胸の爆弾が、破裂する前に

胸の爆弾が、破裂する前に
「何とかして一日も早く解決してほしい」
肺に重い病気を抱えた、ある女性の訴えです。

「史上最大の労働災害」ともいわれるアスベストによる健康被害。14日、東京高等裁判所は、建設現場で働いていた元作業員たちが起こした裁判で、国の責任を認めました。一連の集団訴訟で国が負けるのは8回連続です。国は、いつまで争うのでしょうか。(社会部記者 原野佑平)

ある女性との出会い

私が大阪放送局で裁判の取材を始めてから5か月後の平成25年12月。裁判所の門の前、寒空の下でチラシを配っている女性がいました。女性の脇には小さなカートがおかれ、そこからは透明な管が女性の鼻に向かってのびていました。
女性は、時に激しくせき込んでいました。裁判の当事者や支援者がチラシを配ることは珍しくありませんが、病気をおしてまで配る様子に、ほかの人たちとは違う何かを感じました。

思わず手に取ったチラシには、国にアスベスト被害の責任を問う裁判について書かれていました。女性の名は、岡田陽子さん。私が初めて出会ったアスベスト被害者です。

泉南アスベスト問題

岡田さんは大阪府南部の泉南地域に住んでいました。

この地域は戦前から高度経済成長期にかけて、アスベスト産業の一大集積地でした。岡田さんの両親もアスベスト工場で働き、家族は工場の隣の社宅で暮らしていました。
幼少期、アスベストは町のいたる所に雪のように降り積もっていたと岡田さんは話してくれました。その時は、暮らしていた誰もが、こんなことになるとは思いもよらなかったのです。

静かな時限爆弾

その言葉を聞いたのは、アスベストの取材を始めてすぐのことです。

アスベストは吸い込んでからすぐに病気が発症するわけではありません。時には30年、40年もの年月を経て発症します。そのため時限爆弾に例えられるのです。

岡田さん一家をこの「爆弾」が襲ったのは、父親がアスベスト工場を辞めてから、30年後の事でした。

父親が石綿肺を発症、その後肺がんになり、亡くなりました。そして、岡田さんと母親も石綿肺を発症します。岡田さんはまだ40代後半でした。

「不安です、いつまで命がもつんやろと思います」。
日本でようやくアスベストが全面的に禁止されたのは平成18年。同じ年に岡田さんと母親は、国の責任を問う裁判に加わりました。
「国が規制をしていたら、私も両親もアスベストの病気にはなっていないはず。国に謝ってもらってから、それから死にたい」。

平成26年10月、最高裁判所は岡田さんたちの訴えを認めました。国がもっと早く規制すべきだったことを司法が認めたのです。

「母は、いつも私に『ごめんな』って言っていました。自分が病気にさせたと思っていたので。そんな母がかわいそうでした。私がいたから母は裁判に参加したんやと思います」。

最後まで岡田さんの事を心配していた母親。最高裁の判決を聞くこともなく、裁判の途中で亡くなりました。

建設現場のアスベストは

最高裁判決から4年。アスベスト被害をめぐる裁判はいまだに続いています。国は最高裁判決に従って、工場でアスベストを扱っていた人たちとは和解しています。

しかし、建設現場でアスベストを含む建材を扱っていた人たちが起こした裁判では、責任を争っているのです。
3月14日。

建設現場のアスベストをめぐる集団訴訟で、2件目の高裁判決が言い渡される日が来ました。東京高等裁判所には、多くの人たちが詰めかけました。原告は300人を超えています。

現役時代、大工や電気工などの職人として、建設現場で働き、日本の高度経済成長を下支えした人たちや、その遺族です。多くの人が携わった建設現場のアスベスト被害こそ、一連の裁判の「本丸」なのです。

史上最大の労働災害

アスベストが原因の労災認定件数は、毎年度、およそ1000人で推移しています。そして、その半数が、建設業で働いていた人たちです。建設業の就業人口は、高度経済成長にともない増加しました。国勢調査によると、昭和50年の就業者数はおよそ470万人で、産業別の割合は8.9%。その後も全体の1割が、建設業に従事しています。
こうした人たちの体に潜んでいる「時限爆弾」がいつ破裂し、被害がどこまで広がるのか、見通しはつきません。

解決のために

しかし、昔の建設現場でどのような被害があったのか、裁判で証明するのは簡単なことではありません。

東京の松田耕平弁護士は、先輩に声をかけられ、早い段階から集団訴訟に加わりました。

弁護団は、原告一人一人から聞き取りを行い、職種や働いていた現場を確かめて、その人が暴露した可能性のある建材のメーカーを特定していきました。

それは気の遠くなるような作業でした。それでも努力が実り、全国の集団訴訟で、建材メーカーの責任が認められたのは9件のうち3件。国に至っては、ほとんどの裁判で責任が認められています。
松田弁護士は、「弁護団に入ったきっかけは偶然でしたが、被害者の話を聞くと、何が何でも助けたい。裁判に関わったからには、救済政策の実現まで果たしたい。被害者の方が亡くなるたびにその気持ちは強くなっていきました」と話しています。

高裁で2連続の勝訴

そして14日、東京高裁の判決。
国の責任を認め、22億円余りの賠償を命じました。

さらに、これまでの集団訴訟では認められてこなかった、「一人親方」も賠償の対象に含めました。「一人親方」は、個人の責任で仕事を請け負っている形になっています。このため、会社に勤めている労働者と同じように賠償の対象になるとは考えられてきませんでした。

しかし14日の判決では、同じ現場で働く以上、「一人親方」も労働者と同じように保護されるべきだと判断されました。

「一人親方」の電気工として働いてきた原告団長の宮島和男さん(88)は、会見で、「判決を聞いた娘が『よかった』と、泣きながら飛びついてきました」と喜びを語りました。

また1つ、救済につながる司法判断が積み重なりました。

問われる国の姿勢

建設アスベスト訴訟が起こされてから10年。声を上げた被害者およそ700人のうち、実に500人近くがすでに亡くなっています。

国の責任を認める司法判断の流れは固まりつつあります。被害を受けた人たちが、1人、また1人と亡くなっていく中で、これ以上裁判を続ける必要があるのでしょうか。

私が大阪で岡田陽子さんに出会ったことをきっかけに取材を始めてから、何人ものアスベストの被害者の話を聞いてきました。

共通していたのは、「死ぬまでに謝ってほしい」。
この一点です。

仕事に誇りをもち、家族を想い、一生懸命に働いてきた人たち。

彼らを救えるのは誰なのか。今、国の姿勢が問われています。