「ふるさとに帰りたい」 チベット動乱から60年

「ふるさとに帰りたい」 チベット動乱から60年
今から60年前、チベットの併合を進めてきた中国政府に対し、住民が蜂起し、武力で鎮圧された「チベット動乱」。この動乱を逃れ、その後、留学生として来日したチベットの人たちがいました。
「いつか、ふるさとに帰りたい」
そう強く願う一方で、宗教政策などが抑圧的とされる中国には今も帰ることができずにいます。ふるさとから遠く離れた日本で今、彼らはどんな思いでいるのでしょうか。
(国際部記者 篁慶一)

日本に来たチベットの少年

平均標高が富士山より高い、世界最大級のチベット高原が広がる中国内陸部。チベット自治区や周辺の省の一部を含むこの地域にはチベット仏教を信仰し、独自の言語や文化を持つチベットの人々が古くから暮らしてきました。

1959年、チベットの併合を進めてきた中国政府に対し、反発を強める住民が蜂起しましたが、その後、武力で鎮圧されました。いわゆる「チベット動乱」です。
これをきっかけに、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世をはじめ、多くの人々がインドに逃れたのです。

その中に1人の少年がいました。現在の中国チベット自治区で生まれた西蔵ツワン(にしくら・つわん/チベット名:ツワン・ユーゲル)さんです。
9歳の時に両親とともにヒマラヤ山脈を越え、ネパールを経由してインドに亡命しました。収容された難民キャンプでは6畳ほどの部屋に2つの家族が押し込められ、貧しい生活を余儀なくされたといいます。

しかし、13歳の時に転機が訪れます。チベットの人々の苦境を知った埼玉県の医師が、子どもたちを留学生として受け入れることを決め、その第1陣のメンバーに当時13歳だった西蔵さんが選ばれたのです。

来日した西蔵さんは4か月間、朝から晩まで日本語を学んだあと、埼玉県毛呂山町の中学校に入学しました。
寄宿舎で両親と離ればなれの生活をしながら勉学に励み、高校、そして大学へと進学。日本の医師免許を取得するまでになりました。
現在は埼玉県日高市にある病院の院長を務め、高齢化が進む地域の医療を支えています。

名字「西蔵」に込めた思い

来日して50年以上がたち、すっかり日本社会に溶け込んだ西蔵さん。しかし、チベットのことは片ときも忘れたことはありません。幼い頃、毎晩眺めた満天の星空や透き通った美しい川は今も鮮明に覚えているといいます。

名字の「西蔵」は中国語で「チベット」を意味し、1987年に日本国籍を取得した時に自分で決めました。
「私は日本人になりましたが、『チベット人』でもあります。その意識は今も変わりありません。自分だけでなく、子どもや孫たちにもルーツがチベットにあることを忘れないようにしてほしいと思い、『西蔵』という名字にしたのです」
自宅にはチベット仏教独特の宗教画に囲まれた仏間があります。ここで毎朝、ダライ・ラマ14世の写真を前に祈りをささげます。

「ダライ・ラマ」は観音菩薩の化身とされ、信仰心の厚いチベットの人たちの心のよりどころとなっています。

西蔵さんの願いはインドに亡命したダライ・ラマ14世がいつの日かチベットに戻ることです。その時にはみずからもチベットに戻って病院を建て、日本で学んだ医療技術でふるさとに貢献したいと考えています。

「中国では精神的に生きられない」

しかし中国ではチベットの人たちへの抑圧的な政策が続いていると指摘されています。
2008年には大規模な暴動が起き、その後、中国政府による締めつけがいっそう強まったとされています。現地ではチベットの人たちによる抗議の焼身自殺もあとを絶ちません。

国際的な人権団体が去年発表した中国に関する報告書は「チベットでは宗教の自由、言論、移動、集会が厳しく制限され、インターネットや電話の監視も強まっている。僧院や学校では政治教育が強化されている」と厳しい状況を伝えています。
一方の中国政府はチベットの貧困対策や経済発展を重視する姿勢を示しています。

チベットの現状については「経済が健全に発展し、宗教の自由も十分に尊重されている」として、問題はないという立場を強調しています。

さらにダライ・ラマ14世を「チベット独立を企てる分裂主義者」と見なし、対話にも応じていません。
1965年から70年にかけて、西蔵さんのように埼玉県の医師の支援で来日したチベットの若者は21人に上ります。全員がチベットで生まれ、「いつか、ふるさとに帰りたい」という思いを持っていたといいます。

しかし、すでにそのうちの3人が病気で亡くなりました。時間がたつにつれ、西蔵さんは焦りも感じていますが、今はチベットに帰れるような状況ではないと考えています。
「チベット人にとっては宗教がすべての生活の基盤です。それが自由に実践できないことは決定的な打撃となります。中国の今の政策のもとでは、われわれは生きられない。物質的ではなく、精神的に生きられないのです」(西蔵さん)

薄れる「チベット人」意識

さらに今、西蔵さんが強く不安に感じていることがあります。それは若い人たちの間で「チベット人」としての意識が薄れていくことです。

日本には100人ほどのチベットの人たちが暮らしていると言われています。その多くが、亡命先のインドや日本で生まれ、チベットには行ったことがありません。
チベットの正月を祝う都内の催しやダライ・ラマ14世の来日の際には日本各地からチベットの人たちが集まりますが、ふだんの生活でチベットの言葉を話したり文化に触れたりすることは決して多くないのです。

私が取材した男性の1人は、日本で生まれた小学生の子どもについて「どうすれば『チベット人意識』を持ってくれるだろうか」と悩んでいました。日本で育ち、日本の学校に通っていると、家庭での会話も日本語になってしまうといいます。

インドをはじめアメリカやスイスなど、チベットの人たちが多く暮らす国ではチベット語を学ぶ教室などが充実している一方で、日本ではそうした環境が整っていないということです。

ただ最近では日本でも問題意識が徐々に共有され、子どもたちを集めてチベットの言葉や歌を教える取り組みも行われるようになりました。自分たちのルーツを忘れないための模索が始まっています。

動乱から60年『希望は捨てない』

ことしの3月10日。チベット動乱から60年の節目を迎え、世界各地でチベットの自由を求めるデモが行われました。日本でも都内でチベットの人たちやその支援者およそ150人がデモ行進しながら、問題の解決に協力してほしいと訴えました。
そこには、西蔵さんの姿もありました。今回は小学生の孫にも初めて参加してもらいました。たとえ世代が変わっても、チベットへの思いを途切れさせたくないと考えたからです。
デモのあと、チベットの人たちが集まり、ある特別な歌を合唱しました。海外に逃れたチベットの人たちの間で歌い継がれてきた歌です。

仏教の影響を色濃く受けた歌詞には「世界中の人々が平安を享受できますように」、「暗闇との戦いに勝利しますように」という印象的なフレーズがあります。

自身の気持ちを代弁するかのような歌詞に、西蔵さんも勇気づけられています。
「チベットに帰ることは諦めていません。60年たちますが希望は捨てていません」(西蔵さん)
帰り際、西蔵さんは私にそう語ってくれました。ヒマラヤ山脈を越えて亡命し、日本語を一から学んで医師にまでなった西蔵さんの言葉だからこそ、「今の困難もきっと乗り越えてみせる」という力強い意志を感じずにはいられませんでした。
国際部記者
篁慶一