海を越えた“和牛遺伝子”

海を越えた“和牛遺伝子”
「神戸ビーフ」に「松阪牛」。日本が世界に誇るブランドがいま、危機にひんしています。狙われたのは、受精卵や精液といった遺伝資源。「和牛」に何が起きているんでしょうか。(大阪放送局記者 杉本志織)

直撃取材に容疑者は…

焼き肉店経営者
「中国人に頼まれた。違法だとは知らなかった」ーーーことし2月、私の直撃取材にこう話した大阪の焼き肉店経営者。検疫を受けずに和牛の受精卵や精液を中国に輸出しようとしたとして、今月9日、家畜伝染病予防法違反の疑いで逮捕されました。

あわや中国に

「中国人に頼まれた」というこの経営者は、去年6月、受精卵などが入った容器を中国の上海まで運ぶよう知人に依頼しました。

知人は、大阪港からフェリーで向かいましたが、現地の税関で止められてそのまま帰国。日本の検疫所で没収されました。
中には、和牛の受精卵と精液がストロー状の容器でおよそ360本分入っていました。農林水産省の告発を受けて、大阪府警が捜査を進めていました。

取材始めた“セイアン”担当の私

少年事件やサイバー犯罪など、大阪府警の「生活安全部」、通称“セイアン”担当の私に、突然降ってきた和牛の事件。背景を探るため、まず向かったのが、初任地の鹿児島県でした。

年間3億円稼ぐ“スーパースター種牛”

“スーパースター種牛”
鹿児島県大崎町の人工授精所で育てられている雄の種牛「隆之国」は、生まれる子牛の品質の高さから“スーパースター種牛”と呼ばれています。

「隆之国」の精液は、ストロー状の容器1本あたり1万円で取り引きされます。通常の相場は2000円から3000円なので、いかに需要が高いかがわかります。
冷凍保存されている「隆之国」の精液
「隆之国」1頭だけで、種付けの売り上げは、多い年で2億円から3億円にのぼり、これまでに生まれた子牛は3万頭以上になるといいます。数種類の牧草や栄養剤を混ぜた特別なえさを与え、夏は牛舎にエアコンを入れるなど体調管理にも気を配っています。

生産者の“努力の結晶”

和牛は、日本で品種改良された「黒毛和種」「褐毛和種」「無角和種」「日本短角種」の4つの品種と、これらの間で交配された肉牛を指し、国産牛とは区別されます。

肉質は血統が大きく影響するため、研究機関や生産者は明治時代から試行錯誤を繰り返し、品種改良が行われてきました。

“スーパースター種牛”の「隆之国」も、少なくとも数十年にわたる関係者の“努力の結晶”で生まれました。

人工授精所の羽子田幸一社長は、「先人の皆さまが苦労して作った血統というものが今に引き継がれている。これからも国内で残していくことが大事だと思います」と話していました。
羽子田幸一社長

背景に和牛人気の高まり

なぜ、和牛の受精卵や精液が中国に持ち出されそうになったのか。取材を進めると、背景には海外での人気の高まりがあることがわかりました。
和牛を中心とする国産牛肉の輸出は、10年前の平成21年には565トン、輸出額は37億円余りでしたが、平成30年は3560トン、輸出額は247億円にのぼりました。輸出量、輸出額ともに6倍以上に増えています。

国は輸出の重点品目として和牛のブランド化を進めていて、平成31年は250億円の輸出額を目標にしています。

持ち出されると…

受精卵や精液が持ち出されると、どんな影響があるのか。特に問題なのが受精卵です。

兵庫県農林水産技術総合センターは、「神戸ビーフ」で知られる但馬牛の受精卵の生産や品種改良を行っています。選び抜かれた種牛の精液で人工授精を行い、品質の高い受精卵を作っています。国外に持ち出されれば、和牛と同じ遺伝子を持つ牛が生産できてしまい、ブランドイメージは損なわれ、日本の農家への影響は計り知れません。

兵庫県の施設の担当者は、「長年続けてきた努力の結晶が、簡単にストロー1本で、今まで何の努力もしていない人に渡るというのは和牛を作ってきた人たちにとっては悔しいことです」と怒りをにじませていました。

すでに流出!?

さらに取材を進めると、すでに中国で和牛の生産が行われている可能性があることもわかりました。ある企業は、インターネット上で、「受精卵の移植など、高い技術を利用して日本から和牛の品種を導入」しているなどと宣伝しています。
松本大策さん
中国の畜産業界に詳しい獣医師の松本大策さんは「中国で仕事をしていた時に『和牛の精液を持ってきてくれないか』と誘われたことがある。受精卵をひそかに持ち込んで大規模な牧場を作り、そこの肉が流通しているという話も聞く」と現地の実情を語り、今回の事件は、氷山の一角だと指摘しました。

逮捕前に証言「数回、中国に荷物運んだ」

その話を裏付けるような証言も得られました。受精卵などを上海まで運んだとして逮捕された焼き肉店の経営者の知人の男。逮捕される前、取材に応じ、「これまでにも数回、中身の分からない荷物を中国に運んだ。荷物は港で中国人の男女に渡していた。今回もその2人に渡す予定で、畜産関係者だと聞いた」と話していました。

警察も、これまでの捜査で、和牛の受精卵などが繰り返し中国に持ち出され、すでに繁殖などに使われている可能性があるとみています。

流出元の畜産農家は

3月上旬、私は、受精卵などの流出元となった徳島県内の畜産農家に向かいました。農家の男性によると、受精卵を求める電話があったのは去年2月。「和牛のものなら何でもいい」と、日本人の男の声でかかってきたといいます。

不審に思ったものの、10年以上、容器の中に保存したままになっていたものもあり、買ってもらった方が経営のために助かると売ることを決めたということです。取材に対し「中国に持ち出されると知っていたら売らなかった」としながらも、「遺伝資源は日本だけのものではないし、別にいいのでは」とも話しました。

畜産関係者たちが和牛の遺伝資源を守ろうと取り組みを進める中で、同じように畜産に携わる人から、こうした言葉が出たことに衝撃を受けました。

フルーツも流出が問題に

遺伝資源をめぐっては、日本の研究機関が開発した皮ごと食べられるぶどうの「シャインマスカット」の苗が中国に流出して栽培が広がったり、栃木県が開発したいちごの「とちおとめ」が韓国に流出し、交配した品種が生産されたりする問題も起きています。

どう守る日本ブランド

日本が誇る和牛を守るために何が必要か。実は、和牛の受精卵などの遺伝資源を「知的財産」として保護し、国外への持ち出しを直接、禁止する法律は日本にありません。

平成18年に国の検討会で議論されましたが、国際的なルールがないことなどから法制化は見送られました。国内で売買する際、血統の証明書に譲渡先を明記することになりましたが、最終的に誰に売られたかまで把握するのは難しいのが実情です。

今回の事件を受けて、農林水産省は、特許を使って流通を規制することや、在庫の管理や売買の記録を徹底することなど、再発防止策の検討を始めています。

国の検討会のメンバーで、神戸大学の大山憲二教授は「和牛は100年以上前から関係者が努力して作り上げてきたもので、海外に流出すれば、畜産農家にとって死活問題だ。国内の流通管理を厳格にすることや、港や空港での検疫の強化が重要だ」と指摘しています。

でも、それだけでは100%防ぐことは難しいと思います。100年以上かけて作ってきたものが持ち出されたときに何が起きるのか、その「想像力」と「危機意識」を畜産関係者をはじめ、私たちが共通認識として持つ必要があると強く感じました。