天皇陛下退位 宮内庁キャップ解説

天皇陛下退位 宮内庁キャップ解説
30日夕方、「退位礼正殿(たいいれい せいでん)の儀」が行われ、日付が変わるとともに天皇陛下が退位されます。皇室の取材を続けてきた社会部 宮内庁キャップの橋口記者の解説です。

退位決断の理由は?

天皇陛下は「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」と考えられています。このため、「務めが果たせなくなれば、譲位・天皇の位を譲るべきだ」となります。

3年前の8月8日、天皇陛下はビデオメッセージの形で、みずからの老いに触れ、務めを果たせなくなる懸念を語られました。
天皇陛下が、あれほど率直に胸の内をあらわされたのは初めてで、おことばには、退位の意向が強くにじんでいました。

自分の年齢と象徴としての務めの重さを熟慮したうえでの行動で、高齢化の進む日本社会における、象徴の当事者自身による問題提起だったとも言えます。

そうした天皇陛下の思いに、多くの国民が驚く一方で共感を寄せ、退位が実現することになりました。

天皇陛下が、高齢になるまで国民に尽くし続けてきたことを多くの人たちが分かっていたからだろうと思われました。

初めて意向を聞いた時は?

耳を疑うほどの衝撃的な話でした。天皇陛下の考えを知りうる関係者が、ある晩、おもむろに話を切り出したんです。
「陛下は譲位を望まれている」
「数年以内に皇室が大きく変わるかもしれない」
それまで報じてきたニュースとは、全く次元の違う話で、「大変なことになった」というのが正直な気持ちでした。

その後、信頼できる別の関係者に話をぶつけると、その関係者は、みるみる表情を変え、「限られた者しか知らない話だ」と気色ばんで、「今報じると、陛下の意向がつぶれるぞ」と激しくけん制してきました。やすやすと報じることなどできない、しびれるような重大な話だと感じました。

すでに80歳を超えられていた天皇陛下。それまで、宮内庁の幹部が、公務の大幅な削減を促しても、決して首を縦に振られませんでした。側近たちも「『公務の負担軽減』は、陛下の大嫌いなことばだ」と話していました。

このため、私たち皇室を担当する記者は「天皇陛下は倒れるまで走り続けられるのだろうか」と心配していました。

そうした中での「退位」の意向。「天皇陛下の答えは、こういうことなのか!」と思いました。

負担軽減を拒む姿や天皇陛下の公務に定年制が必要だとするかつての秋篠宮さまの発言など、皇室の言動のおおもとにあるものが現れ、パズルで言う最後のピースが見つかったという思いでした。同時に、制度にない退位を、どうやって実現するのだろうとも感じていました。

お気持ち表明までの葛藤

天皇陛下は、なるべく早い時期に、気持ちを表したいと考えられていましたが、事情を知る限られた関係者たちは、天皇陛下が退位の意向を示されたあとも、しばらくは、翻意していただけないかと考えていたようです。

一方で、宮内庁の幹部や側近は、天皇陛下が、一度こうだと決めたら、よほどのことがないかぎり、引かれない性格だと分かっています。当初は戸惑っていた皇后さまも、「陛下のお気持ちに沿うようにしてさしあげたい」と、述べられるようになりました。

天皇陛下の意向は、時間がたてどもたてども変わらず、宮内庁も、お気持ちを受け止めて、動かざるを得なくなりました。
宮内庁が、官邸の一部に相談をもちかけ、本格的に動き始めたのは、ビデオメッセージの前の年でした。

一時は、その年の暮れの誕生日にあたり、天皇陛下がお気持ちを述べられることも検討されました。その後も、天皇陛下のお気持ちの表明をめぐって、宮内庁と官邸サイドの検討が続きました。

天皇陛下が、制度に関して公に意向を表すことは、憲法との兼ね合いからして困難を伴います。しかし、退位の意向を明確にしなければ、自分の気持ちが国民に、十分に理解してもらえないのではないかと、天皇陛下は強く懸念されていました。

そうした天皇陛下の気持ちを皇后さまがくみ取って、宮内庁の幹部らを前に代弁されることもあったと言います。

NHKが退位の意向の報道に踏み切った時にも、おことばは、まだ推こうが続けられていました。

そうした折、天皇陛下の気持ちが知れ渡り、多くの人々が賛同の声をあげる中で、おことばの文面も、退位の意向が、よりにじみ出たものになったと聞いています。国民の理解と共感が、天皇陛下のお気持ちの表明を支える結果になりました。

お気持ちはいつ頃から?

