“左側”を見てください 命を守るために

“左側”を見てください 命を守るために
「右見て、左見て、右見て」「横断歩道では、手を挙げて」 私たちは交通事故に遭わないための身の守り方について、学んできたはずです。でも、一瞬にして、命が奪われていく交通事故は、今も起き続けています。だから、言わせてください。もう1度、“左側”を見てください! あなたの大切な命を、あなたの大切な人を、守るために…。(松山放送局記者 河崎眞子)
皆さんは、いつ自動車の運転免許を取得しましたか。私は去年の3月、大学の卒業式の2週間前でした。

筆記試験に1度落ちてしまったので、合格したときは大人の階段を一段のぼれた気分で、余計にうきうきしたのを覚えています。でも、そのわずか2か月後、記者として働き始めると、運転が怖くなってしまいました。交通事故が、あまりにも日常的な出来事だと気づいたからです。

私が配属された愛媛県では、去年1年間の交通事故の発生件数が4097件。東京や大阪と比べれば少ないですが、それでも1日当たり11件も起きていることになります。しかも、死亡事故にいたっては、人口10万人当たりの換算で5.67人。全国で2番目に高かったのです。

事故の取材は、新人記者の大事な仕事の一つ。できるかぎり丁寧な取材をしようと心がけていると、ある警察幹部から、こんなことを言われたのです。

「横断中の事故は、歩行者が“左側”から車にはねられているのが多いね」

これまで私が聞いてきた交通マナーに、“左側”なんてキーワードはない! この驚きが、取材の出発点でした。

死亡事故 7割は左側だった

まずは、データ集めから始めました。こちらは、全国の道路横断中に起きた歩行者の死亡事故671件を、歩行者から見た車の方向で分けてみたものです。

左側:473件(70.4%)右側:198件(29.5%)
歩行者が“左側”から直進してきた車にはねられ死亡したケースが約70%。右側からの事故と比べると、圧倒的に多いことがわかります。

「右見て、左見て、右見て」 道路を渡るときの安全確認は、右2回、左1回、最後に見るのが右側のはず…。

なぜ、こんなにも差が出るのでしょうか。

“左側”からが多いのは当然?!

「“左側”から来る車にはねられる方が多いっていうのは、当然のことです」

交通事故の発生確率などを分析する、愛媛大学の吉井稔雄教授に尋ねると、こんな答えが返ってきました。構造的な要因があるからだといいます。
愛媛大学環境建設工学科 吉井稔雄 教授

要因1 日本の道路は左側通行だから

左側通行では、歩行者が道路を渡るときに、右側から来る車線が、手前になります。最初に見る、右側から来る車への注意が強くなり「右側の車に注意を向けるあまり、“左側”の車に注意が散漫になる可能性がある」というのが吉井教授の分析です。

要因2 判断能力の限界

歩行者が渡り始める場所から見ると、右側から来る車線は近くに、“左側”から来る車線は遠くにあります。この距離の差が、人間の判断能力にも影響していると吉井教授は見ています。

「道路を横断しようとして、2~3秒後の予測はしやすいが、“左側”から来る車に関しては、5~6秒先のことを予測しなければならない。車がやってくるまでの時間、距離感に誤った判断が生じてしまう可能性がある」
たしかに、ふだん横断中に、“左側”からの車が意外と近くまで迫っていて、最後は小走りになって渡りきった経験、皆さんもあるのではないでしょうか。

背景に動体視力が

吉井教授が2つめの要因として挙げた判断能力の限界は、特に65歳以上の高齢者に顕著だそうです。

吉井教授は、加齢による動体視力の低下が背景にあるとみています。動いている車の速度の判断や、自分が動きながら車を見る力が低下し、判断に誤差が出やすくなるといいます。
“左側”から直進してきた車にはねられた死亡事故を、年齢別でみると… 65歳未満:85件(17.9%) 65歳以上:388件(82.0%)高齢者の割合は8割を超えていました。

二段階横断は有効?

