“命を奪う溝” 3年間で死者200人以上

“命を奪う溝” 3年間で死者200人以上
今月26日、富山市で86歳の女性が遺体で見つかりました。去年5月には、香川県で生後2か月の赤ちゃんがベビーカーごと転落。8月には秋田県で10歳の男の子が用水路で流され、いずれも命を落としました。警察の統計では、おととしまでの3年間で200人以上が死亡。総延長40万キロ、地球10周分の長さがあり、住宅地などの風景に溶け込んだ農業用水路。取材を進めると“命を奪う危険な溝”といえる実態がわかってきました。(富山放送局記者 佐伯麻里 中谷圭佑)

最愛の夫を用水路事故で

富山県入善町に住む米原淳子さんは去年8月、用水路の事故で最愛の夫、光伸さん(69)を亡くしました。

富山県は、用水路で溺れて亡くなる人が3年連続で全国最悪。私たちは、富山県内で起きた死亡事故の現場を調べ、遺族の方に取材をお願いしました。米原さんは、痛ましい事故を思い出したくないという気持ちはあると話されていましたが、「用水路の危険性を多くの人に知ってほしい」と取材に応じていただきました。

米原さんの夫の光伸さんは、サラリーマンとして働くかたわら、農業にも携わり、退職後は、専業でコメ作りを行ってきました。
田んぼにアイガモを放ち、雑草や害虫を食べさせる無農薬の稲作を手がけていて、NHKの取材も受けていました。
事故に遭う前、光伸さんは、「水田に水が足りなくなっているので用水路から水を引こう」と話していたといいます。

しかし、去年の夏、用水路でうつぶせの状態で倒れているのが見つかったのです。現場の用水路は、幅およそ60センチ、高さおよそ40センチ、水の深さは20センチほどでした。
共稼ぎで3人の子どもを育ててきた米原さん夫妻。子どもも大きくなり、これからゆっくりと2人で老後を楽しもうと考えていました。
「ふたりとも共稼ぎで3人の子どもを育ててきました。これからゆっくりできるというときにこんなことになってほんとに残念です。もう戻ってこないんです。こんな狭い小さい用水路で何でって思います」

家族3人を失う

取材の中で、米原さんは、夫だけでなく、父親と姉を用水路の事故で亡くしていることを打ち明けました。

40年以上前、バイクを運転していた父親が誤って用水路に転落して死亡。生まれる前にも、幼かった姉が、親が目を離した隙に、用水路で溺れて亡くなりました。
3人の家族を用水路の事故で失った米原さんは、「地域や行政機関が危険な用水路を点検し、予算を掛けてでも対策を取ってほしい。同じような悲惨な事故は二度と起きてほしくない」と訴えています。

自分を責め続ける遺族

平成21年には富山県砺波市で上江崇春さん(77)の孫、凛太郎くん(4)が亡くなりました。
事故当時、凛太郎くんは両親と自宅にいましたが、家からいなくなっていたことに気付いた両親が探したところ、およそ1.8キロ下流の用水路で遺体で見つかりました。

外で遊ぶのが大好きで、特に夏は水遊びを楽しみにしていたという凛太郎くん。活発で元気な男の子だったと言います。

上江さんは事故から10年がたっても自分を責め続けています。
「3歳、4歳くらいになると自分で歩き回れるようになります。私は、両親が見ていると思っていたし、両親はおじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいるだろうと思っていたかもしれません。大人がなんとなく誰かが見ているだろうとちょっと目を離した隙に大きな事故になってしまいました。元気だった凛太郎の姿がいつも思い浮かびます」

3年間で死者200人以上

用水路の事故で亡くなる人はどれくらいいるのか。
警察庁の統計では、おととし(平成29年)までの3年間で農業用水路で溺れて死亡した人は全国で204人。

このうち、80%以上が65歳以上の高齢者でした。
最も多かったのが富山県の53人。次いで新潟県の15人、佐賀県の12人などとなっています。

しかし、この統計は用水路で誤って溺れて死亡した人のみのデータです。転落して、頭などを強く打ち死亡した事故は含まれていません。

警察が取り扱う統計に「用水路事故」という分類がなく、行政機関が用水路事故の件数や事故の傾向などの実態を把握できていないといいます。

専門家からは、用水路で亡くなる人は、実際にはもっと多い可能性があるという指摘が出ています。

狭く浅い用水路で事故多発

さらに取材を進めると、用水路で溺れて亡くなった人の多くが幅が狭く、水深も浅い場所で死亡していることがわかってきました。

NHKでは富山県で去年1年間に死亡した13人についてすべての現場を確認しました。
その結果、
▽用水路の幅が1メートル以下と推定される場所は13か所中、7か所。
▽水深が40センチ以下とみられるのは、13か所中、9か所でした。

なぜ、一見、危険性が低そうな狭く浅い用水路で事故が相次ぐのか。
水難事故を調査してきた長岡技術科学大学大学院の斎藤秀俊教授に分析してもらいました。
斎藤さんが危険だと指摘したのはまさに、幅の狭さでした。
「60センチくらいの幅だとちょうど肩幅と同じくらいになって、そうするとあるところでつっかえてしまうと水をせき止める形になってしまいます」
幅の狭い用水路では、転落して身動きが取れなくなった場合、体が水の流れをせき止める形になります。

仮に意識があっても、瞬く間に水位が上昇、起き上がることすらできなくなります。転落して、パニックになって大量の水を飲み込んでしまい、溺れることもあるといいます。
狭い用水路であるがゆえのリスクが潜んでいました。
「用水路に転倒すると、とっさに手が出ないまま、用水路の底に直接、頭をぶつけて意識を失う確率が高まります。用水路に囲まれている住宅が多くふだんの生活の中でも事故の危険性を十分に認識してほしい」
さらに転落防止用の柵がなかったり、フタが設置されていない用水路も少なくありません。歩行者や自転車が車とすれ違う際に、転落してしまうおそれもあります。

