“みんな大切な私の子どもたち” ボランティア27年間の旅路

“みんな大切な私の子どもたち” ボランティア27年間の旅路
インドで、貧しい人たちや病気に苦しむ人たちのために生涯を尽くし、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ。
そのマザー・テレサが設立した施設で、27年間、無償で働き続けている日本人女性がいます。彼女の名前は、渋谷りつ子さん(58)。オーストリアでピアノを学んでいた彼女が、すべてを捨てて、インドにとどまり続けるのはいったいなぜなのか。インド・コルカタで、その理由を聞きました。(国際放送局記者 白河真梨奈)

コルカタの日本人

インド・コルカタにある『死を待つ人の家』。
貧しく、路上で病気になっている人たちの最期をみとるために、1952年、マザーテレサが設立しました。

その後、障害者やハンセン病患者のための施設など、複数の施設が作られました。このうちの1つ、重い障害のある子どもたちが入所している「ダヤ・ダン・メディカルセンター」。
ここで27年間、ボランティアとして、無償で働き続けているのが、渋谷さんです。

毎年、世界中からボランティアが訪れますが、数十年間にわたって働き続けているボランティアは、渋谷さん以外にいないといいます。

ピアノで念願のウィーンへ留学…ところが

渋谷さんは、三重県松阪市出身。
幼少の頃からピアノを習い始めました。

小学校1年生の時、学校の音楽室に飾ってある作曲家の写真を眺めているうちに「将来、必ずオーストリアにピアノを学びに行く!」という強い気持ちを持ったといいます。

渋谷さんの両親も当初は「子どもらしい夢」と、冗談だと思っていたそうですが、7歳の頃から「お年玉やお小遣いはすべて留学資金にしてほしい」と言い続け、夢に向かって一心不乱にピアノを練習する渋谷さんの姿に圧倒されたそうです。
「周りに『無理』と言われれば言われるほど、『必ずやり遂げてみせる!』という気持ちになるんです。『絶対に行くんだ!』という強い意志があれば、必ずできると思っています」(渋谷さん)
そして、中学卒業後、16歳で念願のオーストリアへと旅立ちます。

ウィーン国立音楽大学でピアノの世界に没頭すること12年間。
まだまだ学びたいという気持ちはありましたが、28歳の時、日本にいる両親から「そろそろ就職しては」と声がかかります。
日本でピアノの教べんをとるため、帰国を決意。

せっかくだから、陸路で世界を見ながら帰ろうと、ピアノを教えるアルバイトでためたお金で旅行しながら日本を目指しました。
そうして立ち寄った先の1つ、インドのコルカタで、渋谷さんの人生は一変します。

滞在先のユースホステルで、偶然、相部屋になった外国人の誘いで、マザー・テレサの「死を待つ人の家」で1日だけ、ボランティアをすることになったのです。

そこで初めて、亡くなった女性が玄関に横たわっているのを目にしたという渋谷さん。
「1日目がとても衝撃的だったので、このまま『いい経験をさせていただきました』で通り過ぎていくことに疑問を感じ、もう少しお手伝いさせていただきたいという気持ちになりました」

たまたま、それがコルカタだっただけ

それから毎日施設に通うようになった渋谷さんは、日本に帰ることをやめ、そのままコルカタにとどまり続けました。
半年に一度、ネパールやミャンマーなどでビザを更新する以外は、毎日、ボランティアを続けています。
渋谷さんが通っているのは、重い障害のある子どもたちの施設。
ここで暮らしている子どもたちのほとんどが、貧しさから育てることができないと、育児放棄された子どもたちです。

そして、その多くが、目が見えず、言葉を話すこともできず、歩くこともできない子どもたちなのです。

渋谷さんは、食事や排せつの介助のほか、医師の指導を受けて、リハビリも担当しています。
「言葉が話せなくても、歩けなくても、子どもたちは、生き生きと生活しています。子どもたちからもらう大事な愛っていうんでしょうか。それが結局、私をここにずっと居させているんじゃないかと思います。ここの子どもたちと一緒にいたい、ただそれだけ。それがたまたま、コルカタだっただけなんです」
そして、自分の人生はピアノのためではなく、コルカタの子どもたちのためだったのかもしれないと思い始めたといいます。

インドで極貧生活 でも豊か

渋谷さんは無償ボランティアのため、収入はありません。

ウィーン留学時代の貯金を少しずつ切り崩しながら生活していましたが、7年前からは、渋谷さんをサポートしようと山梨県で発足した有志で作る会から寄付を受けています。
生活は質素そのもの。エアコンやキッチンはなく、お湯さえも出ない、1日500円の宿で暮らしています。

食事も、非常食のビスケットを水でふやかして食べたり、野菜の漬物を食べるくらい。少しでも長く働くために、生活費を切り詰めているのです。

同時に、病気やケガをしてしまうと、渋谷さんを必要としている子どもたちに迷惑がかかるとの思いから、毎朝1時間かけて行うストレッチを欠かしません。
その表情はまさに、真剣そのもの。
「誰かからやれと言われてしているのではなくて、自分に厳しくしないとずっと続けていくことができない。自分から選んでやっていることで、嫌だったらそのまま切り上げて帰ればいいので、全く苦ではないです」

マザー・テレサの誘いを断る

生前のマザー・テレサから、シスターになるようにと三度も誘いを受けましたが、ボランティアは宗教的な信念でやっているのではなく、子どもたちと触れ合う時間を制限されたくないからとの理由で断ったといいます。
しかし、そんな渋谷さんにも耐え難いときがあります。それは、携わってきた子どもたちが亡くなる瞬間です。
重い障害のため、入所してわずかで亡くなる子どもたちも少なくありません。渋谷さんは、子どもたちの死後の埋葬まで、すべて自分で行います。
「ずっとお世話してきた子どもが亡くなっていくのは、いちばんつらいことで、そうなる前から『この子を失わなきゃいけないのか、どうにか持ち直してほしい』という気持ちで過ごしています。子どもたちは最期の瞬間まで、人の温かみを求めているのです」

マザー・テレサの言葉

取材中、数年ぶりに、マザー・テレサが眠る墓を訪れた渋谷さん。
「『よいものを食べて、よいものを着て、よいところに住んでいたのでは貧しい人に仕えることはできない。なるべく貧しい人に近い生活をしてこそ、奉仕ができる』このマザーの言葉が、私を強くしているのだと思います」
インドが急成長していると言われる一方で、まだまだ貧しさの中で命を落としていく人々がいることを忘れないでほしいと訴える渋谷さん。

「あと12年、70歳になるまでは、コルカタでボランティアを続けていきたい」と笑顔で答えてくれました。

りつ子さんに出会って

インドでの取材が終わったあと、渋谷さんから受け取ったメールには、次のように書かれていました。

「取材を受けた後、ビザが切れたので、いったんインドを離れ、また戻ってきました。そのときも子どもたちはみんなとても喜んでくれて、早速、私を囲んでくれました。日本の童謡を歌ってあげると大喜びするんです。みんな大切な私の子どもたちです。幸せにどっぷりつかる毎日です。これからも応援していてください」
マザー・テレサは、約38年前に来日した際に『豊かな国にも、心の貧しさがあります。パンに飢える人だけでなく、愛に飢えた人たち。物質的な貧しさに比べて、心の貧しさは深刻です』と訴えかけました。

渋谷さんに出会って、私はようやく、この言葉の持つ意味がわかったような気がしました。
国際放送局
World News部記者
白河真梨奈
平成22年入局
千葉局、社会部をへて
子どもの人権問題などを取材