働く時は水もトイレも我慢 その理由は?

働く時は水もトイレも我慢 その理由は?
「働く前は極力、水分は取りません。トイレが近くなると困るから」
こう話すのは、さいたま市の20代の女性です。なぜ、働く前に水分を控えなければならないのか。どうして、仕事中にトイレに行くことができないのか。その理由について取材を進めると、働き方に支援を求める人たちの厳しい現状が見えてきました。(さいたま放送局記者 清有美子)

自立した生活がしたい

私が取材したのは、さいたま市のアパートで1人暮らしをしている猪瀬智美さん(29)です。
「先天性ミオパチー」という難病を患い、24時間の介護が必要な状態です。筋力が次第に低下していく、この病気。

猪瀬さんは体に力が入らず、テーブルなどの支えがなければコップ一つ、持ち上げることもできません。
猪瀬さんは13歳から10年間、埼玉県内の病院に入院していました。退院後、今のアパートで1人暮らしを始め、それ以来、在宅でパソコンを使った仕事を続けてきました。
できるだけ自立した生活がしたいという猪瀬さん。
「重度障害者だと働けないというイメージが強いと思いますが、今、仕事をしていることが自分の自信になっています」と話していました。

ヘルパーがいなくなる!

猪瀬さんは今は大手不動産会社の契約社員として、平日の5日間、自宅で仕事をしています。

働く時間は、原則、午前9時から正午、1時間の休憩を挟んで、午後1時から午後4時までの、計6時間です。 

24時間の介護が必要な猪瀬さんのアパートの部屋には、就寝中も含めて常に訪問介護ヘルパーが待機しています。
しかし、仕事をしている6時間だけはヘルパーが部屋からいなくなります。
24時間、介護が必要なのに、仕事中はヘルパーがいなくなる。どうしてこんなことが起きてしまうのでしょうか。

仕事中は“経済活動” サービス利用できず

その理由は国の制度にあります。重い障害のある人は障害の程度や収入に応じて、自己負担なしで訪問介護サービスを受けることができます。

しかし、今の国の制度では重度障害者が自宅で仕事をするとその間は“経済活動”と見なされます。
この“経済活動”の時間は国の制度を使って訪問介護サービスを利用することができないのです。

これについて厚生労働省は訪問介護サービスの料金は雇用主である企業や働く障害者自身が負担すべきと説明しています。
猪瀬さんの場合、仕事をしている時間のヘルパーの利用料を自分で支払おうとすると、ひと月に30万円が必要だといいます。あまりに負担の大きい金額です。

猪瀬さんは悩んだ末、午前と午後のあわせて6時間、ヘルパー不在のまま、仕事を行うことを決めました。

働く時は“覚悟”が必要

猪瀬さんは仕事をする間、重度障害者ならではの“覚悟”が必要だといいます。

1人でトイレに行くことができないため仕事の前はほとんど水分を取りません。また、食事の量も少なめにします。

服を着替えることもできないため、毎回、天気予報をチェックし、その日の気候にあった服装をあらかじめヘルパーに着せてもらいます。
しかし、仕事中にトラブルに見舞われることもあります。

突然、体調を崩してしまった時、猪瀬さんを救ったのが手元に置いてあったスマートフォンでした。
なんとか近くに住む知人に電話をして助けを求めました。その時は知人がたまたま家にいて、大事には至りませんでした。
猪瀬さんは「何かあったらひとりでは何もできないので、万一の時はどうしたらいいのだろうという不安は常にあります。体調が少し悪いくらいならそのまま我慢してヘルパーが来るのを待つしかできません」と話していました。

さいたま市は独自の支援制度

重い障害がある人の就労を支援しようという動きも出始めています。

さいたま市は“24時間、介護が必要なのに、仕事中はヘルパーがいなくなる”という今の仕組みが障害者の就労の妨げになっているという問題意識を持っています。
そして、去年6月以降、制度を見直すよう何度も国に要望してきましたが、実現には至りませんでした。
そこで、働く間も訪問介護サービスを受けられる市独自の助成制度を来年度から始めることになりました。
さいたま市によりますと、こうした制度を設けるのは全国の市町村でも初めてだということです。
さいたま市障害支援課の岡田正尚係長は「私たちも仕事中に水を飲んだりトイレに行ったりするように、重い障害がある人が仕事をしている間も、生活面で支援する必要があると考えました」と話していました。
また、障害者の就労に詳しい埼玉県立大学の朝日雅也教授は「障害のあるなしに関わらず、働くことは収入を得るだけでなく社会とつながるという大切な役割があります。重い障害があっても働ける仕組みがあれば、これまで働くことを諦めていた人の背中を押すことにもつながると思います」と話し、全国どこでも同じサービスが受けられるよう、国の制度の見直しが必要だと訴えます。

食べたいものを食べたい時に

私が猪瀬さんのアパートを取材で訪れたのはお昼のごはんどきでした。
この日のメニューは大好物のオムライス、猪瀬さんがケチャップの量や卵の焼き具合など、細かいお願いをしながらヘルパーに作ってもらっていました。
猪瀬さんは午前と午後の仕事の合間の1時間に、慌ただしく昼食やトイレを済ませなければなりません。

猪瀬さんは、「10年間、入院していた頃、パリッと焦げ目がついたウインナーを食べるのが夢でした。食べたいものを食べたい時に食べる。ずっと、これがしたかったんです。ささやかではありますが、自立して生活していくことに幸せを感じています」と話していました。

10代のほとんどを病院のベッドで過ごした猪瀬さん。「重い障害があってもあきらめずに自分らしく生きること、自立できることを多くの人に知ってほしい。そして、働くことで社会と関わり、社会に貢献していきたいです」と話していました。
さいたま放送局記者
清有美子