首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が

首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が
「新元号、どん引き」「訳わかんなくね」
「新元号、不評。内閣支持率も急落」
安倍総理大臣をはじめ、政権幹部がもっとも恐れたシナリオだ。

実際はそうならず、「令和」発表後、SNS上などでは高評価が目立ち、政府内からは安堵(あんど)の声が漏れている。その影響か、内閣支持率は各種世論調査で上昇傾向。新元号を発表した菅官房長官は、ポスト安倍の有力候補のひとりに躍り出た。

では、これが他の原案だったら、どうだったのだろうか?
いまだ秘密のベールに包まれた新元号決定の舞台裏を探る中で、「令和」が「広至(こうし)」だった可能性があったことが見えてきた。
(政治部 官邸クラブ取材班)

評価と歓迎ムード

4月1日、午前11時41分。
新元号が宮中に伝えられたという報告を受けた菅官房長官は、「奉書紙」と呼ばれる丈夫な和紙に「令和」と墨書された額縁を掲げ、新元号を発表。正午過ぎには安倍総理大臣みずからが記者会見し、「令和」を日本最古の歌集である万葉集から引用した意義を強調した。

発表直後から、SNS上では高評価が目立った。揶揄(やゆ)したり批判したりする声もあったが、テレビや新聞も、歓迎ムードの広がりを報じた。

菅官房長官は翌日の記者会見で、「国民に好意的な受け止めが広がっているとすれば」と慎重な姿勢を堅持しながら、新元号が広く国民に受け入れられるよう努める考えを強調した。
ただ政府内からは「退位の表明以来、苦労の連続だったが報われた」などと、安堵の声が相次ぎ、新元号に対する世論の動向に神経を尖らせていたことがうかがえた。

最初のヤマ場で、首相がダメ出し!?

では新元号は、どのように決まっていったのか?
その選定過程は秘密のベールに遮られ、全容が明らかになっていないが、決定直前の2月末と3月末の2回、大きなヤマ場があったことが明らかになった。

最初のヤマ場となる、ことし2月末。
平成の30年間に極秘に有識者から集められた約70の案が安倍総理大臣に示された。

案を示したのは、政府内で、昭和から平成への改元直後から、次の改元に向けて新元号の選定作業を極秘裏に進めてきた部署=旧内閣内政審議室、現在の内閣官房副長官補室だ。通称「補室」と呼ばれるこの部署は2001年に行われた中央省庁の再編で誕生した。内閣府本府の中にある。
元号の選定は内政を担当する歴代の内閣官房副長官補を含め、ごく少数のメンバーで作業が進められてきた。

そして約70の案の中から「補室」で絞り込んだ10数案について、担当者は、典拠=出典や意味を1つ1つ安倍総理大臣に説明した。

政府内では、安倍総理大臣が第1次内閣の頃から周囲に、「新元号は国書が典拠になるといい」と漏らしていたことが共有されていた。こうしたこともあってか、10数案の中には、典拠が国書のものも含まれていた。

安倍総理大臣は担当者に対し、選に漏れたほかの案について、「なぜ、これは落とされたのか」などと質問したという。

担当者らは当初、10数案の中から、最終候補となる原案が選定されると考えていたため、「良いものがないのだろうか」と不安がよぎった瞬間だった。

予想は的中することになる。

安倍総理大臣は浮かない表情を浮かべながら、「まだ時間はあるので、もうちょっと考えてくれませんか」と追加の考案を指示したのだった。
政府関係者は、蓄積されていた約70の案について、「専門家には、慣性・惰性が働いているからか、過去の元号と似たようなものが多くあった。絞り込んだ中には、総理にとってピンと来るものがなかったのではないか」と振り返った。

ある職員の死

安倍総理大臣に示された約70の案。
実は、この収集と選定作業を支えてきたのは「補室」の職員ではなかった。
国立公文書館に籍を置く、ひとりの職員だった。

政府は、昭和から平成への改元が行われた直後から、中国文学、東洋史、日本文学、日本史といった分野の大家とされる有識者にひそかに新元号の検討の依頼を始めていた。

案ができあがると、その案について、
▽国内外の過去の元号やおくり名=(崩御後の呼び名)として使われていないか
▽俗用されていないか
▽国民の理想としてふさわしい、良い意味を持つか
ということを、確認してきた。

