ロック歌手 内田裕也さん 肺炎のため死去 79歳

ロック歌手 内田裕也さん 肺炎のため死去 79歳
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日本のロックの黎明期に歌手として活躍し、去年亡くなった樹木希林さんの夫としても知られる内田裕也さんが17日、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。79歳でした。
内田裕也さんは兵庫県西宮市出身で、高校時代、エルビス・プレスリーに憧れてロック歌手を志しました。

高校を中退後、昭和33年にロックンロールにこだわった「ブルージーン・バップス」を結成して本格的にバンド活動を始め、昭和41年のザ・ビートルズの来日では、前座としてステージに立ちました。

歌手としての活動のほか、音楽プロデューサーとしても日本のロックの黎明期をけん引する活動を続け、年末恒例のロックフェスティバルを40年以上続けるなど、若手の育成にも力を入れてきました。

また、俳優として数々の映画にも出演し、中でも昭和61年に公開された滝田洋二郎監督の「コミック雑誌なんかいらない!」では、過激なテレビリポーターを主演して人気を集め、国際的にも評価を受けました。

その後、平成3年に東京都知事選挙に立候補して落選したのをはじめ、民主党政権が行った「事業仕分け」の会場を訪れるなど、自由で奇抜な言動が注目されていました。

妻は俳優の樹木希林さんで、長く別居生活を送りながらも離婚せず、去年9月に樹木さんが亡くなった際には「今までありがとう。安らかに眠ってください。見事な女性でした」などと感謝の気持ちをつづっていました。

内田さんは最近は車いすでの生活を送っていて、所属事務所によりますと、17日午前5時半ごろ東京都内の病院で肺炎のため亡くなったということです。

所属事務所「Rock人生を全う」

内田裕也さんが亡くなったことについて、所属事務所は「この数年、闘病の日々でした。それでもユーモア、ウイットを忘れず、時には世の中を憂い、怒り、常に自分の出来る事を模索しておりました。多くの友人知人、家族に支えられて、Rock‘n’Roll人生を全うすることが出来ました事をここに心よりお礼申し上げます」とコメントしています。

反骨精神と型破りな行動力

ミュージシャンとしての内田さんを代表するバンド、「フラワー・トラベリン・バンド」が結成されたのは昭和44年。ビートルズやクリーム、ジミ・ヘンドリックスといった欧米のミュージシャンの影響を強く受け、「ANYWHERE」、「Satori」、「MakeUp」といった数々のアルバムを発表します。

当時は、日本のロックの黎明期。日本のバンドは日本語で歌うべきか英語で歌うべきかという論争が持ち上がる中、内田さんは英語を選択します。

ジョー山中さんの日本人離れしたボーカルと、メンバーの高い演奏力は、海外でも高い評価を受け、日本のバンドによる海外進出の先駆けとなりました。商業的には大きな成功を収めることはできませんでしたが、日本のロックの記念碑的な作品として、今も語り継がれています。

その後、映画にも活動の場を広げ、「コミック雑誌なんかいらない!」「エロティックな関係」などの作品では脚本も担当したほか、昭和60年に放送されたパルコのテレビコマーシャルで、アメリカ・ニューヨークのハドソン川をスーツ姿で泳ぐ姿は、当時のコマーシャルの常識を打ち破る作品として衝撃をもって受け止められました。

こうした内田さんの反骨精神あふれる姿勢と型破りな行動力は、時として問題となる一方、日本のロックの先駆者として、その後のミュージシャンに大きな影響を与え続けています。