さらば!唯一無二の「ヒール」アブドーラ・ザ・ブッチャー

さらば!唯一無二の「ヒール」アブドーラ・ザ・ブッチャー
凄惨な凶器攻撃や、流血を繰り返した傷だらけの頭。圧倒的な「ヒール」として昭和から日本のプロレス界を盛り上げたレスラー、アブドーラ・ザ・ブッチャー。

初来日から半世紀近く。78歳になったブッチャーさんは、ことし2月、長年のライバルであり、友人でもあったプロレスラー、ジャイアント馬場さんが亡くなって20年の節目のイベントで引退セレモニーに臨みました。

平成が終わる今、ふと社会を見渡すと、ブッチャーさんほど存在感のある「ヒール」はもはやいなくなったように思えます。ブッチャーさんは、どうやって唯一無二の「ヒール」にのぼりつめたのか。その正体に迫りました。
(社会部記者 白川巧)

「フォークを置く」

「そろそろフォークを置くタイミングだ」ーーー2月の引退セレモニーを前に、ブッチャーさんが口にしたということば。

私が引退の情報を耳にしたのは去年の秋。アイドルが引退の際に「マイクを置く」というのは聞いたことがあったが、フォークを使った凶器攻撃で名をはせたブッチャーさんのことばとわかり納得しました。

その一方で、「まだ引退してなかったの?」というのが正直な印象でした。
右手にフォーク テリー・ファンクとの激闘(1979年) 
ブッチャーさんの全盛期は、いま40すぎの私が生まれた頃。プロレスを熱心に見始めた頃にはすでにレスラーとして晩年でした。

ジャイアント馬場やザ・デストロイヤー、それにザ・ファンクスらと名勝負を繰り広げた、日本で最も有名な外国人レスラーのブッチャーさん。

この「プロレス界のレジェンド」にインタビューできないか。さっそく取材交渉したところ、限られた時間ながらも、応じてもらえることになりました。

ただ、伝説のレスラーにインタビュアーとしてどう向き合えばいいのか。思いついたのがブッチャーさんと切っても切り離せない「フォーク」でした。

ザ・ファンクスのテリー・ファンクの腕を何度も突き刺してみせた1977年12月の試合は、今も多くのファンの中で語りぐさとなっています。インタビュー当日、購入したばかりの「フォーク」をスーツの胸ポケットにしのばせ、ブッチャーさんに対面しました。

レスラー人生を振り返って

かつて、リング外までところ狭しと暴れ回ったブッチャーさん。しかし、長年のファイトで股関節を傷め、私たちの前には車いすを使って現れました。

恐る恐る花束を渡すと意外にも笑顔で「サンキュー」のひと言。紳士的な印象を受けました。そして、私の胸ポケットのフォークに気付くと、にっこりと笑顔を見せ、取り上げてしまいました。
フォークをひょいと取り上げられた…
いよいよインタビュー開始。さっそくブッチャーさんに、20歳の頃からの長いレスラー人生を振り返ってもらうと、意外な答えが返ってきました。
「俺は空手を教えていたんだ。そこで『アブドーラ、プロレスラーになる気はないか?』と誘われてね。でも俺はそんなものになる気はまったくなかったから、『いやいや、絶対にいやだ!』って断っていたんだ」
ところが、説得に負けて、その後、世界中のリングで活躍することになったブッチャーさん。特に日本には1970年の初来日以来、130回以上も訪れ、日本が大好きになったといいます。
「何より、楽しくて仕方なかったね。日本に来るのも楽しいよ。今、ここに来る前も、ご老人が俺のところに『ああ!ブッチャーさん!』って言って、近寄ってきてね。『ユー!グッド!』ってね。奥さんまでやってきて、一緒に写真を撮ったよ。ああ、いいレスラー人生だったとは言えるね。プロレスが好きなんだ。日本の人が『こいつは本物だ』と信じてくれたからだよ。それがカギだったね。俺がやっているのは本当だと信じてくれた」

唯一無二の「ヒール」にたどりつくまで

ブッチャーvsデストロイヤー(1974年頃)
ブッチャーさんといえば、凶器攻撃やかみつきなどの反則を重ねる「ヒール」レスラー。彼を超える「ヒール」は前にも後にもいないと言われています。

なぜそのスタイルを選んだのか、尋ねてみると、試行錯誤を繰り返すうちに、唯一無二のスタイルに到達したと言います。そこに感じたのは「プロとしての自負」でした。
「これは忘れないでほしいんだけど、俺みたいなレスラーはそれまでいなかったんだ。最初にハードコア・レスリングを始めたのは俺だし、登場しただけで客が逃げていくような悪役の『アブドーラ・ザ・ブッチャー』を作り上げたのも俺なんだ」

