外交官の死が問いかける事

外交官の死が問いかける事
「外交官はクズばかり」などとSNSに書き込んだユーザーは、「つい感情的になってしまった」と答えた。
事実を確認せず、声高に批判したベテランのテレビコメンテーターは、「ネットに遅れをとってはならないという空気があった」と語った。

去年、台風への対応を巡って激しい批判にさらされたなかで、みずから命を絶った台湾の外交官について、私たちは背景を取材して番組を放送した。しかしソーシャルを巡る状況が改善したようには見えない。

考えよう、どうすれば「それ」を防ぐことができるのか?
(台北支局 高田和加子 / 社会番組部 宮島優)

「あんなに魅力的な外交官が」

その人の話を聞いたのは去年秋、沖縄県知事選を巡るフェイクニュースについて取材をしていたときだった。
亡くなった外交官は、大阪にある台湾事務所のトップだった蘇啓誠さん(61)
大阪大学の大学院を卒業後、外交官として30年近くにわたって、台湾と日本の懸け橋として尽力してきた。そして去年9月14日、大阪府内で自ら命を絶った。

蘇さんが大阪に赴任する前の勤務地の沖縄でも、突然の訃報を悼む声が相次ぎ、亡くなった2か月後に那覇市で「偲ぶ会」が開かれた。元沖縄県知事や企業の代表、台湾料理の店主など、全国から様々な立場の約200人が集まった。

「那覇日台親善協会」の伊藝美智子会長は蘇さんを振り返って、「イチャリバチョーデーを体現する人だった」と語った。「一度出会えば皆兄弟」という意味の沖縄のことばだ。
月に一度は地元の人たちと趣味の山登りを楽しみ、気さくな人柄で慕われていた。
「だから信じられない」。蘇さんがみずから命を絶ったことについて、多くの人が訴えた。

きっかけは「台風」だった

去年9月4日、台風21号による強風で関西空港の連絡橋にタンカーが衝突し、交通が閉ざされた空港内には、約3,000人の旅行者が取り残された。その3分の1が外国人だったとみられている。
翌5日の午前9時に複数のバスが空港に到着し、旅行者の「救出」が始まった。当時、関西空港で孤立した人たちのなかにいた台湾からの旅行客の汪さん親子は、知らない場所と言葉もわからない不安の中で、12時間近くも列に並んだという。
そんな中、SNSにある投稿が出回っていた。

“中国の大使館が専用のバスを手配し、空港から連れ出してくれた。”
バスの中から撮った動画も投稿され、中国の行動を称賛する書き込みが瞬く間に拡散していった。

汪さん親子はようやく乗り込んだバスで空港を「脱出」して、降りたあと「中国の大使館がみんなを助け出してくれた」とSNSに書き込んだ。
「ホッ」とした気持ちを誰かとシェアしたかったという思いはわかる。

でもそれは「誤った情報」だった

汪さん親子が、中国大使館が手配したものだと思っていたバスは、すべて関西空港が手配したものだった。
SNSの投稿を分析すると、「中国の大使館が空港までバスを手配してくれた」という「誤った情報」を含む投稿は、9月5日だけで約500件にのぼっていた。

翌6日、すべての旅行者が救出されたあとも誤った投稿は増え続け、6日だけで600件を超えた。さらにその半数近くには「新たな情報」が書き加えられていた。
“追伸:台湾の旅行者が「バスに乗れるか?」と尋ねると、「自分が中国人だと認めるならバスに乗ってもいい」と言われた。”

統一を掲げる中国との関係に揺れてきた台湾の人々の感情に火をつけ、煽るような投稿が、複数のアカウントから同時期に発信されていた。
当時、空港にいた旅行客ら数人に私たちが取材したところでは、バスに乗る際にこのような確認はなかったという。単なる誤情報をこえて、悪意を持って流された「デマ」の疑いもあるこの投稿に、日ごろから中国との関係に敏感な台湾社会は大きく揺らいだ。

まず掲示板から火がついた

“中国は積極的なのに、台湾ときたら…。”
“台湾の駐日事務所は、私たちのために何をしてくれた?”
“台湾の外交官はクズばかり。”
台湾で影響力のあるネットの掲示板に書き込まれた多くの批判、非難。書き込んだ人物の一人が私たちの取材に応じた。
書き込んだ理由については「つい感情的になってしまった」と話したうえで、「中国の話題には、より過敏に反応してしまう」と語った。また、同様の書き込みを友人7~8人がシェアしていたこともあり、内容の真偽については、一切疑うことはなかったという。

マスメディアがネットに追随した

掲示板が炎上した同じ日の夜、台湾の大手テレビ局や新聞社がネットの情報をもとに、中国の対応と比較して台湾の駐日事務所を批判する報道をいっせいに始めた。

そして野党が責任を追及した

さらにその翌日、野党の議員が記者会見を開いて駐日事務所の責任を追及した。
ネットが炎上し始めてからここまで1日あまりの出来事だ。こうして、

「炎上」は「世論」となっていった

ネットの情報をもとにテレビで批判を展開したコメンテーターの黄さんは、政治記者のキャリア19年、今はフリーのジャーナリストとして、連日テレビやラジオに出演するベテランだ。私たちの取材に応じた黄さんは、事実を確認せずにコメントしたことを謝罪したうえで、「近年、テレビ局内部には、ネットに遅れをとってはならないという空気感が広がっている」と語った。 ※黄の旧字体
「テレビや新聞が半日や1日遅れで報道したら、視聴率や売り上げが下がってしまう。事実かどうかは何より重要だが、この点、ジレンマがあった」