インターネットが普及したとは言え、専門家でもない行政官が選定作業を行うのは容易ではない。
それを黙々と支えてきたのが、国立公文書館に籍を置いていた尼子昭彦氏だった。
尼子氏は「内閣事務官」の肩書きも与えられ、「補室」にも出入りし、有識者と選定作業にあたる行政官の橋渡し役を担っていた。
国立公文書館の元館長の1人は、「尼子氏は漢籍=中国の古典が専門で、二松学舎大学の出身。二松学舎大学で教授をしていた宇野精一氏からの推薦で国立公文書館に入った」と明かした。
宇野精一氏は、中国思想史が専門で、昭和からの平成への改元の際に、3つの原案に含まれた「正化」を考案したことで知られる。
政府関係者は「尼子さんは、今回の改元に向けた作業だけではなく、平成への改元の際も作業に関わっていたようだ」と述べ、尼子氏が長年にわたり、元号の選定作業に深く関わってきたことを明らかにした。
尼子氏は国立公文書館に在籍していた際、同僚には「内閣官房の仕事に行ってくる」などと言って外出することがあったが、何の仕事をしているのかははっきりせず、元館長でさえ、「元号に関する仕事をしているらしいがよく分からなかった」と振り返った。
尼子氏は、政府が内々に考案を依頼している有識者のもとをたびたび訪れ、元号についての意見交換を主に行っていたという。

2007年10月、国立公文書館で秋の特別展「漢籍」が催された。
尼子氏はこの展覧会の開催にあたって、中心メンバーとして心血を注いだ。国立公文書館のホームページには、展示会開催の記録がいまも残っている。
しかし展覧会が終わったころから体調を崩して仕事を休みがちになり、数年後、退職の手続きがとられたという。

尼子氏はその後、体調が回復して非常勤という形で、内閣官房で元号選定の仕事を続けていたが、定年を迎え退職し、その後、新元号「令和」を見届けることなく、去年の春に亡くなった。

口かずの少ない寡黙な人で、東京都内のマンションで1人暮らしをしていた。ある関係者は「孤独死のような亡くなり方だった」と沈痛な面持ちで話した。広島県に住む弟が上京して葬式を済ませ、「補室」の一部の職員が手伝いながら部屋の片づけが行われたが、部屋には膨大な数の漢籍の本があったということだ。

「縁の下で元号選定作業を支えて下さった人。本当に感謝しているし、そういう人が世に知られて評価されるのであれば嬉しい」と一緒に働いたこともある、政府職員は話していた。

一子相伝の選定作業

尼子氏が内閣官房を去って以降、10年ほど前から国立公文書館で勤め始めた職員が跡を継いだ。
その職員は現在は内閣官房に籍を移しているという。この職員も漢籍が専門で、内閣府本府の地下1階にある作業部屋を拠点に1人ひっそりと作業を進めたという。

事務方による選定作業は、古谷官房副長官補と開出内閣審議官、それに「尼子氏の後継者」となった職員の3人で主に進められ、後継者の職員は、新元号発表を前に立ち入り禁止となった「補室」のある5階と地下1階を頻繁に行き来していた。

5人の専門家

話しを元に戻そう。新元号発表まで残すところおよそ1か月となる中、安倍総理大臣の指示を受けて、政府は、専門家らに対して、候補案の追加を依頼した。同時に、過去の240余りに上る元号の選定過程で未採用となった案を引っ張りだし、今の時代にあったものはないか改めて検討を行った。

安倍総理大臣からも「俗用ばかり気にしていたら良いものは選べない」などという指摘も出され、約70の候補案について、意味や響きなどから再評価が行われ絞り込み作業が改めて行われていたことが新たに明らかになった。

こうした作業が水面下で進められる一方、政府は3月14日、複数の専門家に対して考案を正式に委嘱したことを発表した。政府は、何人の専門家に対し委嘱したのか、いまなお明らかにしていないが、委嘱されたのは5人だったことも今回、判明した。

