平成を駆け抜けた “森高千里”

平成を駆け抜けた “森高千里”
4月12日、SNSで歌手の森高千里さんが話題になりました。この日はNHKの「あさイチ」に森高さんがゲストとして登場。ネットには「こんな細い脚でミニスカ履ける50歳2児の母とかありえない!」、「今も昔も可愛い」といった声があふれました。

森高さんが一世を風靡したのは平成元年のカバー曲「17才」。以来、他の誰とも違う独特の女性ミュージシャンとしての立場を確立しながら、平成を駆け抜けてきました。結婚、出産、育児を経た今も輝き続ける森高さんは熊本市出身。私は熊本から東京へ飛び、森高さんに平成という時代について聞きました。(熊本放送局記者 志賀祥吾)

平成を駆け抜けた歌手 森高千里さん

「私がオバさんになっても」や「渡良瀬橋」など多くのヒットソングを生み出してきた森高さん。デビューは平成が始まる直前の昭和62年です。

当時は17歳の高校生で、音楽大学に進学するつもりだったといいます。それが、友人に誘われて受けたオーディションで優勝。映画にヒロイン役として出演するとともに、映画の主題歌「NEW SEASON」を歌う歌手としてデビューしました。

「個性を出さないと勝負できない」

当時、アイドルは冬の時代を迎え、バンドブームが起きていました。1人で活動していた森高さんは、ある日スタッフから作詞を薦められます。そして手がけたのが昭和63年に発売された「ザ・ミーハー」。斬新で個性的な歌詞が話題となりました。
「バンドは人数も多くて迫力もあり目立ちます。私は1人でやっていたのでそのなかで目立つためには個性を出していかないと勝負できない。そういう時にスタッフから『まず歌詞を書いてみれば』と。それまで歌詞をほとんど書いたことがなかったので、自分が思ったことだったり、自分のことだったり、そういうところから歌詞を書き始めました」

「17才」でブレイク

平成元年。世の中はバブル景気に沸いていました。女性はボディーラインを強調した服を身にまとい、派手なメークで女性らしさをアピールしていました。この年にリリースされたのが「17才」です。森高さんは派手なスパンコールの衣装と、短すぎるスカートで歌番組に登場。多くの男性の心をわしづかみにしました。

「すべての女性に勇気を」

平成4年、「私がオバさんになっても」が発売されます。作詞のきっかけは男性のスタッフから言われた理不尽な言葉でした。
「『女盛りは19だよな』みたいなことを言われて。当時私は二十歳過ぎていたので『なにぃ?』とちょっとカチンときて。そんなはずはないと。これから出てくる女性の魅力もたくさんあるし、彼氏にはいつまでもいろんなところに連れていってもらいたいし、かわいく扱ってほしいし。そういう気持ちをうまく歌詞に書ければいいなと思って書きました」

「当時はいまの年齢になって歌っているとは思っていなかったんですけど、女性の気持ちは何歳になっても変わらないと思うので今でも歌っています」
当時、日本では、男女雇用機会均等法の施行もあって、女性の社会進出が進み始めていました。平成4年の紅白歌合戦で紅組の司会をつとめた石田ひかりさんは「すべての女性に勇気を与えた歌です!」と紹介し、森高さんをステージに送り出します。新しい時代の「自分らしさ」を軽やかに表現した歌詞は多くの女性から共感を得ました。

ふるさとを思う

森高さんの歌のなかには、ふるさとを思う気持ちを歌にした曲もあります。

代表曲の1つ「この街」です。森高さんは東京に出てきたばかりのころ、ホームシックにかかります。その時の気持ちを歌詞にこめました。
「聞いてくださる方に自分のふるさとを思い出しながら聞いてほしいという思いで書いたんですけど、東京に出てきて、最初の頃はホームシックにもかかりました。ふるさとを思う気持ちがすごく強かったんだと思うんです。だから書けた歌詞だと思っています」
平成28年4月、2度の大きな揺れが熊本を襲います。熊本地震です。ふるさとの変わり果てた姿を見て、森高さんは言葉を失ったといいます。
「両親や家族、兄弟もいますし、友達もたくさんいるのですごく不安でした。連絡がついたときは一安心でしたけど、自分が思っていた以上に被害がひどく、現実の世界じゃないみたいな感じでした。私の実家も被害にあいましたが、一番ひどかった益城や阿蘇のほうに行ったときはあまりにショックで言葉が出ませんでした」

「でも、私がボランティアというかちょっとお手伝いにいった時、みなさん元気で前向きで『がんばっていくけんね』と。私もがんばろうと逆に励まされました。熊本の人は女性も強いじゃないですか。そのパワーで乗り切ってほしいと思いました」

今も第一線で活躍中

結婚、出産、育児を経て、50歳となった今でも第一線で活躍中です。

ことし21年ぶりとなる全国ツアーも決定し、1月から12月まで全国の36か所でコンサートを開催します。新しいことにもチャレンジしています。これまで出した曲を自分でカバーし、動画サイト「You Tube」の公式チャンネルで公開しています。

この30年、走り続けてきた森高さんにとって、平成とはどんな時代だったのでしょうか。
「いろんなことを経験した密な時間でした。年号が変わるくらいにデビューし、そこから人生が180度変わって。結婚し、子どもを産み、時を経てコンサートをやるようになって。こんなに長く歌っていられるとは思っていなかったので、自分でもすごくびっくりしていますし、すごく感謝しています」

「平成とともに歩いてきた感はすごくあります。新しい時代は私より若い世代の人たちが引っ張っていく時代になると思うのでがんばってほしいし、新たな未来を見るのも楽しみです。でも、私も今まで通り好きなことをしていきたいと思っているので、自分もがんばらなきゃいけないなと思います」

取材を終えて

私は昭和53年生まれの41歳。森高さんの歌を聴いていた頃は青年でしたが、いつの間にかオジさんとなり、音楽といえば子どもに聞かせるNHKの「みんなのうた」でした。

そんな中で3年前、熊本地震が起きました。取材に追われ疲れ果てていたある日の朝、ラジオから流れてきたのは森高さんの「ララ サンシャイン」。
泣いてばかりはいられない 
イヤな事の後には 
いい事があるはずきっと
(「ララ サンシャイン」平成8年)
不覚にも、涙がこぼれました。と同時に、「よし!きょうも頑張ろう」という気持ちになりました。人の背中を押してくれる歌の力を感じるとともに、こんな歌を歌う森高さんにひかれました。新しい令和の時代、森高さんはどんな歌を聞かせてくれるのでしょうか。いまから楽しみです。