毛利元就や輝元などの書状 原本約70通見つかる

毛利元就や輝元などの書状 原本約70通見つかる
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毛利元就や孫の輝元など、戦国大名の毛利氏が隣国との戦の中で家臣に送った書状などの原本が、およそ70通まとまった形で見つかりました。調査に当たった専門家は「原本がこれだけ大量に出てくることはめったになく、貴重な発見だ」と指摘しています。
書状は広島県内の男性が所有し、東京大学史料編纂所や広島大学などが調査を行いました。

戦国時代に中国地方を治めていた毛利元就や息子の隆元、孫の輝元が家臣に送った書状を中心におよそ70通が残され、いずれも内容や筆跡などから、後世の写しではない「原本」と判断されました。

このうち元就と隆元が連名で家臣に宛てた書状は、隣国の大内義長との戦の中で、「和睦を結ぶうわさがあるが、まだ決まったわけではない。もしそうなったら伝えるし、お前たちを悪いようにはしない」などと書かれていて、戦の実情や家臣を掌握する様子がうかがえます。

一連の書状は江戸時代に書かれた写しが残されていますが、原本の所在はわかっていなかったということです。

調査にあたった東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授は「ないと思われていた原本がこれだけ大量に出てくることはめったになく、大変貴重だ。この時代の動きがより具体的に究明されるのではないか」と話しています。

秀吉の朱印状原本も

今回見つかった書状の中には、朝鮮侵略を進めていた豊臣秀吉が、文禄2年(1593年)に毛利輝元に宛てた朱印状の原本も残っていました。

この時期には和睦の話が出始めていましたが、秀吉は輝元に対して、兵の準備や食糧を備蓄しておくよう指示を送っています。

用意するものについて、兵は9000人、鉄砲は250丁、米は1万3500石などと具体的な数字が示され、交渉がまとまらなかった場合の計画も進められていたことがうかがえます。

書状には秀吉の朱印もきれいに残っていて、調査を行った東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授は「朱印状の原本は数自体が少ないので、大変貴重だと思います。今回の一連の書状の発見で、当時の豊臣政権を含めた政治の動きや実際の軍隊の動きもわかってくるのではないか」と指摘しています。

このほか、江戸時代に入ってからの毛利家に関する書状も数百通が新たに見つかり、今後、調査が進められるということです。