実名と匿名のはざまで~相模原障害者殺傷事件

実名と匿名のはざまで~相模原障害者殺傷事件
突然ですが、想像してみてください。もしあなたが事件や事故、災害に巻き込まれ「犠牲者」になってしまったら…。あってほしくはないことですが、その時あなたは自分の名前を伝えてほしいですか?もしそれがあなたの大切な家族ならどうでしょうか。2年半前に起きた戦後最悪とされる殺人事件では19人の犠牲者の名前がいまも語られていません。社会から事件の衝撃が薄れる中、その現実と向き合い続ける人たちに会ってきました。
(社会部記者 斉藤隆行・横浜放送局記者 岡肇)

2年半たった今も語られぬ“名前”

2019年1月、私たちは1人の男性に会いに相模原市を訪れました。
知的障害者施設「津久井やまゆり園」で30年以上働いていた元職員の太田顕さん(75)です。太田さんと一緒にやまゆり園に向かう途中、聞こえてきたのは絶え間なく響く重機の音。建て替え工事で変わる景色を太田さんはやや表情を硬くして見つめていました。
「あのような大惨事があった建物を残すことはできないだろうが、私たちが利用者とともに作り上げたいろんな歴史が消えてしまう気がする」
2年半前の7月26日、相模原市の津久井やまゆり園で起きた「障害者殺傷事件」。元職員の植松聖被告が入所者を次々と刃物で刺し、知的障害のある19人が犠牲となりました。

事件後、警察は“家族の意向”などを理由に、19人の犠牲者を匿名で発表する異例の対応を取りました。今後始まる裁判の審理も匿名のまま行われるとみられています。

太田さんは人づてに自身が担当していた4人も犠牲になったと知りました。今も月命日には施設の正面に立ち、献花などに訪れた人に事件のことを語り続けています。
「19人の彼ら彼女らの生きてきた証や、その人生がどういうものだったのか、いつまでも語り継ぐ必要があるのではないでしょうか」

“名前”で犠牲の重さを実感

そんな太田さんからの手紙で“名前が語られること”の意味を考えたという人がいました。
太田さんの同僚として、津久井やまゆり園で働いていた元職員の石居佳代子さん(62)です。

実は石居さんは事件直後、「大変なことが起きた」とは思ったものの、誰が犠牲となったのか分からず、かつての職場とはいえ、その犠牲の重さを実感できなかったといいます。

しかし8か月後、太田さんからの手紙でその意識は一変しました。自身が担当していた入所者の2人の女性が事件の犠牲になったことを初めて知ったからでした。
「名前を知った瞬間に本当にスーッと涙が出てきました。当時の姿や彼女たちの着ていた洋服とか言葉とか、すべてをはっきりと思い出しました。そこにあったはずの生涯に思いをはせられ、名前を知ったことで初めて犠牲の重さを実感できました」
時折涙をこぼしながらも、2人との思い出を懐かしそうに話してくれた石居さん、こうも語っていました。
「職員と入所者の立場を超え、支え支えられてともに生きてきた個性豊かな彼女たちが、『19人』と語られてしまうことで、本来なら届くはずの思いも届かないのではないか」

さまざまな声…実名への願いも

犠牲者の名前が語られない現状。NHKの特設サイト「19のいのち」には、2年半たった今もその賛否を含め、さまざまな声が寄せられています。

そのひとつひとつを読み込み、多くの方々とやり取りを重ねる中、ひとりの障害のある女性からのメッセージに目が止まりました。
「身体障害者です。このような事件が起き『やはり世間にとって私たちはお荷物なんだ…』と。それと同時に被害に遭われた方々の名前も伏せられ、二重のショックを引きずっています。平成ももうすぐ終わりだとさまざまな出来事や事件を振り返る番組も、19人の命が奪われたのにこの事件には触れない…。『生きる価値のない人なんかいない』と言いますが、障害者の命はその数に入らないんだなと感じます」
伝える側のひとりとして、胸が痛くなるような内容でした。どこか今の社会を冷静に見つめる様子も気になり、会いに行きました。
その女性は愛知県に住む立野三恵さん(50)。脳性まひの障害があります。6歳年下の夫と自宅のリビングで迎えてくれた立野さんは、小柄で笑顔がとてもチャーミングな女性でした。

しかし、ひととおり自己紹介を終えて、事件が匿名で語られていることについて聞くとその表情は一変しました。障害のため、ゆっくりとした口調ですが、ひと言ひと言かみしめるようにはっきりとこう語りました。
「なんで被害者は実名じゃないの、なんで名前が伏せられているのと、すごくショックを受けました。健常者は実名で報道されて、障害者は匿名っていうその“線引き”がすごく気になる」
この言葉に、あえて「配慮という見方はできませんか?」と尋ねると、立野さんはたたみかけるように「配慮されているということが、“差別”されているように感じる」と反論しました。