元宮内庁参与の三谷太一郎さんは、譲位の意向を天皇陛下から初めて聞いたのは、9年前の平成22年7月、両陛下のお住まいで開かれた参与らとの会合の場だったと証言しています。
天皇陛下は、このもう少し前から、宮内庁の長官などに意向を示されていて、皇后さまや皇太子さま、秋篠宮さまも、天皇陛下の気持ちを耳にされていました。

関係者の中には、平成の代替わりの経験をもとに、早い時期から、高齢となった天皇のあり方について、問題意識を持たれていたのではないかという人もいます。元側近の1人も「だいぶ前から考え始めて、次第に考えが固まり、参与の集まりで話をした時には、すでに誰がなんと言おうと考えは変えない、という段階になっていたのではないか」と話しています。

そして、天皇陛下の考えの背景には、昭和天皇の晩年のほとんど意識もない中での闘病生活や母親である香淳皇后の、晩年の認知症の状況などを、実際にご覧になっていたことが、大きく影響しているようなんです。

退位の時期の希望はあった?

内々に希望は示されていました。いくらか変遷はあったようですが、最終的には、ことしの春の年度替わりの頃の退位を望まれていたようです。

天皇陛下が参与らとの集まりの席で初めて退位の意向をあらわした時には、「80歳までは務める」という趣旨の発言をされたと言います。

その後、議論が続く中で、「平成30年までは頑張る」と述べられるようになります。平成30年、つまり去年は、天皇陛下が、暮れに85歳になられる年でした。

そして、ビデオメッセージの頃には、平成31年、つまりことしの、年度替わりでの退位を希望されるようになっていました。

1月に、昭和天皇が亡くなって30年の式年祭が予定され、天皇陛下は、みずら執り行いたいという気持ちを持たれていたようです。

一方、皇后さまは、高齢の天皇陛下を思いやり、平成31年の1年前、つまり、去年の年度替わりの頃の退位も念頭に置かれていたようでした。

常に天皇陛下をおそばで支え、いちばんの理解者でもあった皇后さまは、天皇陛下の老いを、誰よりも肌で感じられていたはずです。
ただ、この時期の退位が実現することはありませんでした。新たに天皇となる皇太子さまと雅子さまの準備のための時間なども考慮されたものと見られます。

ここ数年、天皇陛下は、式典での動きやおことばの読み上げに際して、間違えられることも出始めていました。一つ一つの務めをしっかりと果たすという天皇陛下の考える象徴天皇像を体現するには、今の時期の退位というのは、ある意味ギリギリのタイミングだったと言えるかも知れません。

皇室記者としての心境は?

お気持ちの表明から3年近くがたち、ようやく、そして、いよいよ、この日を迎えたという感じです。

皇室を取材してきた1人としては、平成が終わるというより、今の天皇陛下の時代が終わるというのが正直な気持ちです。国民に尽くすため、ひたすら務めを果たし続けられてきた姿が思い浮かびます。

その長い道のりを思うと感無量ですし、公務で国民と触れ合われる当たり前だった光景ともお別れかと思うと、やはり寂しさを感じます。しかし、一般の社会ではとっくに現役を引退している85歳。「十分に務められ、本当にお疲れ様でした」と申し上げたいです。

これからは自分の好きなことに時間を使いながらいつまでもお健やかに過ごしていただきたいと思います。

支え続けた皇后さま

天皇陛下が独身の青年時代に語られた中に、「自分は世情にうとく、人への思いやりに欠ける心配がある。人情に通じ、思いやりの深い人に、助けてもらいたい」という趣旨のことばがあります。

その思いをかなえられたのが、皇后さまでした。結婚50年の際の記者会見で、天皇陛下は、1首の短歌を披露されています。
「語らひを 重ねゆきつつ 気がつきぬ われのこころに 開きたる窓」
天皇陛下は、皇后さまという「窓」を通じて、社会や人々の気持ちへの理解を深め、象徴としての務めを果たされてきました。そうした皇后さまを、側近たちは「天皇陛下の最大の理解者」と表現します。
しかし、皇后さま自身は、皇位にある天皇陛下とは立場が異なるとして、常に一歩下がる形で献身的に天皇陛下を支えられてきました。天皇陛下は、なんでも皇后さまに相談されるようなんですが、皇后さまは、お尋ねがあれば考えを述べられるといった具合に、あくまで受け身の形で、こたえられてきたということです。

生活面では日課の散策に加え、食生活などの面で天皇陛下の健康を気遣う一方で、音楽や文学への造詣が深く、ユーモアのセンスもおありで、天皇陛下の日々の生活に潤いをもたらす存在でもありました。
ことし2月の天皇陛下の在位30年を祝う式典では、天皇陛下のおことばの読み間違いに気付いて、とっさの判断でサポートされました。おことばをすべて頭に入れられていたんだと思います。天皇陛下の象徴の歩みにおける皇后さまの存在の大きさがあらためて感じられた場面でもありました。

追い求めてきた象徴像とは?

