“夜更けのバナナ”に思う

“夜更けのバナナ”に思う
障害のあるその男性は、理不尽なわがままを言って周囲を困らせている…。はじめ、私にはそう映りました。「ただ、自分の思う人生を生きたい」。のちに、それが彼自身の確固たる意思に基づく行動だと気が付いたとき、私は恥ずかしさと同時に障害のある人たちに特別な視線を向けていた自分に気が付き、ハッとさせられたのです。(横浜放送局記者 廣岡千宇)

「夜更けにバナナ」が描く“わがままな障害者”?

映画、『こんな夜更けにバナナかよ』。

大泉洋さんが演じるのは、難病の「筋ジストロフィー」を患い重い障害のある男性。24時間ボランティアの介助を受けながら自宅で生活する姿を、実在した男性をモデルに描いています。鹿野靖明。映画の舞台となった1980年代から90年代、重い障害のある人たちは施設や親元で暮らすのが当たり前とされていた時代ですが、みずから500人以上のボランティアを集め、42歳で亡くなるまで札幌市の自宅での“自立生活”を貫きました。
この鹿野という人物、何と言っても要求が強かったようで…。

「どこどこの店のハンバーガーが食べたい」
「背中がかゆい」
「アダルトビデオがみたい」

ボランティアでわざわざ通ってきてくれる学生や主婦たちに、何らためらいなく欲求を突きつけます。あげく、深夜に突然、「バナナが食べたい」と言いはじめた鹿野。極寒の北海道で夜中にボランティアを買いに走らせたこともあったそうです。

一見わがままに思われそうですが、鹿野は時に命をかけて自分の人生を選択していきました。

人工呼吸器を装着するようになったあとも、「地域で普通に生活したい」と、医師の反対を押し切って自宅での暮らしに戻りました。

その思いに応えるため、ボランティアたちはたんの吸引の研修を受けた一方、鹿野は万が一、在宅中に問題が起きて命を落としてもボランティアの責任を問わないと確約したといいます。

その人生を描いた映画は、障害のある人は「支えてあげる存在」「助けてあげる存在」だという、多くの人が抱いていそうな感覚がくつがえされる、これまでにない障害者の描き方だと話題になっています。

原作者がいま問いかける“なぜ人と人は支え合うのか”

映画の原作となる本を手がけたのがノンフィクション・ライターの渡辺一史さん(50)です。
主人公のモデルとなった男性、鹿野靖明さんとボランティアに2年にわたり密着し、その日々を1冊にまとめました。原作で、ノンフィクション分野の賞も受賞した渡辺さん。

それから15年、昨年末、新たな本を出版しました。『なぜ人と人は支え合うのかー「障害」から考える』。
「夜更けにバナナ」と比べるとちょっと手に取りにくそうなタイトルですが、渡辺さんは、鹿野さんとの日々をもう一度捉え直し、「障害者と生きる意味」を正面から問いかけようと考えたのです。

いま、そんな思いに駆られた理由のひとつが、相模原市の知的障害者施設で入所者19人が殺害された「障害者殺傷事件」です。

事件を起こした植松聖被告は「障害者は不幸をつくることしかできない」という主張を続けています。さらに、インターネット上には、被告に同調し障害者を支える意味を疑問視する声もありました。

「障害者と生きる意味」とは何か。みずからの体験の中から“答え”をつむぎ出せるのではないかと考えたのです。
「胸に手をあててみれば、鹿野さんと出会うまでは、そういえば自分も漠然とですけどそんな風に思っていたなと。植松被告や、植松被告に同調する人たちにどうすれば言葉を届けられるか、どうすれば彼らの心を揺さぶるような言葉を発することができるか。そのための“体験”は自分の中にはある」

“お前いい人になろうとしたろ!”

