“見えない脅威”との闘い 薬物依存国アメリカの今

“見えない脅威”との闘い 薬物依存国アメリカの今
アメリカでは、薬物のまん延が過去最悪の事態になっています。薬物の過剰摂取による死者は年間7万人を超えました。交通事故や銃による死者数をも上回る数で、1日平均200人近くが命を落としている計算です。
新たな薬物「フェンタニル」が急速に広まっているためです。
被害が深刻化している地域を訪ねると、薬物がごく普通の市民をむしばむ、壮絶な現実を目の当たりにしました。(ワシントン支局記者 西河篤俊)

ヘロインの50倍 強力な薬物

アメリカでいま、薬物問題の、いわば“主役”になっているのが「フェンタニル」です。
高揚感が得られ、ヘロインの50倍の強さがあると言われています。

あまりに強力なため、摂取して死に至るケースがあとを絶ちません。ここ数年で爆発的に広がり、死者は年間2万8000人を超え、ヘロインやコカインをはるかに上回っています。

そもそもアメリカで薬物依存者が多い背景には、20年ほど前から、けがなどの痛みを和らげるために、オピオイドと呼ばれる薬物が鎮痛剤として合法的に大量に処方されたことにあると言われています。

建国の地の別の顔

フェンタニル中毒の実態とは、どのようなものなのか。

私たちは被害が深刻化している街、東部ペンシルベニア州フィラデルフィアに向かいました。アメリカ建国の地として知られる観光都市ですが、郊外の地区には全く別の顔がありました。
通りにはゴミが散乱し、商店にはシャッターがおり、スラム化しています。路上で、上半身を前にかがんだ状態でふらふらと歩く人や寝ているような状態で立ち止まる人があちらこちらにいる、異様な雰囲気です。人目をはばからず慣れた様子で注射を打つ人の姿やドル紙幣を数える密売人の姿も。
さらに、道路脇には、使用済みの注射器を捨てる「注射器箱」までありました。子どもが誤って注射針に触れることがないよう設置されたものですが、路上には至る所に使用済みの注射器が散乱していました。

その光景には、長年アメリカに暮らす、ともに取材していたメンバーたちも「これがアメリカの風景とは信じられない」と、大きな衝撃を受けていたほどです。

薬物中毒者の“終点”に集まる人々

この地区で生まれ育ったロバート・リーフさん(62)。無料で食事や衣料品を配るなど中毒者を支援するボランティア施設を運営しています。フェンタニルの影響で、最近、訪れる人が大幅に増えています。
この施設の名前は「ラストストップ」。
その由来は、薬物の影響で家族や仕事、財産を失い、行き場のない人たちが“最後に行き着く場所”だからだと言います。

取材に訪れた日は、200人ほどの人が詰めかけていました。
「もとはごく普通の人たちだ。社会的に地位の高い人も少なくない。でも、ひとたび薬物にむしばまれると、おかしくなってしまう。薬物中毒は、病気だ。人を最低の中の最低の状態にしてしまい、人生を壊すんだ。そして、戦争でもある。みな、薬物という見えない敵と必死に闘っている。でも、その闘いには終わりは見えない」(リーフさん)

中毒者が語る、フェンタニル依存の恐怖

「ラストストップ」を訪れていた1人の男性が取材に応じてくれました。

49歳の男性は、若い頃、大麻を軽い気持ちで使用したこともありました。その後、鎮痛剤としてオピオイドを処方されて、薬物依存となり、それがきっかけで、ヘロインなどを常習的に使用するようになりました。

リハビリ施設に入るなど何度もやめようとしましたが、やめられず、2、3年前からはフェンタニルを使用するようになりました。
ヘロインに比べると強力なうえ、入手が簡単で、値段も1回分が5ドルと、安いからだといいます。

妻と3人の子どもがいますが、薬物依存が原因で家を出て以降、連絡は途絶えています。

男性は突然、ズボンのすそをめくって足を見せてくれました。腕だけでは注射をうつ場所がたりず、足にもうっているそうで、腫れた痕があちこちに痛々しく残っていました。
「薬物のせいで、毎朝、体中が痛み、動けないときにフェンタニルをやると体が動くようになる。病気の時に薬を飲むのと全く同じ感覚。それがないと生きていけない。1日20回くらいやるときもある。自分の周りの知人たちは、次々と死んでいっている。それでもやめられない。ハイになること以外はすべてがどうでもよくなる。どうしていいかわからない」

進まない行政の対策

薬物のまん延に歯止めをかける手立てはないのかーー。

フィラデルフィア市で薬物対策に取り組む責任者は、多くの人がすでに薬物依存の状態にあることが、対策を難しくしているといいます。
「薬物依存状態にある人は、どんな手を使っても薬物を手に入れようとする。ニーズがあるかぎり、金もうけになるので、違法なマーケットが衰えることはない。密売人を摘発しても、次から次へと代わりが出てきて、コントロールできない」(トーマス・ファーリー氏)

娘を薬物中毒で亡くした女性は…

薬物は、中毒になった本人以外の家族の人生にも影を落としていました。
「ママ~!」

こう呼ばれているのは、ジョアン・クラウさん(62)。ペンシルベニア州で弁護士をしています。実は孫に、ママと呼ばれているのです。

3歳の女の子、カーターちゃん。生後9か月の時、母親のエミリーさんを薬物中毒で亡くしました。父親も、薬物中毒者のため、祖母のジョアンさんに引き取られました。
エミリーさんは、高校での成績はよく、チアリーダーもつとめる人気者でした。しかし、当時つきあっていたボーイフレンドに勧められて薬物に手を出したことで、人生は一変します。

明るかったエミリーさんは、ジョアンさんに暴言を吐いたり、暴力をふるったりするようになりました。リハビリ施設にも何度も通いました。しかし、薬物を完全に絶つことはできず、22歳の時に、妊娠がわかりました。

今度こそはーー。
禁断症状から自宅でおう吐や下痢、体中の激しい痛みに苦しむエミリーさんを、ジョアンさんは支え、ともに薬物依存と闘いました。
しかし、3年前の12月、エミリーさんは車の中で亡くなっているのが見つかりました。体内から見つかったのは、致死量の30倍の薬物。誤ってフェンタニルを過剰に摂取したとみられています。

エミリーさんの遺体と対面した時、ジョアンさんはこう語りかけたそうです。
「もうこれ以上、クスリと闘わなくていいのよ。カーターのことは私が面倒見るから安心して」と。
年齢を重ねるにつれ、体力が衰え、足も自由がきかなくなっているジョアンさん。しかし、3歳のカーターちゃんは元気いっぱいです。
「62歳になってまさかこんな人生を送るとは思いませんでした。孫が大学生になるころには、私は78歳です。なんとか少しでも孫と一緒に元気でいられるといいのですが、もし明日、私に何かあったら孫はどうなるのか、毎日が不安でしかたありません」(ジョアンさん)
アメリカでは、祖父母や親戚に育てられる子どもは全体の10%にのぼり、増えています。その原因の1つは、親の薬物中毒だと指摘されています。

全米に広がる脅威

薬物汚染は、都市部だけでなく、地方の小さな町にも広がっています。貧困率や失業率が高い地域で、深刻化する傾向があるという調査報告もあり、アメリカ社会全体の問題として、待ったなしの状況です。

トランプ大統領は、来年の大統領選挙も見据え、水際対策の強化を進めているとアピールしていますが、薬物汚染の現場を見るかぎり、目立った効果は出ていません。

アメリカの、薬物との先の見えない“闘い”は、続きます。
ワシントン支局記者
西河篤俊