雪が積もると、用水路と道路の区別ができなくなる場所も多くあります。危険が潜む用水路は、全国各地に存在しているのです。

用水路事故をなくすために

用水路事故の危険性を知ってもらおうと、NHK富山放送局では去年11月からキャンペーン報道“用水路事故をなくす”を展開し、情報提供を呼びかけました。

自分や子どもが転落したという経験がある方々から対策を求める声が多く寄せられています。
「子どもが4歳の時、目を離したすきに自転車ごと転落しました。近くで立ち話をしていた女性2人が助けてくれ、擦り傷程度で済みましたが、今回のキャンペーン報道を見て改めて危なかったと背筋が寒くなるような思いがしました」

「帰宅途中の15歳の子どもが自転車ごと転落し、顔面を強打しました。通学路として利用されている場所にある用水路には、柵やふたを設置してほしい」

「子どもが2人いて、誤って用水路に落ちないだろうか。市役所に幾度となく相談してもたらい回しにされて全然受け付けてくれない。実際に事故にあったら『運が悪かったね』で終わってしまうのでしょうか」

人手も予算も足りない

なぜ、用水路の事故が繰り返されるのか。
わかってきたのは用水路の安全対策を担うのは、行政ではなく、多くの場合は、用水路を所有・管理している「土地改良区」。地域の農家でつくる団体ということでした。
「大変痛ましい事故でしたが、正直なところ土地改良区としては危険性を認識していませんでした。限られた財源と人員で危険箇所を把握するのは簡単ではありません」
こう話すのは、富山県射水市にある「大門土地改良区」の齋藤高志理事長です。
去年8月、この土地改良区が所有する農業用水路では、自転車で帰宅しようとしていた男性が転落して死亡しました。
現場は、車の通りも激しく道幅も狭い県道沿いの用水路です。

しかし、この土地改良区が所有する農業用水路は全体で合わせて440キロメートル。職員は理事長を含めて、わずか3人、すべての危険箇所を把握することはできないといいます。
予算も全く足らず、安全対策を行う場合、追加で農家にお金を出してもらうよう求めざるをえません。

まずは危険場所の把握を~岡山県の取り組み~

人手も予算も限られる中、事故を防ぐためにどうすればいいのか。先進的な対策を進めているのが岡山県です。

重視しているのが“関係機関の連携”です。

(1)用水路の危険性を分析するため警察がパトロールで危険箇所を把握。
(2)119番通報を受けて、用水路の現場に駆けつけた消防は道路を管理する市町村などにすべての事故の概要を報告。
(3)市町村は事故が起きた用水路の特徴をまとめた書類を県に提出。
(4)県が事故の分析を行う仕組みです。
岡山県によると、歩行者の転落事故は警察が取り扱う統計上の交通事故に該当しません。
このため、岡山県は、消防が救急搬送した事故を独自に収集しました。

すると、平成27年までの3年間で79人もの人が用水路で命を落としていたことがわかりました。
死亡者数は、警察データの2倍以上。実際の事故件数とともに、歩行者の事故が多く、高齢者が多いことなど事故の傾向も明らかになりました。
事態を重く見た岡山県は、事故を分析して危険な箇所をまとめ、必要な対策も盛り込んだガイドラインを去年3月に作成。道路を管理する市町村や土地改良区に配布して対策を呼びかけています。

“私は大丈夫” 先入観や過信は捨てる

用水路の総延長は全国で地球10周分にあたる40万キロ、すべての場所でハード対策を実施するのは現実的ではありません。

農家からも「フタや柵を設置すると用水路にたまったゴミを掃除するのが大変になる」「除雪した雪を流し込みにくくなる」といった声も聞かれます。

地域の防災に詳しい災害リスク評価研究所の松島康生代表は、「ハード対策は有効だが、過去に転落事故があった場所や住民のヒヤリハット事例を収集することが何よりも大切だ」と指摘します。
特に危険なのは、高齢者や幼い子ども。起き上がったりふんばったりする力が弱いため転落すると重大な事故につながるリスクが高まります。
松島さんは「事故の多くは自宅近くで起きている。いつも歩いている道だから大丈夫。私は転ばないという過信や先入観は捨ててほしい。幼い子どもがいる家庭は子どもから決して目を離さず、高齢の方がいる家庭にも地域の講習会などを通じて危険性を呼びかけてほしい」と話します。

“悲惨な事故をなくす” 関係機関の連携強化を

後を絶たない用水路の死亡事故を防ごうと富山県が初めて設置した対策会議の初会合が1月21日に開かれました。
メンバーは農業土木に詳しい専門家、用水路を管理する土地改良区の関係者など11人です。
会議では「用水路の大きさで必要な対策が異なるので、どのような場所で事故が起きているのか、分析がまず必要だ」などと意見が出されました。
今後、会合を3回程度重ね、用水路の事故防止に向けたガイドラインを策定する方針です。
こうした動きが出る一方で、まだまだ対策は足りないと感じます。特に思うのは、用水路事故は、誰が注意を呼びかけるのか明確でないという点です。
交通事故や特殊詐欺であれば警察、気象災害であれば気象庁。

一方で、用水路事故は交通事故に該当しないものも多く、管理・所有しているのも土地改良区がほとんどです。
毎年多くの人が命を落としながらも、長年にわたって警察や行政による本格的な対策や啓発活動が行われてきませんでした。

悲惨な事故をこれ以上繰り返さないためにも、関係機関が連携して実態を把握し、ハード・ソフトの両面で強力に対策を進めていくことが求められています。