渡辺さんが取材で札幌市で暮らしていた鹿野さんのもとを訪れたのは、いまから20年ほど前のこと。そこで目の当たりにしたのは、ボランティアに上からずけずけとものを言う鹿野さんと、感謝されるはずが文句を言われるボランティアたち。

いわゆる「支えられる側」と「支える側」の立場が逆転しているような光景だったと、渡辺さんは振り返ります。
「障害者とボランティアの人たちとの交流というと、思いやりに満ちあふれたやりとりみたいなものを思い描いていたんだけど、そんな現場ではさらさらないぞと。ボランティアを叱りつけたりとか、あるいはわがまま言いすぎてボランティアに逆襲されたりとかさ。生身の人間どうしのぶつかり合いがあった」
どれほど周囲を巻き込んでも「自分が生きたい人生」に執着した鹿野さん。その姿から、ボランティアたちが大切なものを得ていく様子を、渡辺さんは著書で紹介しています。その1人、北海道の短期大学で社会福祉を教える山内太郎さん(43)に話を聞きに行きました。
山内さんは、自分の目標を見つけられなかった大学1年生の時、食堂で偶然、「ボランティア募集」のチラシを見て、軽い気持ちでボランティアに参加したそうです。

鹿野さんの自宅に通った中で、いまも忘れられないやりとりがあると教えてくれました。ある日、山内さんがたばこを吸っていたところ、「自分も吸いたい」と鹿野さん。とっさに「体に悪い」と止めると「なぜ俺だけ吸っちゃいけないのか」と強い反発を受けることに。
そのとき山内さんは、障害者を“守らなくてはいけない存在”と無意識に見ていた自分に気付かされたといいます。
「ボランティアとして“役に立ちに来た”っていう、“ちゃんとしていることをしに来た”みたいな感覚で行ってたら、そこにカウンターパンチを食らうというか。“お前いい人になろうとしたろ”とか言われて“すみません!”みたいな…。上から目線じゃないかとか、自分の中のドロドロした部分を毎回鏡に映されるようなそういう感覚でした」
自分はどんな人間なのか。本当にしたいことは何なのか。山内さんにとって鹿野さんと過ごした日々は、自分と正直に向き合うかけがえのない時間だったと振り返ります。

いま、山内さんは路上生活者の支援をしています。鹿野さんとの出会いがあったからこそ、本当の意味で人と対等に向き合えるようになったと感じています。
「自分を客観視できるようになったのは鹿野さんと過ごした経験があったから。『支援されてる』じゃないですけれど、逆転って言っていいのか分からないけど、こっち側が一方的に何かを与える側ではない状態になっている」

人はできることよりもできないことのほうが多い

原作者の渡辺さんは、鹿野さんが亡くなった後も、数多くの障害のある人と関わり続けています。
1月、知人の脳性まひの男性の自宅を訪れた渡辺さん。男性は絞り出すような声で語りかけていました。

「自分の生き方を、自分で決めることが大事」

健常者が障害者を支える、そんな一方的な関係ではないことを実感する日々です。

渡辺さんは、障害のある人から得たことを、本の中で記しています。
そのひとつが“人に迷惑をかけること”の大切さです。

映画でも描かれたキーワード。映画のラスト、鹿野さんがボランティアの学生に語りかけるシーンがあります。

「できる男ぶるのも大概にしろよ。人にはできることより、できないことのほうが多いんだぞ」

渡辺さんは著書の中で、あるボランティアの言葉を紹介しています。
「丸裸の鹿野靖明はぶざまだった。しかし、それが、かっこよかった」

できないことは、人に支えてもらえばいい。人は誰しも支えなくして生きていけないのだから…。渡辺さんは新たな本に鹿野さんから受け取ったメッセージを込めています。
「他人とか社会に堂々と助けを求めてもいいんだよ、それは健常者にこそ心に突き刺さる考え方だと思う。人に迷惑をかけないという社会規範の中で、自分だけですべてを抱えこんでしまって、孤立してしまって誰にも助けを求められない状況に、健常者ほど陥りがちなんだけどそれをすごく楽にしてくれる」
「障害者は不幸をつくることしかできない」と主張した植松被告。渡辺さんは著書で、こう結んでいます。
「『あの障害者に出会わなければ、今の私はなかった』そう思えるような体験をこれからも発信し続けていくことが、植松被告に対する一番の返答になるはずですし、同調する人たちへの何よりの反論になるはずです」

“夜更けのバナナ”に思う

「支える側」と「支えられる側」。私たちは、そのどちらかの立場だけで生きていくわけではない。そして両者の関係は、決して一方通行ではなく、もっと複雑にお互いが作用しあって、それが社会をつくっている。鹿野靖明さんの人生と影響を受けた人たちの姿は、私たちに大事なことを教えてくれているように思うのです。夜更けに「バナナを食べたい」。あなたがそう思った時、もし体が動かなかったら、あなたはずっと我慢して生きる人生を選びますか。それとも…。
横浜放送局記者
廣岡千宇