平成改元 30年へて新証言

平成改元 30年へて新証言
新元号の発表まで、残すところ1か月。平成の時代は、その1か月後に幕を閉じる。

こうした状況を特別な思いを抱いて迎えようとする人がいる。
元早稲田大学総長の西原春夫さんだ。
西原さんは30年前、有識者からなる「元号に関する懇談会」に出席し、民間人として初めて元号の選定に関わった。
懇談会の議事録は残されていないとされ、内容は公開されていない。

時代の節目を迎えようとする中、西原さんはインタビューに応じ、懇談会の内容を初めて明らかにした。(政治部記者 清水大志)

元号の選定手続き

新たな元号はどのように決まるのか。
政府は「元号選定手続」でその手順を定めている。
<元号選定手続>

(1)総理大臣が考案者を選び、元号の候補を典拠(出典)とともに提出してもらう。
(2)官房長官が、候補の中から数個を原案として選ぶ。
(3)その後、各界の有識者からなる「元号に関する懇談会」や衆参両院の正副議長の意見を聞き、全閣僚会議で協議する。
(4)そして閣議で、新元号に改める政令を決定する。

有識者による「元号に関する懇談会」とは

政府はことし2月、新元号の選定にあたっては、平成への改元の際の手続きを踏襲することを決め、有識者からなる「元号に関する懇談会」は今回も開かれる。

政府が元号の法的根拠となる元号法を昭和54年に制定した当時、懇談会で有識者から意見を聞くことは手順に含まれていなかった。

しかし、平成への改元の際、当時の竹下内閣の内部で「国民の声を聞く形を取るべきだ」という声が上がり、平成が決定された当日の閣議に先立って開かれた臨時閣議で手順が改められ、懇談会が設置されることが決まった。

これにより、天皇が決定してきた新元号の選定作業に、初めて民間人が関わることになった。

当時の懇談会のメンバー

平成への改元の際の懇談会のメンバーは各界から選ばれた。
その顔ぶれは、NHKの池田芳蔵会長、物理学を専門とする東京大学の久保亮五教授、日本新聞協会の小林与三次会長、日本民間放送連盟の中川順会長。
インド哲学を専門とする東京大学の中村元名誉教授、日本私立大学団体連合会の西原春夫会長、国連婦人の地位委員会の縫田曄子委員、国立大学協会の森亘会長の合わせて8人だった。(五十音順)

有識者が30年をへて初めて語る

多くはすでに亡くなっているが、今回、西原さんが取材に応じてくれた。
西原さんは、早稲田大学の元総長で当時、日本私立大学団体連合会の会長を務めていた。現在、90歳になる。

政府の担当者から「懇談会の内容を口外しないように」と強く言われたため、これまで議論の内容などについて語ってこなかった。

しかし、「平成のさなかに内容を明らかにすれば、何かよくないことが起きた時、別の元号にすればよかったと言われるかもしれない。ただ新たな時代に変わろうとしている今、何かの役に立てるのなら話してもよい」とインタビューに応じ、懇談会の内容を初めて語ってくれた。

極秘の準備作業

懇談会の準備はいかにして進められたのか。

現在、懇談会の準備に携わる職員は「当時、懇談会の準備は極秘のうちに進められたせいか、詳細の記録が残っていない」とこぼした。

平成への改元は、昭和天皇の崩御が前提となるため、政府は準備作業を極秘としていた。昭和天皇が亡くなられた後、懇談会の設置が初めて公にされ、そのメンバーの陣容は当日の午後、有識者が官邸に入る際に明らかになった。

では準備はいつ始められたのか。

西原さんによると、昭和天皇が亡くなられる1年近く前の昭和63年2月、政府の関係者が、入学試験期間中のために閉鎖されていた大学のキャンパスを訪ねてきたという。
古川貞二郎・内閣官房首席内閣参事官(当時)
「学内立ち入り禁止という状況の中で、小渕官房長官に仕えていた古川貞二郎さん(後の内閣官房副長官)がわざわざ大学にお見えになった。『すべてを秘密にしてほしい』『委嘱されたことも秘密にしてほしい』と言われた。当時の手帳を見てみると、ふだんはいろんなことを書くのに、話の内容もほとんど書いていない」
「家族にも秘密にするように」との約束を守るため、家族で出かける際、気付かれないように、かばんの中にスーツやネクタイをしのばせていたこともあったという。いつでも官邸に駆けつけることができるようにだ。

今回の取材の過程で、西原さんとは別の有識者も匿名を条件に取材に応じてくれた。

この有識者には、西原さんの7か月後となる昭和63年9月ごろに、政府関係者から電話で依頼があった。
昭和天皇の容体が急変した頃だ。
そして、西原さんと同様に、口止めを固く約束させられたそうだ。政府が、情報が漏れないよう気を配りながら、慎重に人選を進めていたことが伺える。

昭和天皇崩御、迎えたその日

西原さんの手帳
昭和64年1月7日午前6時33分、昭和天皇が亡くなられた。
この瞬間から、極秘に進められてきた改元の手続きが一気に進んでいく。

当日早朝、西原さんのもとに、政府関係者から「午後0時半ごろまでに総理大臣官邸に来てほしい」と電話がかかってきた。
西原さんはこの時初めて、家族にみずからが元号の選定に関わることを告げたという。

「昭和天皇の逝去を大変悼む気持ちとともに、『きょうは大変な1日になる』という緊張感が高まったことを覚えている」と当時を振り返った。

西原さんは、気持ちを落ち着かせるため、いったん大学に向かい、そこから総理大臣官邸に向かった。
NHKに残る当時のニュース映像を見ると、緊張した面持ちの西原さんが、記者からの質問を避けるように足早に官邸玄関から入っていく様子が映されている。

