赤ちゃんは泣いてもいいんだよ

赤ちゃんは泣いてもいいんだよ
ある夏の夜。1歳半の息子が保育園帰りで疲れていたのか、暑かったのか、バスの中で火がついたように泣き出しました。
「どうしよう。降りようか…」
そう観念したときに、そばにいたおばあちゃんが「これあげる」とあめ玉を1つ、私の手に握らせてくれたのです。
「赤ちゃんは泣いてもいいんだよ」
そういう意味だったのかもしれません。あめ玉ではないけれど、公共の場で子どもが泣きやまず途方に暮れる親たちに応援のメッセージを伝えるグッズが静かに広がっています。
(ネットワーク報道部記者 木下隆児・吉永なつみ・飯田耕太)

“肩身の狭い思い”の数々

「引っ越したばかりで近所の保育園に2歳の子どもを預けられなかった頃、子連れで朝の通勤電車に乗っていたら、混み合う車内におびえた子どもが泣き出してしまい、会社員ふうの男性から舌打ちをされました。それがとてもショックで、しばらくの間、片道2000円かけてタクシー通勤をしました」(30代女性)
「友人の結婚式に2歳の子どもと参列したところ、帰りが午後8時半を過ぎてしまい、眠くなった子どもが電車の中で泣き出してしまいました。すると、近くにいた高齢の男性から『子連れで出歩く時間じゃない。泣きやませられないなら降りろ』と言われました」(30代女性)
公共の場所で子どもが泣きやまずに困った経験を同僚に尋ねて回ったところ、こんな体験談を聞きました。

赤ちゃんの泣き声は「全く気にならない」という人もいれば、体調やそれぞれが抱える事情によって不快に思う人がいることも確かです。

特に何かを指摘された経験がないという人も一様に「周囲の目が気になって、肩身の狭い思いをしたことがある」と話していました。

こうした子育て中の親が感じる心理的な負担を和らげようと、「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」と題した運動が3年前から少しずつ各地に広がっています。
かわいらしい赤ちゃんのイラストに「泣いてもいいよ!」というメッセージが添えられたステッカー。これをスマートフォンやパソコンなどの見えるところに貼って、泣いている赤ちゃんに手を焼く親にさりげなく応援する気持ちを伝えようというのです。

『そんなつもりじゃなかったのに』

この取り組みを進めているのはウェブニュースなどを手がける東京 港区のIT企業です。きっかけはカフェの席で1人の女性がパソコンで仕事をしていたときのこと。

近くのテーブルで幼い子どもが大声で泣き出し、母親があやしながら、周囲に謝り続けるのをみて女性は目で合図を送りました。

「私は気にしませんよ」と。ところが、よかれと思った行動が相手に理解してもらえず、逆に「本当にすみません」と謝られ、気を遣わせてしまう結果に…。

子どもの声に迷惑していると思われてしまったようです。女性は思いました。

「そんなつもりじゃなかったのにな。気軽にこの思いを伝えるにはどうすればいいんだろう」

この経験をもとに、『その泣き声、気にしませんよ』という気持ちを伝えられるツールとして、ステッカーが考案されたそうです。プロジェクトの担当者はこう話します。
「小さな赤ちゃんが泣いてしまうのは自然なこと。ママやパパの気持ちが少しでも楽になるようにという思いで配布を始めたところ応募が殺到し、共感が広がっていったんです」(エキサイト・村井麻衣子さん)

広がる共感

以来、この「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」に共感する人や自治体・企業が増え、今月20日の時点でホームページ上で募る個人の賛同数は4万1000件余り、団体は200を超えています。

ステッカーは自治体の施設の窓口や企業が運営する店先などで無料で配っていて、場所はプロジェクトのホームページでも確認できます。今後はステッカー以外のグッズも展開できないか検討し、より多くの人に広めていきたいそうです。

担当の村井さんは「電車やバス、飲食店で子どもが泣いても『焦らなくても大丈夫!』。そうした思いやりの輪が広がって、子育て中の人も暮らしやすい世の中になってほしい」と話していました。

泣いてもいいじ!

プロジェクトに賛同した14の県のホームページを検索してみると、長野県が「赤ちゃんの泣き声を温かく見守っている人たち、集まれ!」と掲げているのを見つけました。

話を聞いたところ、長野県はおととしから毎年11月19日を「いい育児の日」と定めて、子育てを支援する取り組みに力を入れているそうです。

そして去年5月、中信地方の方言を使った「泣いてもいいじ!」と書かれた長野県版のステッカーやポスターを作ったそうです。また、長野県では「この場所では泣いてもいいよ」ということをわかりやすく示そうと、独自のポスターやステッカーも作りました。
ポスターには「赤ちゃんは泣くのが仕事。だから、おでかけ中に赤ちゃんが泣いても焦らなくて大丈夫!」と書かれていて、地元のラジオ局などを通じて協力を呼びかけたところ、合わせて32の飲食店や美容室、寺や図書館などが応じたということです。

施設を増やそうと、県内の市町村に対し、ポスターやステッカーを掲示できる公共施設などを県に報告してもらうということです。

バスでも 映画館でも “泣いていいよ”

さらに長野県は公共交通機関にも協力を呼びかけました。すると県内のバス会社が「赤ちゃんが泣いても“お互いさま”」というコンセプトで3歳以下の子どもの座席を無料にした東京ディズニーリゾートへのバスツアーを企画。
当日は3歳以下の子ども6人を含む合わせて25人が参加。車内で時折、泣くことはあったものの、行きも帰りもトラブルなくツアーを終えることができたそうです。

また赤ちゃんと一緒に映画を満喫してもらおうと「ママシアター」という取り組みも行っていて、おととしは6か所、去年は8か所の映画館が協力しているということで、ことしはさらに広げたいとしています。

長野県次世代サポート課は「取り組みを進めると、『ありがたい』という声や『子どもがいると出かけにくいと感じていた』という声が実は多いことに気付きました。社会全体で子育てを応援する空気を作るために、まず赤ちゃん連れのお母さんやお父さんがお出かけしやすい環境を作っていければと思います」と話していました。
「泣いてもいいよ!」のステッカー、東京の自治体では世田谷区が来月上旬から配布を始めることにしています。
高知市の「TSUTAYA中万々店」もプロジェクトに賛同する企業の1つです。
去年の秋から店の入り口にあるラックに、ステッカーを置いています。

担当者によると、「まだ残っていますか」とステッカーを求めて訪れる男性客もいたといい、少しずつ手応えを感じているといいます。

泣く赤ちゃんはいつかの自分

「お菓子もおもちゃも持たない“丸腰”の状態で1歳の娘と電車に乗ったときのこと。娘が急にぐずり出したと思ったら、あっという間に手がつけられないほど泣きやまなくなってしまった。車両の端にいたのに、反対の端にいる人まで何事かと様子を伺う始末。ますます頭がパニック状態になって、途中で電車を2度も降りてあやしたものの泣きやまず、途方にくれた」

そんな体験を話していた50代前半の男性上司に、その後、同じ境遇の人を見かけたらどうしているか聞きました。

「電車内がすいていたら、積極的に近寄っていって赤ちゃんに“どうしたの?”と話しかけるし、混んでいてできなければ笑いかけるようにしているよ」

こちらの気持ちを敏感に察知する赤ちゃんは時に親や周囲の大人を映す鏡のようだと感じることがあります。

泣いている赤ちゃんはいつかの自分。

そう思って、少し先を行く私たちはせめてにっこり、笑いかける余裕を持っていたいと感じました。