▼「令和」の考案者で、国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏
▼東京大学名誉教授で、東洋史が専門の池田温氏
▼二松学舎大学元学長で、中国文学が専門の石川忠久氏
▼中央大学名誉教授で、中国哲学が専門の宇野茂彦氏
▼残る1人は「国書」に精通する人物とみられるが、これまでのところ特定には至っていない

しかし、政府関係者によると、体調を崩していた人もいたことなどから、これら5人の専門家全員には、追加の依頼は行われなかった。

追加の依頼が、まず行われたのは宇野茂彦氏だった。研究室のホームページによれば、宇野氏は4年前の教授としての最終講義の際にも、「漢學における『文學』」を説いた、漢籍の専門家である。
宇野氏の父は、前回の改元の際に、3つの原案の1つ「正化」を考案した宇野精一氏であり、尼子氏の師にもあたる。加えて「尼子氏の後継者」は宇野茂彦氏の教え子で、親子二代続いて元号の選定作業に関わったことになる。
その後、さらに中西氏と、われわれが特定に至っていない専門家に対し、追加の依頼が行われた。こちらの2人は、国書が専門だ。
万葉集の大家である中西氏に追加の考案を依頼した際、政府関係者は、万葉集で使われている「万葉仮名」は使わないように求めた。
日本語の音に漢字をあてはめた「万葉仮名」から考案すると、意味をとることが困難になるからだ。
そこで中西氏は、万葉集に限定しない形で考案を始め、3月下旬になって、「令和」を含む数案を提出したという。

第2のヤマ場

追加案が集まったのを受け、新元号発表の5日前の3月27日、総理大臣官邸では極秘の会議が開かれた。
第2のヤマ場だ。

出席者は、安倍総理大臣、菅官房長官、杉田官房副長官、古谷内閣官房副長官補、開出内閣審議官。事実上の最高レベルの意思決定の場だったと言える。
その場では、中西氏から提出された「令和」を含む複数案が示され、協議が行われた。

安倍総理大臣が初めて「令和」と対面した瞬間だった。

「令和」は、政府の依頼に応える形で、万葉仮名を避けつつ、漢文で書かれた万葉集の序文から考案されていた。安倍総理大臣の「令和」に対する反応は最初はそれほど、良くないように見えたが、議論が進むにつれ、「令和で関係者全員が一致した」という。

ただ政府関係者は、この時点で新元号が「令和」に決まっていた訳ではないと強調する。
「新元号決定前に開かれる有識者会議で、どのような意見が出るか分からない。気分としては『令和』だったが、『令和』に決め打ちしていた訳ではない。『広至』がいいという意見もあった」
新元号の決定後に発表する予定だった安倍総理大臣の談話も「令和」「広至」を含めた、3つの原案について準備されていたという。
こうした協議を経て、原案6つが最終的に確定したのは、新元号発表の3日前となる3月29日のことだった。

夜のリハーサル

発表前日の31日。
有識者などからなる懇談会などで配布される、原案が記された資料の作成が行われた。

保秘を徹底する観点から、開出審議官が官邸に泊まり込んで資料を管理したそうだ。
「万が一、官邸内のスタッフの中に協力者がいた場合、鍵を開けられ、部屋に入られたら保秘が貫徹できない」
政府関係者は「新元号を抜かれるかどうかは、みなさん(報道各社)とのまさに戦いだ」と話していたが、まさに徹底した情報管理が行われた。

夜になると、菅官房長官が人目を忍んで総理大臣官邸1階の記者会見室に入ったことも確認された。会見室には、菅官房長官のほか、「補室」などの関係者が集まっていた。

菅官房長官は会見の際のように演壇に立ち、「平成」と書かれた額縁を掲げるなど、翌日に備えたリハーサルが繰り返された。
額縁に書かれた新元号が、掲げる直前に、演壇の前に座る記者団から見えない角度などの確認も入念に行われた。

発表の当日

迎えた発表当日。
各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」「衆参両院の正副議長からの意見聴取」そして「全閣僚会議」には、「令和」を含む、これら6つの原案が示された。

