「水没する島」に難民を? ロヒンギャの居場所はどこに

「水没する島」に難民を? ロヒンギャの居場所はどこに
ミャンマーで迫害を受け、隣国バングラデシュに避難している少数派のイスラム教徒、ロヒンギャの人たち。難民キャンプは人口90万人にまでふくれあがり、世界最大の規模です。

いま、その難民の一部を無人島に移す計画が持ち上がっています。しかしその島、雨季になると大部分が水没することがわかっていて、安全性の問題が指摘されています。なぜ、そんな計画が進められているのでしょうか。(アジア総局記者 杉本織江)

「人が住める環境なのか」高まる懸念

ロヒンギャは、もともとミャンマー西部ラカイン州に暮らしていた少数派のイスラム教徒です。おととし8月、そのラカイン州で武力衝突が起き、推定74万人という膨大な数のロヒンギャが、バングラデシュ南部のコックスバザールに逃れました。
それよりも前から避難していた人を含めると、難民の数は90万人を超えています。バングラデシュ政府の計画は、このうち10万人を、キャンプからおよそ150キロ離れた無人島に移すというものです。
島の名前は「バサンチャール」、ベンガル語で「浮島」という意味です。20年ほど前、河口に土砂が堆積してできたばかりです。島にはすでに、赤い屋根の建物が整然と建ち並んでいます。

しかし、この島。サイクロンや高潮で大部分が水没することがわかっています。国連や人権団体は、繰り返し安全性に懸念を示してきました。
国連でミャンマーの人権問題を担当するイ・ヤンヒ特別報告者は「この島に人が住めるのか疑問が残る。計画性のない移住を難民の同意なく行えば、『新たな危機』を生み出すだろう」と懸念を示しています。

一方、バングラデシュ政府は、堤防や避難所を整備し対策は十分だとして、ことし9月にも移送を始めたいとしています。

ふくれあがる「難民都市」

なぜ、そこまでして移住を急がなければならないのでしょう。

バングラデシュ政府で難民支援を担当する高官が強調したのは、難民キャンプがあまりに大きくなり、深刻化する受け入れ側の負担でした。
「キャンプができたことで、人口動態や社会構造、環境、水やエネルギー資源の面で、地元コミュニティーの大きな負担になっている。一刻も早く問題を解消する必要がある」
コックスバザールの難民キャンプに足を運んでみると、その「負担」の意味はすぐに理解できます。丘も平地も見渡す限り、竹とシートを組み合わせたテントや仮設住宅で埋め尽くされています。

ロヒンギャの人たちが食品や日用品を売り買いする市場まであちらこちらにあり、キャンプというより街のようです。
私たちの姿を見つけるとたくさんの子どもが人なつこく駆け寄ってきてくれますが、その足下にはテントや住宅から垂れ流された汚水がよどんでいます。

この場所、ほんの2年前まではすべて山林だったといいます。
それがおととし以降、押し寄せた難民が、みずから木を倒してテントを建てはじめ、またたく間に「難民都市」に姿を変えました。

地元コミュニティーの限界

受け入れ地域のもともとの人口はおよそ50万人。そこに90万人の難民が加わり、地元の住民はいまや「少数派」です。

キャンプから数百メートル離れた家に暮らす地元の女性は戸惑いを隠せない様子でした。

おととしまで住んでいた場所は、しだいに難民のテントに取り囲まれ、政府からも土地を差し出すように言われて、引っ越しを余儀なくされました。いまでも、庭木の果物を難民に盗まれ、家畜の牛を連れ去られそうになることもあるそうです。
「最初はかわいそうだと思いましたが、今は怖いだけです。どうして私たちの国にロヒンギャがいるのですか?」
女性は怒りをあらわにしました。

地域経済にも影響が出ています。食品の需要が急増し、特に野菜や果物の値段は2倍に上がったといいます。
仮設住宅をつくる竹や木材の値段、支援関係者が利用する賃貸物件の家賃も高騰し、暮らし向きは厳しくなっています。

帰る場所もなく

ロヒンギャの人たち自身も、いつまでもキャンプにいたいとは思っていません。
難民の定住化や混乱を避けたいバングラデシュ政府が、様々な面で行動を制限しているからです。
定職に就いて決まった収入を得ることは禁止。学校教育も認められません。国連やNGOが「学習センター」を開き、小学校レベルの授業を行っていますが、正規の学歴とは認められないうえ、中学校から上のレベルはありません。

一方で、ミャンマーへの帰還もめどが立っていません。

逃げてきた人の多くが、ミャンマーの治安部隊に無抵抗の家族を殺され、暴行され、家を焼かれたと証言するなか、戻った先で再び迫害されることはないのか、確証がないためです。

ミャンマー・バングラデシュ両政府は「できるだけ早く帰還を始める」ことで合意しています。国連機関が協力し、必要な環境を整える方針も決まっています。
しかし、ミャンマー政府は、国連による迫害の事実調査を拒否するなど、国際社会との対話に後ろ向きな姿勢をとり続け、帰還に向けた動きは進んでいません。

ただ人間として暮らせる場所を求めて

バングラデシュ政府は無人島への移送を始める前に、安全性を含めた国際社会の理解を得る方針を示していますが、この先どうなるのか見通しさえ立たない難民の間では、不安や絶望も広がっています。

治安部隊に夫を殺され、みずからも性的暴行を受けたという23歳の女性が心境を話してくれました。
2歳と0歳の子どもを育てているこの女性は、求めるものはひとつしかないと涙を流しながら訴えました。
「この2年、自分たちの土地と平和がほしいと何度も言ってきましたが、かないません。殺され、血を流しても、私たちが暮らす場所はありません」

子どもたちに夢を

ロヒンギャの人たちが、人間として当然の権利を保障され、安心して暮らせる場所はないのでしょうか。

取材中、胸を打たれたのは、11歳のロクサナ・ビビさんの言葉でした。おととし、両親ときょうだいとともにミャンマーから逃げてきたそうです。
「赤ちゃんが川に投げ込まれ、私と同じくらいの歳の子どもが喉を切られていました」
淡々と語るものの、その表情には迫害のむごさを感じずにはいられませんでした。ロクサナさんは学習センターに毎日通い、宿題も欠かしません。
英語が好きで、将来は学校の先生になりたいそうです。どんな大人になりたいか尋ねました。
「たたかれたり、いじめられたりしないで生きたい。勉強してほかの子どもに教えたい。教育を受ければ、他人の言いなりではなく、自分のために働くことができるから」
ロクサナさんの願いがかなうまで、国際社会はこの問題を忘れることなく支援を送り、ミャンマー政府には、人を人として扱う国であることを行動で示すよう求め続けなければならないと思いました。
アジア総局記者
杉本織江