では、どうすれば、“左側”からの事故は防げるのでしょうか。

吉井教授が推奨するのが、『二段階横断』と呼ばれる対策。実は、日本でも取り入れられ始めているんです。

静岡県のJR焼津駅前のケースで見てみます。
画像提供:名古屋大学 中村英樹 研究室
『二段階横断』の横断歩道には、車線の中央に、安全地帯となる島が設けられています。
歩行者は、まず右側から来る車のスピードや距離を予測して、島まで渡ります。そこで、いったん停止。

今度は、“左側”から来る車を確認。その動きを予測して、渡りきります。

横断を2段階に分けることで、歩行者は自分から近い位置で、車の動きをより正確に捉えることができる仕掛けです。
「右と左の両方から来る車を見なければいけないのは、歩行者にとって非常に負荷が強い。安全地帯の島で、改めて“左側”から来る車への注意を促せば、注意が散漫になるという現象がなくなって、安全に渡れる」(吉井教授)

『二段階横断』は、ドイツやイギリスなどでは一般的だそうで、いま日本でも、試験的な導入も含めると少なくとも5か所に導入されています。しかし、道幅によって島を設けるのが難しかったり、島が逆に障害物となって運転しづらいというドライバーの声もあったりして、普及に時間がかかっているのが実情だそうです。

また、横断中に車にはねられる歩行者は、横断歩道を渡っていなかったケースが多いということもあります。それでも、物理的に“左側”を意識させる『二段階横断』が事故を防ぐためには有効だという認識が歩行者、ドライバーそれぞれに広がることが、導入の後押しになると吉井教授は話しています。

ヘッドライトの左右の違いが…

“左側”からの車にはねられる事故の対策でより重要になるのが、夜間です。

“左側”からの死亡事故473件を分析すると、昼間:67件(14.1%)、夜間:406件(85.8%)と圧倒的に、夜間が多くなっています。
要因の1つに、車のヘッドライトが関係しているという指摘も出ています。

愛媛県警は、ことし5月、夜間の事故の再現実験を行いました。実験では、ヘッドライトを、ロービームにしました。すると、ドライバーから見て右側、つまり歩行者から見ると車が“左側”にいる場合は、歩行者を認識しにくくなっています。歩行者から見て、右側から車が来るケースと比較すると、違いがわかります。
A:歩行者から見て“右側”に車 B:歩行者から見て“左側”に車
なぜ、左右で見え方が違うのでしょうか。実は、ここでも、左側通行という日本の交通事情が影響しているようです。

「日本では左側通行なので、対向車が右側から来る。ロービームの場合は、幻惑を起こさないために、右側の照射範囲を狭めている」
愛媛県警本部 交通企画課 岡利彦 課長補佐
車のヘッドライトの照射範囲を、概念的に示した図です。
ロービームは、対向車とすれ違う際、相手のドライバーがまぶしくならないように、右斜め上の光が抑えられています。

このため、ドライバーの右側、歩行者から見れば車が“左側”から走ってくる場合、見えにくくなるのです。

さらに、実は右側通行の国から輸入された外国車でも、ヘッドライトの光を左側通行の仕様に調整されています。そうしないと、車検に通らないのです。

去年まで教習所に通っていた私も、ロービームが左右で照らしている範囲が違うことに、全く気づきませんでした。

一方、ハイビームは、照射範囲が抑えられておらず、約100メートル先まで、左右ひとしく照らすことができます。夜間はハイビームで走行することが基本だと、法律などで示されていますが、定着していないことも、“左側”からの車にはねられる事故の多さにつながっているといいます。

夜間は基本ハイビームで

夜間に歩行者が“左側”から車にはねられた死亡事故406件のうち、ロービームだったのは399件で、98%にものぼりました。

「くせになって、ロービームでずっと走ってしまう方もいると思いますが、早く危険を発見するために、ハイビームを使うことを基本に考えたうえで、こまめに切り替えるのが大切です」(愛媛県警 岡 課長補佐)

いつ自分が被害者になっても、加害者になっても、おかしくない。それが、交通事故です。

専門家や警察官の方々からは「左側からの事故が多いなんて、そんないまさら」という反応もありました。専門家の間では、当たり前すぎる現象なのかもしれません。ただ、“左側”というキーワードは、まだ、一般の人には浸透していないような気がします。交通事故は、意識の持ちようでかなり防げるようになるといいます。
取材を終えて、私はバッグの持ち手に付けていた反射材の位置を変えてみました。「どこでもよいから、とりあえず付ければ安全」というわけではないと知ったからです。左手首に巻いたり、左靴にシールを貼ったりと、“左側”を意識して着用しています。

「命を守るため”左側”に注意」。このことばが交通安全の新たな合言葉になればと思います。

あなたの大切な命を、あなたの大切な人を、守るために…。

(データは平成29年版「警察白書」より)