原案は、A3サイズの1枚の紙に50音順で示され、典拠=出典、そして意味が添えられていた。

▼「英弘(えいこう)」は、現存する日本最古の歴史書「古事記」
▼「久化(きゅうか)」は、儒教の基本的な考え方を示した中国の9つの古典「四書五経」の1つの「易経」
▼「万和(ばんな)」は、中国の前漢の時代に作られた歴史書「史記」
▼「万保(ばんぽう)」は、久化と同じく「四書五経」の1つ「詩経」
▼「広至(こうし)」は、当初、日本と中国のそれぞれの古典を出典としているという情報もあったが、実際は日本の歴史書である「日本書紀」と「続日本紀」だった。
▼「令和」が万葉集。

ただ政府関係者によると、この中には「広至」と同様に、複数の典拠を持つものもあるという。
また「英弘」は当初、安倍総理大臣に示された10数案には含まれていなかったが、再評価の過程で復活したものだった。

最終段階で評価は

「元号に関する懇談会」では、9人のメンバー全員が日本の古典を典拠とするのが望ましいという考えを示し、8人が、「令和」を推す一方、1人が「これまでに元号に使われていない漢字が使われている」などとして、別の原案が好ましいと発言した。
続く「衆参両院の正副議長からの意見聴取」では、菅官房長官が1人1人に「ご意見はありませんか」と求めた。
衆参両院の正副議長からは、「わが国の良き伝統と未来への希望を託せる新元号が望ましい。提示された原案は、いずれもこれにかなっている。内閣でこのうちのどれかに決めてもらえば良い」などと、特定の案を推す意見はなく、政府に任せるという意見で一致したという。
ただ「万葉集」の梅花の詩の序文からとられた「令和」を念頭に、「元号が特定の季節をさすのはいかがなものか」という指摘が出ていたという。

“想定外”が起きた全閣僚会議

最後の議論の場となった「全閣僚会議」。当初の予定は10分程度だったが、意見が相次ぎ20分近くかかった。
ある政府関係者は、「手続きの中で唯一の『想定外』だった」と述べた。

この中で、杉田官房副長官は「元号に関する懇談会」について、「すべての有識者が日本の古典からの案を薦めたほか、『令和』を推す意見が多数を占めた」と報告したほか、「衆参両院の議長・副議長の意見聴取」については、政府一任となったと説明した。

そして菅官房長官が閣僚らに発言を促すと、河野外務大臣が最初に口火を切り、日本の古典から選ぶことを支持する一方、「令和」の「和」の字が昭和の「和」と同じだと指摘した。
するとほかの閣僚からも意見が相次ぎ、発言したのは閣僚の半分にあたる10人となった。
このうち9人は、日本の古典からの選定を求め、4人が「令和」を推す一方で、「英弘」や「広至」などが良いという意見も出された。

想定に反して時間がかかったため、菅官房長官が「ご意見を踏まえて、新元号は総理に一任することとしたい」と述べると、異議は出されず、一任となった。

これを受けて、安倍総理大臣は、「令和」が好ましいという考えを表明し、会議は幕を下ろしたのだった。

選定のあり方とは

NHKの世論調査で、「令和」について、どの程度好感が持てるか尋ねたところ、「大いに好感が持てる」が30%、「ある程度好感が持てる」が51%と、支持する意見が8割を超えた。
また、初めて日本の古典「万葉集」から引用されたことについても、「評価する」が63%となった。
その後、行われた皇位継承の際には、列島は歓迎ムードに包まれた。

そうしたことの影響か、NHKをはじめとする報道各社の世論調査で、内閣支持率はいずれも上昇している。
この状況を受け、与野党双方から、夏の参議院選挙に合わせた衆参同日選挙をめぐって、さまざまな発言が出ている。

前回、昭和からの改元の際には、国会を含めて大きな論争が起き、全国でゲリラ事件も相次いだ。しかし今回は、受け入れるムードが広がっている。

ただ、先の大戦を経て現行憲法が施行され、国のあり方、天皇制、そして元号の持つ意味は大きく変化した。その意味合いを、少し立ち止まって考えてはどうだろうか。退位をにじませるお気持ち表明以来の一連の特集記事が、きっかけとなることを祈念してやまない。