「国民に寄り添い、喜びや悲しみを共にし、人々の幸せを願い続ける」 そうした天皇のあり方を追い求められてきました。

憲法に定められた国事行為以外にも果たすべき務めがあるとして、さまざまな公務に取り組まれました。

その1つが、父 昭和天皇の名のもとに始まった先の大戦の歴史と向き合うことでした。戦争が続く中で幼少期を過ごし、焦土と化した東京を目の当たりにされた天皇陛下。元側近たちは「戦争の歴史への当事者意識の中で戦没者の慰霊などに取り組まれてきた」と話します。

柱は2つでした。
▽犠牲者を悼み、遺族の悲しみに寄り添うこと。
▽平和を願い、戦争の記憶を正しく継承することです。

戦没者を統計上の数字ではなく、一人一人、尊い命が失われた悲しい現実として受け止め、悼む。同時に、元兵士から話を聞くなどして、戦争の記憶を正しく継承し、風化させないことに努められました。
そして、もう一つの大きなテーマであり、象徴として特に大切にされてきた務めが、困難な状況にある人たちに心を寄せるということです。

その典型が、被災地への訪問です。側近らは両陛下について、「大規模な災害が起きると、いてもたってもいられなくなる」と話します。

現地に出かけて、被災者の悲しみ、つらい気持ちに耳を傾け、その気持ちを分け持つ。そのため両陛下は、被災者の話を、ずっと聞き続けられます。会話をするというよりも、思いを受け止め、寄り添われようとします。「つらい思いを聞いてもらえたこと」が、被災者にとって何よりの慰めになるとご存じなのだと思います。

国民意識の変化

NHKが、昭和48年以降、5年ごとに行っている「日本人の意識調査」からは、天皇に対する国民の意識が、昭和から平成にかけて、大きく変わってきたことが伺えます。

昭和の時代には、各項目に大きな変化は見られませんが、平成5年の調査では「好感を持っている」が倍増しています。
この2年前、天皇陛下は皇后さまとともに、雲仙普賢岳の噴火災害の被災地を訪れ、体育館の床にひざをついて被災者にことばをかけられました。
「好感をもっている」は、その後も高い値を保ち続けますが、平成の後半になると、「尊敬の念をもっている」が大きく伸び、去年の調査では、平成の初期に比べて倍増しています。

天皇陛下が、かつての「大元帥」、昭和天皇と比べ「威厳がない」という声もあった平成の初期、天皇に対する「尊敬の念」の割合は低下しました。

それが平成の終わりには、こちらの項目でも昭和を上回ることになりました。象徴としてのあり方が、時がたつにつれて国民に受け入れられ、昭和天皇の時代とは、違った意味での尊敬を集めたことが伺えます。

「全身全霊」の思い

3年前のビデオメッセージの中に、天皇陛下の胸中がよく表れた箇所があります。
「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」
この「全身全霊」ということばには文字どおり、或いはそれ以上の重みがあるようなんです。

天皇陛下が、お気持ちを表明される数か月前、関係者が、こういう話をしてくれました。
「陛下は、さらに高齢になると思うように行動できなくなるばかりか国民を思う気持ちの強さまで弱くなりはしないかと不安や焦りを感じておられるようだ」

「天皇としての精神性を保つことへの危惧が肉体的な危惧よりもさらに強いのではないかと感じることもある」
私は、これを聞いた時、天皇陛下の考える象徴のあり方とは、そこまでのものなのかと、深く感じ入ったことを覚えています。

「全身全霊」で務めを果たす、「行動」と「気持ち」の両方を伴ってこそという天皇観。天皇陛下の象徴天皇としての矜持(きょうじ)を垣間見た思いがしました。

3回のおことば

天皇陛下は、今の憲法のもと、初めて象徴として即位し、時代にふさわしい皇室のあり方を求め続けられました。

そうした中、3年前のビデオメッセージで初めて大きく胸の内を明かし、ご自身の考える象徴天皇像をはっきりと語られました。

その神髄が、こちらの一文です。
「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」
前半は、天皇の伝統的な務めであり、後半は、平成の時代に大切にされてきたことです。みずからの考える象徴天皇の在り方についての理念を語られたものと言えます。

そして、去年12月の誕生日会見。今度は、「沖縄」、「慰霊」、「被災地」、「障害のある人たち」と、先ほどの理念に基づいて大切にしてきた事柄や行動を一つ一つ挙げられていきます。

そして、話が、沖縄の苦難の歴史や先の大戦の犠牲者に及ぶと、声を震わせながら思いを語り、会見の終盤で国民への感謝や、皇后さまをねぎらう気持ちを語る時には、こみ上げる思いにひときわ声を震わせられました。

平成の時代に、自分が、何を思い、どう行動してきたのか、その集大成ともいうべき会見であり、同時に、天皇陛下の心情があらわれた会見でもありました。
この2回のおことばが、相互補完的に、天皇陛下の築かれてきた、平成の象徴天皇像を物語っています。両方を重ね合わせますと、平成の時代に天皇陛下が追い求め、行ってきたこと、そして天皇陛下自身への理解を深めることができると思います。

そして、ことし2月、在位30年のお祝いの式典で、天皇陛下は、あらためて平和と国民への思いを語られました。
そのうえで、これから先の天皇について、「象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と述べられました。

このおことばは「自分が築き上げた象徴天皇像を基軸に、時代に求められる在り方を模索し続けなさい」という、天皇陛下が、将来の天皇たちに残されたメッセージでした。