「当時は馬場さんですら、俺の姿を見ると逃げ出したくらいだったからね。それでみんなも逃げ出すようになった。それで俺は頭突きで流血する、みたいなことをやり出した。俺みたいなレスラーは、初めてだったはずだよ。俺はプロだったからね。プロレスラーは、見てくれる人に『こいつは本物だ』と思わせることができなければダメなんだよ」
ブッチャーvsジャイアント馬場(1971年)

時代の流れとともにいなくなった「ヒール」

圧倒的な「ヒール」であるにもかかわらず、コミカルな動きや表情から、いつしか幅広い人気を集めるようになったブッチャーさん。ただ、時代の流れとともに、周りには強烈な「ヒール」はいなくなり「個性」も感じられなくなったといいます。
「みんな知恵を絞って考えないからだよ。みんなやっていることが同じなんだ。まったく代わり映えしない。プロレスはサーカスのようなものだよ。サーカスなら、移動遊園地とか、あらゆる出し物が必要になるだろう?プロレスも、巨漢から痩せたやつまで、いろんなレスラーがいるけれど、今はみんな同じようなプレーしかしない。トップロープにのぼってダイブするとか、リングの外に出てきて実況席のテーブルを壊すとか、みんな同じルーティーンなんだ」

「例えばスタン・ハンセンの技『ラリアット』もみんなまねをしている。ファンはみんなきっとどの試合もレスラーも『代わり映えしないな』って思っているはずだ。同じこと延々と続けるだけではダメだよ」

「どんな仕事にも『自分の役割』がある」

また、ブッチャーさんは「ヒール」こそが周囲を際立たせる貴重な存在で、「ヒール」がいるからこそ、プロレス、そして私たちの世の中だっておもしろいんだと語りました。

「世の中には常にさまざまな役割を持った人たちがいて、ひとりひとりが大切な存在なんだ」
ブッチャーさんは、私たち取材クルーをひとりひとり指さしながら語り始めました。
「インタビュアーはこうして映像に残るけど、周りの、本当に頑張っている人たちにカメラが向けられることはない。このインタビューが成り立つのも、ここにいるスタッフのおかげなんだよ。ちゃんとカメラを持って追いかけてくれる人がいなければ、形にならないんだから」

日本のファンに向けて

2月19日、引退セレモニーに臨んだブッチャーさん。半世紀近く慣れ親しんだ日本のファンに向けて繰り返したのは「ありがとう」ということばでした。そしてファンに残した最後のことばは、その圧倒的な「ヒール」像からは想像もつかないものでした。
「若い人たちに言いたいです。自分の親が年をとっても、決して施設に預けたままにして、忘れるようなことだけはしないでくれ。いずれは君たちだって、年をとってそうなるんだから。親は大事にしなさい、それだけは言いたい」

アブドーラ2世誕生への夢とお約束のフォーク

半世紀近くにわたってリングに立ち続けたブッチャーさん。今後の夢を尋ねると、返ってきた答えは「自分のような圧倒的な存在を生み出すこと」でした。

「今後は『アブドーラ2世』を育成するよ。俺みたいなレスリングができるやつを見つけて、俺はそいつのマネージャーにおさまるんだ」

子どものような笑顔で楽しそうに夢を語ってくれたブッチャーさん。その様子を見つめながら、私はふとあることを思い出し質問しました。

「ところでブッチャーさん、フォークはどこですか」

ブッチャーさんは、しばらくそしらぬ顔をしたあと、「こっちに来い」と私に近づくよう指示しました。そしてブッチャーさんは突然ズボンからフォークを取り出し、私の頭に突き立ててみせると、髪をぐいぐい引っ張り、現役時代さながらに攻めてきたのです。
助けて~(筆者)
それだけでは飽き足らなかったブッチャーさんは、立ち会っていたブッチャーさんのスタッフをも攻撃。その場にいた人たちは大盛り上がりでした。

年老いて、長年のファイトで体もぼろぼろになったブッチャーさん。しかし、頭の中では、人を楽しませるアイデアが次々に浮かんでいるようでした。
「唯一無二のヒールレスラー アブドーラ・ザ・ブッチャー」
その正体は、高いプロ意識で、見る人を楽しませ続ける最高の「エンターテイナー」、そして常に家族や周囲の人を思いやる「ナイスガイ」でした。

アブドーラ・ザ・ブッチャー2世とともに、またいつかリングに立つ姿を見てみたい。そう強く感じた取材でした。
社会部記者
白川巧