黄さんは「批判を覚悟の上」で私たちのインタビューに応じてくれたが、番組(3月4日放送のクローズアップ現代プラス)の放送後、台湾メディアの報道やSNSで「外交官を追いつめた犯人だ」と決めつけたり、「人殺し」などと心ない非難が寄せられたりしたという。

もちろんこれは黄さんひとりの責任ではない。黄さんは批判を受け止めつつ、それでも間違った情報を二度と報じないようしっかり検証していくことが重要だ、と語ってくれた。

私たちもテレビや新聞という「オールドメディア」人の一人として、ネットのスピードや影響力にどう対じしていくべきか、身につまされる思いがした。

なぜ「反論」しなかったか

駐日台湾事務所の関係者によると蘇さんは、孤立した旅行者のために宿の確保や航空券の手配に奔走していたという。そうした動きは一切伝えられず、代わりに蘇さんは、誤った情報で膨れあがった「批判」への対応に、昼夜を問わず追われていたということだった。
蘇さんが亡くなる前までメールを交わしていた友人に、話を聞くことができた。日本に暮らす台湾出身の医師の王輝生さんは、中国の大使館はバスを派遣できなかったはずだ、だから濡れ衣を晴らすようにと蘇さんに助言していた。しかし返事は短いものだった。
「おっしゃったとおりで、同感です。しかし、誰にも聞き入れてもらえなかった」
王さんはこの短いメールを見た時、ある言葉が頭をよぎったという。「百口莫辯」=口が100個あっても弁解することができない、という中国のことわざだ。
「誰にも聞き入れてもらえなかった」というメールを返した2日後、蘇さんは帰らぬ人となった。
最後の「引き金」が何だったのかは明らかになっていない。ただ王さんは今も、悪意をもって流された「デマ」だと気付きながら、蘇さんを助けることができなかったことを悔やんでいる。

台湾で感じる情報拡散の違い

台湾では日本と同様、メッセンジャーアプリのLINEが幅広い世代に普及している。そこで交わされる情報の量や内容は外部からはわからないが、台湾で取材し生活する中で、気になる動画やネタをグループに転送する人の数やそのペースは、日本よりはるかに多いと感じる。
そうしたネットを飛び交う情報を、テレビや新聞やネットメディアが、「ネットでこんな話がある」とニュースで伝えることで、ネットの不確かな情報がまるで事実のようになっていく。そうした状況に神経をとがらせているのが、台湾当局だ。

想像を上回る「ネット監視」

台湾の行政部門をつかさどる「行政院」(日本でいう内閣府)では、数年前からネットで公に交わされる議論の内容もウォッチしているという。私たちはその様子を密着取材したが、作業は実に夜明け前から始まっていた。
当番の担当者が、まず午前3時ごろから自宅などで、ネットの配信記事や掲示板をチェックする。午前6時に出勤するとリポートにまとめ、午前7時半には会議を開いて幹部が確認する。もし間違った記事が流れていたら関係する官庁に連絡して「間違っている」というコメントを出す。今年だけですでに120件のコメントが出されている。
取材に応じた担当者は「ネット掲示板だけでなく、フェイスブックやツイッターなど、いつどこでどんな情報がでるかわからず、ちゃんと把握できいてるのか、毎日神経をすり減らしてる」と苦労を語った。世論のモニタリングを統括する報道官は、「間違った情報を迅速に正さなければ、間違った方向に議論が進んでしまう。フェイクニュースは民主主義の根幹を揺るがす毒だ」と話していた。
語気強めの言葉からは、フェイクニュースの暴走に立ち向かっていく強い意志がうかがえた。
このとき報道官は私たちに、「悪意をもってねつ造された情報」で損害が出た場合の取り締まりを強化するという方針を説明してくれたが、台湾ではこうした行政による取り締まりが表現の規制につながらないか、恣意的になる可能性はないかと懸念する声がでている。
表現の自由は、中国の言論統制に対して台湾がことさら重視してきただけに、フェイクニュースへの対処を巡って台湾社会は揺れ続けている。

再び起こさないためには

取材では、蘇さんの遺族にも話を伺った。取材の経緯などについての私たちの話に耳を傾けた遺族は、「最後の引き金が何だったのか、死の真相を追求したところで大切な家族はもう帰ってこない。私たち家族が今伝えられるのは、同じ悲劇をもう二度と繰り返して欲しくないという思いだけです」と語ったうえで、その場で、私たちにメッセージを寄せた。
「真相が明らかになっていない状況のもとで、確かでない情報を簡単に信じたり、拡散したり、あるいはウソの情報を利用して自分の利益を追求するために、大衆をあおったりするようなことが二度とあってはいけません。私たちの家族の死を教訓に、政府や組織、マスコミやネットユーザー、それぞれが考えてくれることを切に願っています。もう二度と、罪のない人が犠牲にならないように」
蘇さんが亡くなった経緯が報じられたあと、台湾ではフェイクニュースを警戒する意識は格段に高まったが、「安易に拡散させること」の責任は、どの程度自覚されているだろうか。
今回、多くの関係者に取材する中で浮かび上がったのは、フェイクニュースが生まれ、暴走する過程には、多くの人の無意識の加担があることだ。そしてそれは台湾には限らない。かくいう私もSNSのヘビーユーザーだ。

「不正確な情報を安易にシェアしていませんか?それは誰かを傷つけていませんか?」
私たち日本人に兄弟のように接してくれた蘇さんが、最後に遺したメッセージではないだろうか。
あらためて考えよう、どうすれば「それ」を防ぐことができるのか。
おはよう日本ディレクター
宮島 優
平成24年入局。山口局を経て現在の部署に。最近の癒しはサウナ。
台北支局長
高田和加子
平成20年入局。岡山局、広島局、国際部を経ておととし台湾に赴任。
海のある風景が大好きなウチナーンチュ。