143兆円!認知症とお金

143兆円!認知症とお金
「143兆円」
突然ですが、ここで問題です。これは何の金額でしょうか?
日本の国家予算?いえいえ、違います。実は、日本で暮らす認知症の高齢者が保有する預貯金や株などの金融資産の総額です。「ホントに?」と思った、そこのあなた。日本では今、老後の資産を蓄えたのに認知症のためにうまく使えず困窮する、そんなケースが生じているんです。「自分には関係ないよ」ではすまない話です。
(社会部記者 福田和郎・黒川あゆみ)

ルポ 男性の資産はどこへ?

私たちは、巨額の資産が“死蔵”される現場で、何が起きているのかを探ることから取材を始めました。

東京 世田谷区の閑静な住宅街に建つ有料老人ホーム。料金は月30万円に上り、ゆとりのある人たちが暮らしています。
私たちはここでの生活を始めた男性(76)に会いました。車いすが必要ですが、シャツにこだわりのジーンズをあわせ、ぱりっとした姿が印象的な男性は、9年前に認知症と診断されていました。

男性は元・食器メーカーの営業マン。結婚はせず、ことし7月まで同じ世田谷区内のマンションで1人暮らしをしていました。

今月、男性が老人ホームの職員とともに、このマンションに“あるもの”を探しに行くというので同行させてもらいました。
とある駅にほど近い3LDKの部屋。室内に入り、机の上を見ると、以前届いた電気や電話の料金の督促状が束になっていました。

男性はお金の管理ができずにいたのです。水道や電気などの光熱費、そして、税金の支払いも滞っていたといいます。

満足な食事が取れておらず栄養状態がよくなかった男性は、おととし、自宅近くで倒れているところを近所の人に発見されます。そこで初めて、福祉のサポートを得られるようになったのです。

その後、認知症がさらに進み、1人暮らしが困難と判断されました。

その際、担当のケアマネージャーが資産の状況を調べてみると、意外な事実がわかりました。
なんと、男性が所有する複数の口座には、合わせて数千万円の預金があったのです。中には1500万円を超える口座もありました。有料老人ホームに入れるほどの資産があったのに、厳しい暮らしを送っていたのです。

認知症のために自分の資産管理がうまくできていなかった男性。この日は、まだ見つかっていない“預金通帳”を探しにきたのです。男性の手元にあったキャッシュカードは6枚。しかし、通帳は2つだけ。残り4つの通帳がどこにあるのか、分からないのです。

男性に繰り返し尋ねても、答えは「覚えてない」。
そこで、職員が引き出しの中や棚の上などめぼしいところをしばらく探してみると…。

机の書類の下から1つの通帳が出てきました。さらに、今後資産を売買するうえで必要な印鑑証明も見つかりました。

それでも男性は「資産管理はそんなに難しくなかったよ」と話します。「自分はきちんと資産を管理できていた」、そう思い続けているのです。
通帳を探している途中、本棚からたくさんの小さなアルバムが見つかりました。中を見せてもらうと、昔の男性の姿が写っていました。
今よりも少しふくよかな男性。営業マン時代は汗水流して働いていたといいます。退職後、趣味の陶芸をしたり、友人と海外旅行に行ったりした時の写真もきちんと保存されています。男性は言葉少なに写真を眺めていました。

資産が見つかったことで安心した老後を送れるようになった男性。現在は親族に口座の管理を依頼しています。1日3食しっかり食べて、運動もするため、表情は明るく足腰も元気になりました。
実は、男性がこの老人ホームを選んだのには理由がありました。施設近くの学校でボランティアをしていたというのです。思い入れのある土地で暮らすことも、みずから選ぶことができました。
1日1本の缶ビールが楽しみだという男性。食事の際に一口飲んでひと言、「おいしいね」。この日、いちばんの笑顔です。

認知症高齢者の資産 その推計は

厚生労働省によりますと、認知症の高齢者は全国で500万人を超え、65歳以上の7人に1人に上っています。さらに、2025年には700万人まで増加するとみられています。
こうした中、民間のシンクタンク「第一生命経済研究所」は、国がまとめた認知症の人の割合や家計の貯蓄などのデータをもとに、認知症の高齢者が預貯金や株などの金融資産をどれくらい保有しているか推計しました。

そこから導き出した金額は、ことし3月の時点で「143兆円」。今後も高齢化が進み、2030年度には、「200兆円」を超えるとしています。

老後のために蓄えておいた資産を認知症のため適切に使えず困窮するケースが生じているほか、家族が預金を引き出そうとしても本人の意思確認ができず銀行に断られてしまうケースも少なくないということで、対策が課題となっています。

将来、自分や家族が困らないために

「もし自分が認知症になったらどうなるのか」

誰もが抱える不安に備えて、事前の準備を進める高齢者も出てきています。
東京 立川市に住む早川ミツヱさん(77)は、3年前に脳梗塞で倒れて左半身にまひがあり、八王子市の病院に通院してリハビリを続けています。早川さんは、認知症や脳梗塞の再発で判断能力が低下した場合でも、望む治療を受けられるよう、新たなサービスの利用を始めました。
このサービスは、信託銀行に口座を作ってあらかじめ預金しておくと、万が一、本人が認知症になり、引き出しができなくなった場合でも、銀行の口座から医療や介護、それに買い物の代行などに必要な金額が支払われる仕組みになっています。

資産をどのように使ってほしいかや、判断能力が低下したときの財産管理を誰に任せるかなどを事前に登録することができます。

早川さんは介護や医療にかかる費用を夫や子どもではなく自分の資産から出すとしたうえで、判断できなくなったときには夫に財産の管理を任せると登録しています。
早川さんは「いつどうなるか分からないので備えておくととても安心です。せっかく貯めたお金が認知症で使えなくなるのはもったいないことです。家族とも相談して元気なうちに決めておくことが大事だと思います」と話していました。
北原トータルライフサポート倶楽部 浜崎千賀さん
信託銀行とともにサービスを提供する「北原トータルライフサポート倶楽部」の責任者、浜崎千賀さんは「高齢者のお金の問題が年々、深刻化しているのを現場でも実感しています。人生の最期でみずからが望む医療を受けてもらえるようサポートしていきたいです」と話していました。
慶應義塾大学 三村將教授
認知症高齢者の資産管理に詳しい、慶應義塾大学の三村將教授は「認知症高齢者の資産管理は最近注目されはじめてきたが、今後さらに多くの人が直面する問題だ。資産が有効に活用されないことは日本の経済にとっても大きな損失になる」としたうえで、本人だけでなく、家族や金融機関などが連携して、備えていく必要があると指摘しています。

「家族がいても、認知症の高齢者の資産管理を十分にサポートすることは難しく、銀行や郵便局など周囲で支えていく仕組みづくりが必要になる。高齢者自身も早い段階から認知症になったときに備えて、どのように資産を使うのか、自分の意思を示しておくことが大切だ」

“自分は無関係”ではすまない話

今回の取材の過程で、私たちは、認知症の高齢者を取り巻くさまざまなお金のトラブルを聞きました。

預金はあるのに米びつにしまってある現金がすべての財産だと思い込み、手持ちのお金がなくなると介護サービスの利用をやめてしまった人、家賃の督促状が届いているのに理解ができず、滞納したまま家を追い出されてしまった人、さらには家族にキャッシュカードを渡したのを忘れて、盗まれたと勘違いした人。

どれもこれも、実際にあった話です。「私はそんなことにはならない、自分とは関係のない話だ」と言い切れるでしょうか。元気なうちに自分の資産について、家族や身近な人と話し合っておくことが大切だと実感した取材でした。