“話したくても話せない”50万人の現状

“話したくても話せない”50万人の現状
皆さん、もしある日、突然ことばが話せなくなったらどう思いますか?。こうした症状に苦しんでいる人は全国に50万人いるとも言われています。(山形放送局記者 風間郁乃)

全国に50万人“失語症”

山形市にあるデイサービス施設「ことばのデイルーム奏(かなで)」です。ここに通っているのは40代以上の男女およそ30人。そのほとんどに「失語症」と呼ばれる障害があります。
「失語症」とは、脳卒中や交通事故などが原因で、脳がダメージを受けて、会話や読み書きに必要な機能が低下してしまう症状です。失語症の人や家族などで作る「日本失語症協議会」によると、その数は、全国で50万人と推計され、中には、ことばを話せなくなる人も少なくありません。

社長を辞職

山形市の施設に通っている吉田幸司さん(67)も、その1人です。東北最大級の遊園地を運営する会社の社長をしていましたが、57歳のときに脳卒中で倒れました。

緊急手術で一命はとりとめましたが、右半身がまひして、手足が思うように動かせなくなりました。さらに、失語症を発症。頭ではわかっていても、口に出そうとすると、なぜか違うことばが出てくるようになりました。文字を見ても認識できなくなり、読み書きさえできなくなってしまったのです。

やりがいだった社長の仕事は辞めざるをえませんでした。

“受け入れられない”家族の苦悩

妻の正子さん(67)が、当時の状況をつづったノートには「信じられない」、「受け入れられない」といったことばが何度も出てきます。当時、夫のことを相談できる人は周りにいませんでした。

専門書を頼りに、カードに文字を書いて読ませたり、伝わりやすい話し方を心がけたりと、試行錯誤を繰り返しましたが、効果はあらわれなかったそうです。
正子さんは「これからどうしたらいいのかなという気持ちでした。きのうやったこと覚えているよねって聞いても覚えてない。じゃあ、もう一回やろうかと。まるで砂の山を造っている感じでした。家族だけで回復させるのは無理だと思います」と話しています。

幸司さんも外出を嫌がるようになり、やがて、うつ状態になってしまいました。

おととし、国がまとめた失語症の人への調査でも、発症してから「外出頻度が減少した」が64%、「孤独感が増した」が44%に上っています。

“外出”でことば取り戻す

そんな幸司さんに変化が現れたのが7年前。山形市にできたばかりの施設と出会ったのがきっかけでした。

ことばのリハビリを行う言語聴覚士や、失語症に詳しいスタッフから、初めて専門的なリハビリを受けられるようになったのです。徐々に症状は改善し、今では簡単な会話もできるようになりました。

施設がリハビリで特に力を入れているのが「外出」です。私も9月に同行してきました。電車に乗って観光に出かけるのですが、切符を買ったり、駅員や店員と会話をしたりと、1つ1つが訓練になっているのが、そばで見ていてよく分かりました。
昼食も自分で注文します。この日、幸司さんは、スタッフの分と合わせて3人分の定食を注文しようとしましたが、店員さんに「3(さん)」と言おうとしても、なかなかうまく言えず、「6(ろく)」と言ってしまいました。そんな時、隣に座っているスタッフが、そっと「3だよ」とささやいて助け船を出し、幸司さんは無事に「3個」と注文することができました。

幸司さんに外出した感想を聞くと「いいよなぁ。もっともっと(できるようになりたい)」と笑顔で話していました。
施設を運営する合同会社「ヴォーチェ」の佐藤奈々子代表は、外出をリハビリに取り入れていることについて「社会に参加できますし、外の人とコミュニケーションを取って課題も見つけられます。自信につなげていくというのを大切にしているんです」と話していました。

取材の最後に、幸司さんに、今の目標をボードに書いて読み上げてもらいました。
照れながら、ひと言ひと言かみしめるように話してくれました。

そばで見ていた妻の正子さんは、「これまでは先のことを考えることができませんでした。でも、施設に出会ったことで本人も前向きになれたし、いまは独りの世界にはいないと思います。本当に感謝しています」と話していました。

全国で不足する支援

しかし、こうした施設は全く足りていません。
「日本失語症協議会」によると、失語症の人に、ことばの訓練を行う施設は、全国で26か所だけです。山形県でも、山形市の1か所しかなく、空きを待つ人が後を絶ちません。

施設が増えない背景には、大きく2つの問題があります。その1つが財政面の問題です。こうした施設では、利用者一人一人に目を配って、きめ細かくリハビリを行う必要があるため、小規模なところが多くなっています。ところが、国や自治体などから支払われる介護報酬は、3年前に大きく減額され、経営状態が苦しくなっている施設が少なくないということです。

もう1つの問題が、スタッフ不足です。リハビリには「言語聴覚士」の資格を持った専門家が欠かせません。しかし、そもそも人数が少ないうえ、病院に就職する人が多いこともあり、小規模な施設が言語聴覚士を確保するのは難しいのが現状です。

国も“支援者”養成へ

一方で、厚生労働省は、失語症の人をサポートする”支援者”の養成に乗り出しました。失語症について基礎知識を学んだ上で、外出に同行したり、訓練の一環として話し相手になったりする「意思疎通支援者」と呼ばれる人たちです。

国は今年度から都道府県に対して養成を義務づけました。今年度中に、養成事業を始めることを決めているのは、東京や神奈川県など11の都府県で、希望者に40時間、講習を受けてもらったあと、早ければ来年度から派遣を始める見通しだということです。

日本言語聴覚士協会の立石雅子副会長は「国が支援者の養成事業を打ち出したことで、やっと失語症の人たちにスポットライトが当てられた」と歓迎しています。そのうえで「行き場がなくて自宅に引きこもりがちになっている人も多く、家族の負担も大きくなっている。失語症の人たちの居場所づくりや、失語症への理解の拡大につながることを大いに期待しています」と話しています。

“ひと事でない”

失語症の原因の1つとなっている「脳卒中」を発症する人は、年間29万人と推計されています(平成23年時点・滋賀脳卒中データセンター)。ですから、決してひと事ではありません。

皆さん、もう一度、冒頭にした質問をさせてください。

もし、ある日突然、ことばが話せなくなったらどう思いますか?そして、助けが欲しくても誰にも相談できなかったら…、社会から取り残されてしまったら、どれほどつらく、心細く感じるでしょうか。

そうした状況にいる大勢の失語症の人たちを支える仕組みが、今、求められています。