西原さんらは、事前に他のメンバーが誰かは知らされておらず、部屋に入って初めて、顔ぶれを知ったという。
「皆、各界の一流の方で場慣れはしているが、非常に厳粛かつ静粛で、緊張した雰囲気だった。私は昭和3年生まれで当時60歳。まさに昭和という時代の子が、その昭和の元号に、みずから幕を閉じる役割を担うのか、という感慨があった」
顔見知りもいたが、会議が始まるまでの間、雑談をするような雰囲気ではなかったという。

懇談会の様子が明らかに

議事録は存在しないとされ、概要も公表されていない懇談会は、どのように進められたのか。西原さんなどによると、茶色と白色の2種類の封筒がおのおのが見られるよう机の上に置かれ、茶色の封筒には元号選定の手続きなどが書かれた紙が、白色の封筒の中には「平成」「修文」「正化」と新元号の3つの案が書かれた紙が入っていた。

「どのように書かれていたのか、はっきりと覚えていないが、平成がいちばん最初に書かれていた記憶がある。政府側の第1候補なのかなという印象を持った」と西原さんは振り返った。

政府担当者が進行役

懇談会は、的場順三内政審議室長の司会で進められ、有識者に対して、3案についてまとめて意見を述べるよう求めたという。

重苦しい雰囲気の中、なかなか口火を切る人がいなかったが、ある有識者が「平成がいいんじゃないか」と感想を述べたのを皮切りに、「平成」を推す声が相次いだ。
一方、西原さんは議論に一石を投じた。
「平成」に反対はしないと断ったうえで、考慮すべき点を挙げたのだ。
「明治とか昭和というのが音がピシッと締まるのに対して、平成は、音が流れていく。大正というなんとなく個性や特色のない時代を想像させ、短い時代になってしまうような感じを持つ。そういうことは考えなくてよいのかと意見を述べた」
西原さんの主張に対し、ほかの有識者の1人が賛同する考えを示した。

議論はどのように決着したのか

一方、「修文」や「正化」を推す声は出なかった。なぜ、平成を推す声が多かったのか。
「やはり戦争ということがあったと思う。明治、大正、昭和という戦争の時代があった。戦後すでに40年の平和が続いたけれども、そういう時代に戻ってほしくない、『平成』は、平らかにして成るという、戦争のない平和な時代という意味を持っており、『これが合うんじゃないか』という感じを皆さん持たれた様子だった」
およそ1時間半におよんだ懇談会は、的場内政審議室長が「『平成』ということで考えがまとまってきたように思うが、そのように理解してよろしいか」と問いかけ、全員がうなずく形で、意見集約が図られた。

懇談会をめぐっては、政府側が「平成」になるように誘導したという議論もある。
これについて西原氏は「そういう感じは全くなかった。『平成』がいちばん最初に出てきただけで、懇談会で自主的に決めたと思っている」と述べた。
懇談会は、表立って意見を戦わせるのではなく、1つの結論に向けて皆が少しずつ意見を積み重ねていく場だったとも言える。

おととし12月に開かれ、天皇陛下の退位と皇太子さまの即位の日程が固まった皇室会議でも、同じように採決によらずに意見集約が行われた。

時代の移り変わりという一大事を、足並みをそろえて、つつがなく行いたいという関係者の気持ちが表れているように感じた。

終わり迎える今、「平成」への思いは

元号選定に関わる初めての民間人の1人となった西原さん。

みずからが選定に関わった「平成」という時代について、次のように思いを話した。
「会議の席上における予測は、ある面で間違っていたが、ある意味で正しかった。大正のように短く終わってしまうと感じたが、天皇陛下がお元気で象徴天皇らしいお仕事をされ、暗い時代ではなかった。一方、自然災害が多かったものの、後から振り返った時に個性や特色がある時代ではなかったように思う」
「ただ、個性のない時代が不幸だったかというと必ずしもそうではなかった。自然災害に遭われた方には大変失礼だが、戦争がなく、一般国民の多くは毎日がいつもどおりだった。戦争を経験した者としては、いつもどおりという時代は大変幸せだった」
そして最後に、西原さんは、近く迎える新たな時代と元号について「自分はそこまで頭が回らない。『平成』という時代の幕開けに携わり、その時代の終わりを見届けることができただけで十分だ。新たな元号の思いはこれからの時代を生きる人たちに考えてほしい」と語り、来月開かれる懇談会に、若い世代の代表が入ってもよいのではないかという考えを示した。

新元号発表まで1か月、政府の対応は

新たな元号の発表までおよそ1か月。

菅官房長官はことし2月の記者会見で、有識者からなる懇談会について「時代が変わっているので、必ずしも同じところからということではないと思っている」と述べ、メンバーの人選は前例によらない可能性を示唆した。

また、政府内からは、懇談会のメンバーについて、女性は当然入ることになるという見方のほか、「選ばれた人に取材が殺到する」などとして、早期に発表することに慎重な意見も出ている。

一方、新元号について、複数の政府関係者が、すでに何人かの専門家に検討を依頼していることを認めている。

ただ、新元号の発表前に、正式に委嘱の手続きも踏まれる見通しだ。また、新元号は、典拠(出典)を合わせて示すことが定められているが、考案者の中には、中国だけでなく、日本の古典の専門家が含まれているという見方を示す関係者もいる。

政府は、新元号発表の4月1日、情報が漏れることを避けるため、懇談会に出席する有識者に加え、閣僚会議に出席する閣僚も含めて、発表まで官邸の内部に足止めし、携帯電話など通信機器も預け入れを要請し、外部との連絡を遮断することを検討している。
政治部記者(官邸クラブ)
清水大志