なぜここまで強く思うのか。話を聞くうちに立野さんが使った“線引き”という、ひと言にすべてが込められていることが分かってきました。

“線引き”と“私の人生”

6歳のころ親元を離れて施設に入所した立野さん。鮮明に覚えている光景があります。

ある日、両親と祖母に連れて行かれた中庭のある場所。たくさんの遊具があり公園に遊びに来たのかと喜んだそうです。しかし、その後は眠らされたのかはっきりした記憶はなく、目が覚めた時には父も母も祖母の姿もなかったそうです。それが入所した日のことでした。

特別支援学校の寮に移ったあと、週末は自宅に帰宅することもあったそうですが、両親と障害がない妹たちが生活する自宅に、自分の居場所はなかったといいます。

18歳になって就職した会社では「1人前に働けないのに休憩とるな」とか、「なんでこんな子が生まれてくるんだろう」などと心ない言葉をかけられたこともありました。

障害を理由に“線引き”され、親と暮らすことや社会で働くことさえ否定されるような日々でしたが、立野さんは工場や小売店などでおよそ20年間働き続け、多くの友人に囲まれながら過ごしてきました。

そして31歳の時に結婚し、その後、男の子を出産。そこには自分で切り開いてきた人生がありました。
今では脳性まひの症状が急速に悪化し、歩くこともままならず、家事もほとんどできなくなりました。それでも夜勤の夫のために動きにくい手で工夫しながら、弁当作りを続けている立野さんの姿からは、障害を理由に“線引き”されまいと貫いてきた信念を感じました。

だからこそ障害のある犠牲者が匿名となることは、そのすべてを否定されるように感じると語っています。
「他の事件の被害者は実名が出てこんな人でしたと伝えられるじゃないですか。名前が出されないとそこで終わってしまって、寄り添えない感じがするんです。命の重さが違うような気がするんです」

当事者だったら“匿名”を選択するかも…

一方、今回の取材では別の考えをもつ女性にも会うことができました。
「自分が事件の当事者だったら障害のある家族を匿名にせざるをえないかもしれない」
妹の圭以登さん(左)と浜千沙登さん(右)
浜千沙登さんです。妹の圭以登さんには自閉症があります。まだ圭以登さんの障害が分からなかった小学校時代、千沙登さんは周囲から厳しい目にさらされたそうです。

学校の職員に呼び止められ「あなたの妹は学校のやっかいものなのよ」と言われたのは小学2年生の時でした。
千沙登さんは当時、「自分がいい子でいなければ」と幼心に強く感じていたことを打ち明けてくれました。
「いい子でいないと妹がもっといじめられるかもしれない。自分自身もいじめられるかもしれない。人から白い目でみられることがものすごく怖くて、自分の意見を言うことがなかなかできなかった。先生や周りの子にも逆らわずずっと頭を下げておけばなんとかうまくいくんだって思いながら小学生のときは過ごしていました」
当時のつらい気持ちを親にも友達にも相談できずに抱え続けてきたといいます。

一方で、妹が大切な存在だという思いは変わることはありませんでした。千沙登さんは障害をもっと知り、妹を助けたいと大学院まで進み、自閉症について学んできました。
散歩や買い物にも一緒に出かける2人。歩く際に妹の圭以登さんが姉の千沙登さんの手をぎゅっと握る姿が印象的でした。

ただ、いまでも障害の特性上、妹の圭以登さんの言動などで外出の際に周囲の人から冷たい視線を浴びせられることも少なくないといいます。だからこそ、千沙登さんは今回の事件で名前が語られないことを残念に思いながらも、やむをえないとも感じています。
「その家族なりの事情があるのに何も知らない人たちからそういう施設に預けるからいけないんだとか中傷されたり、プライバシーを探られたりするのがいちばん嫌です」
そして最後に静かにこう投げかけました。
「実名にできないのは家族の選択でもあるのですが、同時に社会はそれを受け入れられる状況にあるのでしょうか。実名にしたところで、皆さん障害について知っていますか。施設はどういうふうに預けるか知っていますか。きょうだいはどういうふうに生きているか知っていますか。受け止めてくれる社会だったら名前を出してもいいかもしれないですけど、やっぱり家族としてはそう思えない社会なのが残念です。でも変わっていかないといけないと思います」

実名と匿名のはざまで…

名前を知って犠牲の重さを実感した元職員。
障害者を“線引き”せず、名前を伝えてほしいと願う障害のある当事者。
一方で、今の社会では匿名にせざるをえないかもしれないと考える家族。

それぞれの言葉の一つ一つが今の現実を映し出す鏡であり、私たちにどういう社会を目指すのか、問いかけているように感じます。あなたなら、どう考えますか。

NHKでは匿名の犠牲者のことを伝えようと「19のいのち」というサイトを立ち上げています。サイトの投稿フォームで皆さんの声をお待ちしています。
https://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/form.html
社会部記者
斉藤隆行
横浜放送局記者
岡肇