踏み込まないまま、“1審の日本勝訴”を取り消しました。日本もアメリカと同様、納得のいかない“敗訴”に、直面したのです。しかし伊原大使は、アメリカがとる強硬的な手段は否定します。
「アメリカの措置は必ずしも同意できない。しかし、アメリカが問題としていることは、日本も確かに問題だと思っていることが多い。そういう共通の問題意識をうまく実際の政策に反映し、アメリカとの協力関係につなげていくことが重要だ」

夏までに崩壊の危機回避を

上級委員会の改革に向けては今、各国がさまざまな案を出しています。伊原大使は、こうした各国の意見を調整する中心メンバーの1人です。協力するニュージーランドやタイの大使と頻繁に顔を合わせ、戦略を練っています。ふだんは全く非公開ですが、今回、私たちはその様子を一部、取材できました。

いくつもの異なる提案を前に、伊原大使は「それぞれの提案の違いには目をつぶって、共通点を抜き出すことに集中しよう」と呼びかけます。これにタイの大使は「その戦略で行きましょう」と答え、話し合いが始まりました。ことし夏までに上級委員会の委員選出の手続きにめどをつけることを目指し、議論が進んでいます。

“共通点”を探す作業

上級委員会の改革だけでなく、紛争そのものを未然に防ぐためのルール作りも、日本は 主導しています。貿易をめぐる立場や経済状況は国によって異なり、1つにまとまるのは簡単ではありませんが、伊原大使は、地道に議論を続けていくことが国際舞台でも重要だと話します。
「意見の一致を見ないこと自体はよくあることで、それ自体は問題とは思わない。むしろ問題意識がどれだけ共有されているか。問題意識として共通に持っている部分をうまく抽出すれば、具体的な結果につなげていくことができる」

WTOトップも日本に期待

WTO改革の議論は、まず、6月8日と9日に茨城県つくば市で開かれるG20貿易・デジタル経済相会合が舞台になります。日本に向かう直前のWTOのトップ、アゼベド事務局長がNHKの取材に応じました。
「貿易をめぐる緊張に対処するためだけでなく、改革そのものも必要。システムは絶えず変わり、進化し続けなければならない。日本はWTO改革に関するすべての議論に関わっており、改革には日本のような存在がリーダーシップを発揮することが求められている」

米中をよく知る日本だからこそ…

ジュネーブで取材した複数の専門家も、そろってこう話します。
「80年代、日本は中国と同じ立場だった。だからこそ事態打開の糸口を見いだせるはずだ」
念頭にあるのは、かつての日米貿易摩擦です。当時のアメリカは、日本を「不公正貿易国」として、懲罰的な関税を盾に、日本に市場開放を迫りました。同じことを今度は中国を相手に繰り広げているというわけです。

中国に急速に追い上げられ、なりふり構わず抑え込もうとするアメリカ。自国産業のさらなる発展のためには、超大国との対じも辞さない中国。双方をよく知る日本だからこそ、打開策を見いだしてほしい。G20で議長国を務める日本のかじ取りに、世界から期待と注目が寄せられています。
ウィーン支局長
小原健右 
平成12年入局。仙台、東京、ニューヨークを経て、現在はジュネーブの国際機関などを担当。
ロンドン支局記者
栗原輝之
平成11年入局。経済部や国際部などを経て、現在は欧州経済などを担当。